Conformityを崩壊させる
高校の現代の国語の授業で出てきた「共同体」という言葉。
今の日本における共同体とはなんだろうか?
そもそも共同体は存在しているのだろうか?
色々考えた結果今の日本に必要なのは「Conformity」を崩壊させることであると結論づけた。
今回はその理由とあるべき姿について共有させてほしい。
教育のConformity
このConformityが1番強い場所はどこだろうか?と考えた時に最初に浮かぶのは教育現場である。
最近の教育では多様性を豪語し、多様性の存在価値と重要性について教育するがこの状態も一種のConformityである。
反対意見については述べず、メリット面しか述べない。
そうやって教育された子供たちは多様性こそが正しい現実なんだと理解し、反対意見は聞かなくなる。
そもそも反対意見すら生まれなくなる。
そして1番恐ろしいのは自分で思考する力を失うことである。
一見、正しそうな意見でも問題点は必ず隠れている。
デメリットを提示しなければ気付けない。
要は今の教育は「トンマ製造機」であり「金太郎飴製造機」なのだ。
徐々にマイノリティの意見を提示する人間(ひろゆきなど)が社会に出現し始めているが、本当に一部の人間でしかない。
極論、教室に一人「ひろゆき」のような存在がいた方が全員の思考力は向上するだろう。
このConformityの状態は何かしらの大きな処方箋が必要なのである。
この処方箋を今後の教育活動で生み出していけるかが肝になってくるだろう。
教育現場の発言
今の学校教育のConformityを語る上でもう一つのデメリットが存在しているのではないか?と私は感じている。
それは発言。
詳しく言うならば「挙手」である。
私が現在進行形で学生をやっていて感じるのは、その発言の少なさである。
数学など完全な答えの存在する授業に問わず、道徳などの答えの存在しない授業での同じである。
そこで実際に私は聞いてみた。
「皆さんは授業中に正解、不正解問わず積極的に手を上げますか?」
と40人に聞いてみたところ、手を挙げたのは0人。
母数が少ないため、なんとも言えないところだが、自ら手を挙げるという事を意識的にしないという事は大体理解することができた。
やはりそこには「Conformity」が存在している。
日本人の昔から得意である「空気を読む力」が影響し、手を挙げることは自分が浮いた存在になってしまう。といったバイアスが働いていると考えられる。
意外にもこの問題を解決するのは難しいようでオンライン授業で顔を合わせても同じような状況になることが、このコロナ禍でわかり、発言する事が壁になっている。
しかし、この問題は解決する必要がある。
発言がなければ議論ができない。議論ができなければ対立が生まれない。対立が生まれなければ自分の意見を改めることができない。
そういった状態になってしまっている。
その状態を打破し、自分の意見を共有することが大切であり、勉強していこうと考える人材が必要になってくる。
教育に必要なのは教えられる事だけではない、という事を生徒たちは再確認しなければならない。
社会のConformity
今の社会構造を見る限り女性は男性社会に入っていくためには「Conformity」する方法しかないと感じる。
今までの社会は「男性が働き」、「女性は家庭を支える」といったバイアスが働いていた。
そしてこのバイアスは今の現代社会でも通用している。
実際に女性と男性の所得差を考えると今でも日本では女性<男性の考え方が根強い。
他にも女性役員の数も少なければ、政治の世界となれば女性議員の数は圧倒的にマイノリティである。
その中で女性が社会で生きていくために必要とされるのは社会の考え方に従うことしかない。
男性よりも立場が下という今までの文化を悪い意味で引き継いで行かなければならない。
この話は女性が社会へConformityする話なわけだが、この「社会」というコミュニティの中には良いConformityと悪いConformityがあることを理解しなければならない。
良い例で言えば、良しも悪しくもConformityで安定が保っている可能性もある。
要は全員がConformityしなくなると社会は崩壊に近づく。それは他人への共感心がなくなり、常に自分中心の世界になってしまう。
そう見ると一部の人間が社会で発言し、他の人は同意する構造は社会にとってスムーズに動作が行えているかもしれない。
そういう視点もあると思う。
一概にConformityが良いと判断して欲しくないのが意見でもある。
変えられる社会構造
今の社会構造を考えたときダイバーシティが一番重要視されているのは誰もが理解できていると思う。
このダイバーシティは「女性マイノリティ」だけでなく「性別マイノリティ」「障がい者マイノリティ」なども存在し、海外に日本人が行けば勿論「マイノリティ」な存在である。
そんな中ダイバーシティを考えたときに一番のボトルネックは「Conformity」ではないか?と私は考えた。
要は社会集団の中で行動する我々は無意識の内にマジョリティサイドに偏っている可能性がある。
仕事効率、コミュニティ、人間関係など様々な事象によりマイノリティを受け入れる体制ができていない。
あなた自身も感じたことがあるのではないだろうか?
