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自分とストレスを対峙して退治する必要がある.

少し前に人の思考って老いるんだけどそれって若いんだよねっていう話をしてみた.まあその時は結構疲れててnoteを書いていたことも後から知ったんだけど、今日は疲れの延長線上に思われがちなストレスをストレスが凄そうな僕と考えてみたいと思う.

よく「ストレスが溜まるのは良くないから気晴らしに旅行に行ったら?」と言われる.でもそこに感じるのは何でストレスが溜まっているんだろう?ということ.

僕はストレスが溜まると直ぐに体に異常が出てしまう.高校1年生まではこれに苦しんでて最近はストレスによる体の異常現象はないんだけど(睡眠不足からの身体の異常は感じるが)それは自分のストレスがストレスの原因によって相殺されるからだと最近ようやく気付くことができた.

最近の流行ワードとしてワークライフバランスといった言葉がある.ワークとライフのバランスを上手く保ち人間として幸福な毎日を生きようね.といった考え方なんだと思うが僕は反対で、今の社会でワークライフバランスの構造が通るわけがないのだ.

僕らが過ごしている空間は全て生活であり仕事とオンオフをするのはかなり難しい.これは結構日本的な思考で日本は昔から士農工商という枠組みの中にいたんだけど本当に職業という枠組みはこれだけだった.

例えば農民を例に取るとまず稲から米を生産し街に売りに行くというプロセスを踏むことになる.冬の間はまた違った作物を育てて年中作物の生産と販売と通運を行わなければならない.

今ではこのプロセスは分散化し生産に特化した人員,販売に特化した人員,通運に特化した人員と分野に分かれたプロフェッショナルと呼ばれる人々が関わり合っている.

今の世の中はそういった昔ながらの生活の中に溶け込んだ仕事様式がない.今は西洋様式を導入した生活と仕事は分けて考える考え方が根付いている.

だから今の日本人には合わない考え方だと思う.昔から仕事と生活は混同した世界で生きていた人間が急に分別して考えるようになってしまうとまずストレスが溜まるだろう.

例えば,仕事を旅行先に持ってくる.旅行先で仕事ようのスマホを触るのはタブーという考え方がある.しかし昔の日本では仕事も生活も混同させた世界だったのでどこにいようが自分が仕事をしたい時にすればいい.

それを無理に西洋的な考え方を取り入れるから自分で生活に規制をかけてしまい,かえって自分にストレスをかけることになる.

他にもストレスが溜まる要因として考えられるのが,仕事のストレスを生活で発散させることである.先ほど仕事と生活を混同させた生活と述べたが今の社会では仕事の内容はプロフェッショナルになっている.

それは自分が仕事を選べるということでもある.そこで重要になってくる考え方が「ゲーム思考」だ.

これは仕事をゲームに見とって行うというわけではなく,思考的にゲームに似ているという訳であってゲームのように働けというわけではない.

ゲームをする時に考えるのが「内容」「報酬」「財産」だと思う.まずゲームの内容を知って報酬を得ようとする.報酬を得ていくとトロフィーだったりが溜まっていって財産として蓄積されていくようになる.

これは仕事への置き換えも可能で仕事の内容を知って報酬を得る.(この時の報酬はお金でもいいが主軸は楽しいだったり,やり甲斐である).

その報酬の上に表彰だったりが入ってくる.これが仕事の上で重要であり一つが欠けてしまうと成り立たない.例えば報酬の部分で何年も断続的に続けていてもやり甲斐を見つけられなかったりすると報酬が無くなりストレスが溜まっていく.

内容の部分でも財産の部分でも同じだ.それだったらプロフェッショナルの領域を広げるか変えるしかない.しかし現代人はそのストレスを他の報酬で賄おうとしているのだ.

これはかなり危険でその報酬がなくなった瞬間絶望になって自ら死んでしまう場合が多い.一つが欠けたから他の何かで補おうとするのは間違ったやり方なのだ.

そこを理解して全ての仕事はゲーム的に進めていく必要がある.そこのゲームは自分で見つけるしか無いので難しいかもしれないが自分のストレスを溜めない思考と生活方法は重要だ.

2023年デスノートのLと化し,ショッピングモールでゆっくりしている高校生より.

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