ゆい
認知症の家族の介護のお話です。ちょっと不思議話も入ってきます。
現時点では家族の納骨について書いています。
日々のつぶやきです。
今は、日本語教育能力検定試験について書いています。これから受験される方の参考になれば幸いです。
通院ができない以上、診察はおろか、薬も処方してもらえない・・・ 私は、落ち込みました。 病気だと分かっているのに、このまま放置しておくなんて、いいこととは思えない。 たとえ、認知症に特効薬はないにしても、今あるだけの医療は受けてほしいのだけれど・・・ 私はこの先、どうしていいか分かりませんでした。 でも、夫はあきらめませんでした。 次の診察の予約には、二人で行こうと言うのです。 そんなことってできるのかな。患者本人がいないのに? 先生は、私たち二人しかいないの
その病院は、地域に昔から住む年配の方はとても嫌っている病院でした。 「気違いが行く所」というのです。 これは差別的用語と思うのですが、お構いなしでそういうことを言う人がいるのです。 でも、私はこの地域出身ではないですし、この病院が特に問題を起こしたという話を聞いたことがありません。知り合いがその病院に入院し、今は普通の生活に戻っているという話は聞いたことがあり、それほど嫌だとは思っていませんでした。 むしろ自宅から近く、通院を考えたらここへ連れていくことしか当時は考え
私は少しずつ、母はいわゆる認知症というやつなのではないか・・・と思うようになりました。 私の在住する市では、「○○市元気度調査」というリーフレットが発行されています。 そこには、高齢者の総合相談窓口としての地域包括支援センターの紹介が載っていました。 ここで初めて、センターというものの存在を知りました。しかも、自宅から歩いて行ける距離にあることも分かりました。 また、かかりつけ医の待合室に、エーザイ発行の認知症関連のリーフレットがあり、症状のチェックリストがありました
ある日曜日の夕方、母から電話がありました。 「わたし、今から家を出るわ」 ん?なんのこと? 「父さんが出てけと言うから、出ていくことにする」 はぁ? 実家へ行ってみると、どこへ行くとも言わずに出たようで、慌てて探しに出ました。 母は、近所のかかりつけ医付近の道路をうろうろしていました。 この道路は少し入り組んでいるので、運が悪ければ見つからなかったかもしれません。 父は口が悪いので、それに我慢できなくて出てきちゃったのかなぁ。 まずは私の家に連れてきて落ち着
明らかにおかしいと思ったきっかけは、今から5年前の夏でした。 この年、私は仕事で海外に在住していました。 ある時、母から突然、こんな電話をもらいました。 「父さんかわいそうなの、足を切断しなくてはいけないの!」 え? 父は、重い心臓病を患っています。 けれども、なぜに突然、切断⁉ 何度聞いても要領を得ず、ただ分かったことは、父が入院しているということだけでした。 父の入院は何度もあったことなので、さして驚きはしなかったのですが、足を切断となるとこれは大ごと・・
以前の記事をあげてから1年も経たぬ間に・・・ 父の納骨のために、京都を訪れました。 父は、自分の最期が近づいているのを感じとり、病室で、次々と遺言を残していきました。 その中に、納骨の話がありました。 わしは、浄土真宗やないけどしゃあない、つきおうたるわ。 そう言って、自分の骨を大谷におさめるよう言いました。 お墓には・・・?と聞いてみると、 あのお墓はしまわなきゃ駄目でしょ?だから、直行でいいよ。 父の言いつけ通り、直行することにしました。 49日は、連休
先日旅立った父の旧友という人が便りをくれました。 そこには、ほんの数か月前、父が旧友宛に送った手紙が同封されていました。 開くと、懐かしい字が・・・ 身体が言うことを聞かなくなっている状態を淡々と述べながら、春の庭木のきらびやかな美しさをつぶさに語り、目はまだ機能を失っていないことへの感謝がつづられていました。 私は思わず、その手紙の中に、書いたときの筆圧とか、しわとか、何かしら痕跡がないか・・・”生きた肉体の”痕跡を探していました。 そして、葬儀後、初めて大泣きし
