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#14 助手席



ハンドルを握る姿は、なぜか心に残りやすい。

何でだろう。

どうでもいい事なのに。



焼いていたおにぎりをひっくり返し、少量の胡椒をまぶす。
この胡椒は、細かく挽いた山椒も混ぜてある。
もちろん、焼き用のタレは、醤油、みりん、酒の黄金トリオ。
そして、自称・黄金比率の2:1:1の割合。

1:1:1が、日本料理の基本の割合とは言われるが、それは言われているだけだ。もちろん理論的にも実証はされるのだろうが。
おれは醤油を増やした味にピンときたわけ。

醤油は濃口のものがいい。色が重要だ、と昔働いていたバイト先の店長が言っていた。味も色も確かに薄口だと似合わない。

塩は、化学だ。人間の舌には、塩は塩としてのみ、判断できるようになっている。
醤油は、塩じゃない。塩と結びついて、旨味を伴わせる。魔法だ。

そこにわずかに白味噌を乗せて、完成である。
この白味噌はもちろん自家製だ。少し糖度を上げて甘めにしてある。甘みと発酵の旨味を重視した。




「メタリカ」というヘビーなロックバンドの音楽を大音量で流し、ハンドルを叩く父。
音を取っているらしい。
野球クラブの帰り、遠い野球場まで送り迎えしてくれる父だった。

「あいつから三振取ったのは最高だったな!痺れたわ」
サラッと褒めてきたり。

ノリノリで、いつの間にか速度80km/hを超え、田んぼ道を爆走していく。車はガタガタ鳴っている。運転席と助手席の2席しかない、オンボロのジムニー。
父は言っていた。
「イカした車屋の社長ほど、ボロいツナギ着て、ボロいジムニーに乗ってんだよ」

それの何が良いのか、おれには何も分からなかった。
しかし、その運転する姿だけは30年以上経っても、脳裏から消えることはなかった。

なんでだろう。


「やっぱ美味えな、ママのおにぎりは」
父は運転しながら食っている。
塩がちょうどいいんだよな、きっと。よくわかんねえけど、などぶつぶつ言って一気に平らげる。そしてまたリズムを取り始める。


父の経営していた中古車販売の店はいつの間にか潰れた。
燃費が全てモノを言う時代である。
父は、この事実に逆らい続けた。
その見え透いた未来がやってきただけだ。



焼き鳥居酒屋「ばあ」を初めて15年、一番人気のメニューはこの、焼きおにぎり。
米は、ばあちゃんが毎年作っている、約2ヘクタールしか取れない、品種も分からない米だ。


これが、格別に美味い。
美しいほどに美味い。
美味いという言葉は、「美しい味」と書く理由は、この米が証明している。

ばあちゃんが死んだらこの米は食えなくなるかもしれない。そう考えたら背筋がゾッとした。





「すみませーん!ハイボールお代わり下さい」

「へいよ」と言って、縦長のグラスを氷で満たし、軽くステアする。
それからジョニーウォーカー・ブラックラベルを30ml注ぐ。
そして更にステアし、ウイスキーを冷やす。
次に注ぐ炭酸と、ウイスキーの温度差が少ない方が、“泡は液体の中に留まりやすい”。
要するに、炭酸が抜けにくい。

これは昔、この店を開業する前に、上京している弟を訪ねて東京に遊びに行った時、一緒に行ったbarのマスターが教えてくれた。

次いで言えば、氷の温度ももちろん変わりにくい方が、時間が経ってもハイボールの味は継続して美味しくあり続ける。純氷の方がいいという事だ。


その時飲んだのは、ジョニーウォーカーブラックラベルだった。
そのブランドの歴史は、創設者の父が作り上げた人気の酒を、父が死んでから改名し、ジョン・ウォーカーの名を付けた。大股で歩く紳士のロゴ「ストライディング・マン」は、時代に左右されず、未来へと歩み進んでいく父の姿を型どったものらしい。父の業績が栄光になったのは、息子や孫が受け継いでいった結果だった。

会社名は未だに「JOHN WALKER&SONS」である。

数年前に、このロゴが左向きから右向きに変えられた。
左は過去、右は未来、と言い伝えられる英国の考えから、未来へ向きを変えて行こう、とブランド向上を図ったそうだ。



「はい、おまち」

一言言って、焼きおにぎりとハイボールをテーブルに置くと、その常連さんが言った。


「ばあのハイボールも焼きおにぎりも何でこんなに美味えんだ?誰でも作れるじゃねえか。何か細工でもしてんのかい」

誰でも、ね。無理でしょ。

「はあ、まあ何気こだわってんすよ〜。かっこよく言えば信念、じゃなきゃ執念、みたいな気持ちが大事なんすよ。這いつくばって、しがみついてでも!みたいな」

「いや意味わかんねーよ、晃ちゃん」

もう次のハイボール作っといて、と言われ、店内にははははと和やかな空気が流れる。


皆んな、この店を、味を、愛してくれている。
おれは、それだけで生きていける。



弟は、どうしているだろうか。もう何年も会っていない。
久しぶりにキャッチボールもしたいな。草野球は何というか、運動不足解消くらいのノリだし。
鮮やかにグラデーションした夕焼け空と、刈り終えた田んぼの風景が蘇った。

家族で稲刈りするのは本当に大変だが、もうみんな大人だし、プロ並みだ。



かく言うおれの父は、今はトラックの運送業をやっていて、ほとんど会うことがない。

父が死んでいたらおれの気持ちもお涙頂戴のドラマ的かもしれないが。父の名前でも店名にしてやろうか。

それでもハンドルを握ってる姿は想像できた。それは、助手席のアングルから。
あの時のジムニーは、助手席にハンドバーが付いていた。
どんどんスピードをあげる父の運転のせいで、おれはいつもそのバーに掴まっていたのだった。


客が帰った後、暖簾をしまう。
そこに書かれている「ばあ」の大きな文字。


しがみついてでも、ねえ。
心でそう呟いて、ダサかったかな、なんて思いながらさっさと店を片付けた。


車のキーを取って、オンボロのジムニーに乗りこむ。
鍵を差し込んでエンジンをかける。

ボーンとターボエンジンが音を立てる。

ふと、助手席を見た。



ただ、父の運転する姿がおれは多分、好きだった。

それだけはなんでか、分かった気がした。




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