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運動音痴が格闘技を始めた話

物心ついたときから筋金入りの運動音痴だった。
痩せこけて背は低い。足は遅く、不器用で、カナヅチで、どんくさい。
跳び箱はケツを強打するし、自転車に乗れる気がしなかった。
何も無い平地を走るだけでズッコケて顎を縫う羽目になった幼少期の私を見て、母は本気で心配していたらしい。

そんなだから体育の時間は苦痛でしかなかった。
バスケやバレーはチームメイトがゴールを決めてハイタッチする中一人だけ放置された。
喘息持ちであることを最大限に活かして、少しでも発作が出れば喜んで見学していた。
運動会なんて、ただの恥さらし大会に過ぎない。全員リレーの順番を決めるときの「アイツかぁ……」という突き刺さるような目線、一生忘れない。
そんな感じで運動に対するヘイトをモリモリ溜めながら小学校を卒業した。アンチ・スポーツを固く心に誓い、部活で校庭を走り回る人々を内心見下しながら美術室でダラダラと過ごしていた。
ちなみに運動と引き換えに芸術に秀でていたかといえば全くそんなことはなかった。単にダベってても怒られないからそこにいただけである。
そのうち、喘息もほぼ出なくなり、ようやく人並み以下ギリギリのラインまで到達した。体育の成績でようやく3をもらって安堵したレベルであるが。しかし一度ついたトラウマは抜けず、運動に対する苦手意識はガッチリとわたしの心を縛り付けていた。

学校行事でスキー教室に行くことになった。
出身は雪国ではないし、スキー旅行に行く家庭でもなかった。したがって超初心者の中でも選りすぐりで運動できんヤツばっか、という班に編入された。教室が始まったら案の定、板を履くだけで転倒する人間が続出した。
気楽だった。コーチはいくらコケても怒らない。そして抜群に教え方が上手かった。午前中は産まれたての子鹿だったが、午後にはリフトに乗れていた記憶がある。どうやら私には適性があったらしく、3日目には怖がる班員を尻目にボーゲンで中級者コースを爆走していた。
生まれて初めて、スポーツの快感を知った。
わたしは単に、向いている競技を知らなかっただけなのだ。

あれ?格闘技の話じゃないの?
と突っ込んだ皆様。もう少しお待ちを。

これがきっかけで、わたしを雁字搦めにしていた苦手意識の鎖にヒビが入ったのだ。
相変わらず学校体育のスポーツはダメダメだったが、別に世の中それが全てではない。そう知っただけでも気持ちがずいぶん楽になった。

時は流れ、わたしは社会人になった。
運動習慣は相変わらずなかったが、同期に誘われて10年ぶりにスキー板を履いたり、オートバイを乗り回してみたり、スポーツへの抵抗はかなり薄れていた。
ある日ふと、格闘技ジムの広告が目に留まった。
そういえば、小さい頃、「強さ」に憧れて、空手教室のチラシを食い入るように見ていたことがある。当時、自分は天性の運動音痴であると痛いほど自覚していた時期だったので、到底ついていける気がせず「習いたい」とは言い出せなかった。
でも、今ならできるかもしれない。
見学に行ったらムキムキのコーチ達がアホほどわたしを褒めちぎってきた。曰く、初めてとは思えない、力が強い、覚えが早い、云々。客商売だからということは重々承知ではあるものの、豚を木に登らせるには十分だった。
入会手続きを済ませたわたしは、さまざまな技術や補強運動を教えてもらいながら、心地よい息切れを楽しむようになった。
やってみて気づいたのは、格闘技術は人体と物理に対する深い知識から成り立っているということだ。構え一つ取っても「なぜその型なのか?」にきちんとした理由がある。乱暴者が無闇に力をふるい、人を傷つけ合うだけではない。他のスポーツと違うのは「人を無力化する」ことに特化しているというだけだ。
身体を鍛えながら知力も磨ける。格闘技にそのような側面があると知れたのは大きな収穫だったし、その知的な面白さゆえ定期的にジムに通い続けた。今でもそうだ。
骨と皮しかなかった身体には筋肉がついてきて、力こぶの盛り上がりがわかるようになった。体脂肪率は20%を切り、うっすらと腹筋が見える。レズビアンの友人には「肉付きいいカラダの方がモテるよ」と言われたけれど、わたしは今の身体が好きだ。

幼少期から一転、ここまで来られたのは、成功体験、ポジティブなフィードバックを受けられたからだろう。スキーもそうだし、格闘技もそう。指導者側が絶対に個人をなじらず、褒めてやる気を引き出す指導をしてくれたからだ。
幼少期からそのような指導者に出会えていれば、極端な話、全く違った人生を歩んでいたかもしれない。
秘めたるわたしの目標は、運動の楽しさを教えられる存在になることだ。今、打ち込んでいる種目でそれが叶うなら、なおのこと幸せだ。

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