ADHDの人と関わりを持った時にスムーズに業務が行えない、女性社員が産休に入ってしまい業務が増えた。
そうなればマイノリティ=面倒だと感じてしまう。
「勿論、私はそれを受け入れろ。」
という訳ではない。
要は社会構造上、明治維新後の資本主義を進めた結果、社会は「効率」を第一に求めるようになった。
マイノリティは業務の邪魔だという考え方ができてしまった。
しかし今の社会は明治維新とは全く違う。
インターネットの登場により、我々の仕事はよりスムーズに行う事が出来ている。
そして社会における評価基準というものも徐々に変化が見れている。
今までは働いた分だけ評価されていたが、徐々に「実力主義」に重点が置かれ始めている。
バブル景気に生まれた「エコノミックアニマル」はもう死語である。
新しいアイデアを生み出せる新しい視点で物事を見れる人材が社会から必要とされ始めている。
この動きは特にスタートアップ企業で見れるわけだが、一部の大企業でも同じである。
要は「女性」「障がい者」も隔てが徐々に消え始めているという事である。
これは社会の構造上のことであり、人間の持つ意識的な変化ではない。
意識のイノベーション
社会構造は徐々に変化していっていると述べたわけだが、それと同時に変化させなければならないのは人の意識である。
女性=面倒
こういった我々の奥底に眠るアンコンシャス・バイアスを取り除く必要がある。
その提案として私が勧めたいのは間接的な理解である。
直接的な接触は無理な理解に繋がってしまう。
まずは自身の知識不足を理解する必要がある。
女性への理解不足。障がい者への理解不足がある。
まずは理解することが必要である。
この問題に関しては、自らの意識のイノベーションが必要であり、いくら社会がダイバーシティを掲げても外見だけの話になってしまう。
内面的な変化が必要である。
まずは女性と男性で賃金格差が起こっている原因を考える。
まずは障がい者の生活水準を考える。
これ以上、これ以下の解決方法はない。
まずは自分から刺激を求めてほしい。
理解
このConformityの問題は日本人の内面的事情や制度などの外的事情などが重なって引き起こされている。
インドに存在するカースト制度と同じように外面的な解決は可能でも内面的な解決には繋がらない。
その中であなたは理解できるだろうか。
日本社会に陰ながら潜んでいる問題に対して理解することができるだろうか。
この問題の解決は、意識的な刺激が必要になる。
常に資本社会構造はイノベーションを求めている。
その中でイノベーションに適応できる能力が求められる。
問題に対してマジョリティに流されず、自らの意見を提示できるマイノリティになれるだろうか。
今回私が1番伝えたいのは「理解」と「変革」である。
まずは自らが理解を求め、適応できる状態を作り出す。
そこから意識的なマインドの変化を起こす。
社会の進化にはそういった変革が必要なのである。
今からConfotmityを意識し、まずは疑ってみる。調べてみる。正しいのか?を実証してみて欲しい。
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