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本当のことを知ったら怖いお化けソクラテス

私が高次元や神様だったら、地球人に本当のこと言えません。

食品がどんなに汚染されていても、食品業界で働いている人だらけです。

医療や薬がどんなに闇が深くても、医療関係や薬品業界で働いている人だらけです。

自然エネルギーやSDGsがどんなに欺瞞でも、電気工業関係や産業関係で働いてる人だらけです。

国際金融資本の権化がどんなに策略で世を蝕んでも、金融経済関係で働いてる人だらけです。

知っていても知らないふりしながら、みんなで加担して、自分ではそんなに加担してないと思わないと精神が崩壊してしまうかもしれません。
消費者側としても、こっちの事情は詳しくて選択にこだわっても、あっちの事情は疎くて無自覚に加担してることもあるでしょう。

私たちは「社会が悪い」と思いガチですが、その悪い社会の一端を担っているのが私たちです。
知れば知るほど無自覚に加担していた自分を知るでしょう。
では知らなくてもいいのでしょうか。


そんなこと考えてたら、ソクラテスを思い出しました。
無知の知」です。
無知であることを知っている状態です。
「知らないこと」よりも「知らないことを知らないこと」の方が罪深いということです。
そして更に、知恵に価値がないことを自覚した人が最も知恵ある人であるとも述べました。
それが、「不知の自覚」です。
その後、哲学の世界では「知る」ことに関して議論が重なり、ぐちゃぐちゃになります。

そういえば、別の哲学者の誰かが、「恐れは常に無知から生じる」 と述べました。
某有名な次元を超えたライブのところでは、「お化けは怖いけど、お化け屋敷だとわかったら怖くない」、だから知りましょうとしています。

高次元の存在が様々に教えてくれながら、地球のそれぞれの事情については小出しにされてます。
全部明らかにしたら、自分の知らなかった加担した罪深さに、相当やられてしまうかもしれませんね。

小刻みに自分のペースで知っていくのが良いのでしょうか。
人に針で突然刺されたら痛みで驚くけど、自分で、そ〜っと針を刺すなら痛みを感じながら自分のペースで刺せる感じです。

自分の日常の行為によって、どこかの誰かを苦しませていることもあるでしょう。
自分の罪深さで相手を心を理解するように、自分で知る痛みから、相手の痛みをわかっていくのかもしれません。

高次元の存在は、「知るべきことは知るべき時に知ると知っている」と教えてくれます。
知る痛みは、痛むべき時に知ると知っているようです。


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