今回の高野山の旅は、当初はもう少し短く予定していました。 日程も、もう少し遅めの月末でもいいかな、と思っていた時でした。 いつも通っている近所の神社で、心の中で高野山に行くことを話ながら、もう少し短い方がいいでしょうかね、月末に変更した方がいいでしょうかしら・・・などと、相談するように思っていた時でした。 そのままでいい。 そう強く言われているように感じました。なんだろう、月末に、何か行かれないようなことが起きるのだろうか・・・?などと思いながら、そのまま変更せずに行
翌日は弁天岳、そしてその翌日には、少し離れた立里荒神社へお詣りしました。 弁天岳は、30~40分程度のちょっとした登りでたどり着く・・・と何方も書かれていますが、きっと私はそれ以上かかるに違いない。 思った通り、私にとってはとてもハードな道のりでした。 2~3週間前の台風の影響か、道も荒れていて、物凄く背の高い葦もぼうぼうに生えていて、もう本当に、大変でしたが・・・ 歩き出したら、引きかえすわけにはいかず。 それは、荒神社も同じでした。 まさかの100段以上の階段
壇上伽藍には、大日如来様をはじめとした仏像が並びます。 曼荼羅を立体的に表現したといいます。 奇麗だなあ、これがテレビなどでよく見かける大日如来様ですね、感動~!と、ゆっくり味わいたいから、椅子に少し腰かけます。 しばらくすると、白衣を纏った団体さんがやってきました。お坊さんが説明を始めます。 終わったころ、隣に腰かけた女性に、どちらからですか?と尋ねてみました。 臼杵市からですよ。あのお坊さんね、地元の副住職さんなんですけど、声がとても良いのです。お経を一緒に聞い
デジタルミュージアムに向かった理由は、カフェで昼食を頂くためでした。 途中、宿坊協会中央案内所で拝観料が割引になる「講堂内共通券」を手に入れようとしましたが、あいにく閉館中。 中の橋まで行くか・・・と思っていた矢先、このデジタルミュージアムの真横に「高野町観光協会」があるのを発見しました。 きっと共通券もあるだろうと尋ねると、難なく入手できました。 よく見ると、共通券には「授戒」体験もセットになっており、それはデジタルミュージアム目の前の大師協会で行われるとのことでし
高野山への行き方、電車を利用すると乗り換えがいっぱいあります。 梅田ダンジョンになんば、私にはハードル高いなぁ・・・ と思っていたところへ、京都から直通のバスがあるというのを知りました。 多少時間はかかるようですが、こちらを利用して行くことにしました。 実際、行きはバスにして正解でした。高野山に向かう山道がどんな感じか、というのを予習できたからです。 休憩を挟むと、ここから先は山道ですから、皆さん気を付けてくださいね、とバスの運転手さんが優しく仰いました。 大きな
今やっと、静かにPCの前に向かっています。 9月に高野山に旅をして、そのあとからずっと、怒涛の日々でした。 もしもお時間がある方は、旅日記にしばしお付き合いいただければと思います。
母を連れて、比叡山延暦寺に行ってきました。 今回、東京の家族も来てくれました。 高齢の母のことを考え、京都からレンタカーを使いました。 思ったより混雑しておらず、家族もナビしてくれて、なんとか無事にたどり着けました。 訪れたのは梅雨の蒸し暑い日でしたが、比叡山は比較的涼しく過ごしやすかったです。 そして、これも意外でしたが、あまり混んでいませんでした。京都出身の同僚が、祇園祭前なら大丈夫でしょうと言っていましたが、その通りでした。 比叡山は、あまたの宗祖を輩出した
しばらく、この記事を上げるのに間が空いてしまいました。 この話はまだ、コロナが今よりずっと広がっていて、行動制限がかかっていた時期の話です。 これまでの経緯は、こちらで読んでいただくとして・・・ 京都で落ち合った私たち家族は、一路大谷本廟へ向かいました。 紅葉の始まった京都は、それはそれはもう、かなりな混み具合でした。 駅構内にいくつもあるお土産屋さんで、いずれも店の外まで行列になっているのは初めて見ました。 大谷本廟も、かなりな混み具合でした。 沢山ある受付窓
ある日、ふと、この日なら仕事休めるな・・・と気づきました。 どこかへ行こうかなぁ? そういえば、母が見たいと言っていた、鑑真和上坐像の公開って、この時期だったよね・・・ 確認すると、私が休暇を取れる日が最終公開日でした。 早速、母を誘ってみましたが、体調がよろしくないのでやめておく、でも、あなたは行けるなら行ってらっしゃい、と後押ししてくれました。そこで、思い切って行くことにしました。 大混雑になるだろうし、気温も上がってしんどいことになることを予想して、始発で行く