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物理=仮想=物理はディストピアである.正は物理=物理=物理の世界を求める.

人とは何か.機械と人間の違いとは何かという愚論が行われ人は機械に代替されると痴れ言が言われ続けている.しかし誰も終止符を打とうとはしない.「それは馬鹿げているんだよ」と誰も言わない.大変な問題である.

基より人間と機械の違いなど明白である.誰でも分かる.人は細胞を有し細胞の変化や経験によって人間性が確立される.DNAの螺旋構造を明確にしたジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックと同じようにだ.

誰も自分の体内に最初からネジが埋め込まれている人はいない.生まれた時に君の足は鉄でできてだろうか.

そんな馬鹿げた議論を今しているのだ.

機械は機械であり人は人である.機械にはコンピュータが埋め込まれてボトムアップで構造され腕が存在することもあれば足も存在する.

もしかしたら脳に近いコンピュータを作ることもできるかもしれない.しかしそれはあくまでもコンピュータである.それ以上に何もない.

アルゴリズム化されたコンピュータが一見人間のように振る舞えるだけで人間ではない.

それは誰一人として間違えることはないだろう.

ただそう見えている幻想だ.ただ洗脳されているだけで人間は人間しかいない.生物学的に言えば人間は動物であり哲学的に言えば動物の真似をしないように努力している動物である.

それに対して機械はいくら何をしても機械である.喋れたとしても動けたとしても機械である.機械に感情はない.感情が生まれたように感じている人は幻想を抱いているだけである.

少し話が長くなったが今後は物理=機械=物理の世界が構築されていく.

これは私の意見にしか過ぎないが多くの人が賛同してくれるだろう.それは僕らがスマートフォンを利用している限り言える.

最近多くの人がスマホで何でも完結する場合が多くなってしまった.例えば旅行に行くとしよう従来であれば旅行に行くためには旅行代理店を介していただろう.しかし今は多くの人がインターネット上に存在するサービスを利用し,それをまるっきり信じて旅行に行こうとしてしまう.

電車を使う場合も同じようにそうだろう.しかしそれは良い世界とは言えない.

旅行代理店というのは物理世界でのコミュニケーション,関わりを持つことでその人に最適な旅行先を提示してくれる.

しかしインターネットサービスは違う.

その人の渡航履歴や口コミといったデータは存在している.そこからその人に最適な旅行先を提示してくれるかもしれない.しかしそこには大きな欠点が存在する.

それは対象人物の心情や今までの行動の変化にアルゴリズムでは適応できないところだ.

物理世界の旅行代理店ではその人の事を視覚的に捉えることができ,その人の存在について認知している.

何度も利用していればそうだ.

すると多くの人が「自分で判断すれば良いじゃないか.そのために口コミというサービスが存在いしているじゃないか」という.しかし本当に君たちは口コミを真に信じているのか?と僕は問いたい.

本当に信じているのならばそれ以上の愚行はないだろう.

そもそも口コミとはプライバシーの関係上その人の情報は開示されることはない.従って誰が書いたかも分からないような意見を鵜呑みにしていることじなる.

例えばグルメサイトの口コミなんかいい例だろう.

テレビやインフルエンサーに紹介されているような店にばかり口コミが集中し過ぎている.そして口コミには店に関係ないような意見を書いたり本当に食べに行ったのか?が全く分からない.

プライバシー保護の関係上仕方がない事かもしれないがそこには一才の事実が存在しない.

しかしそれを本気に鵜呑みにし,行動までもが変化している事には違和感を感じる.

「口コミで良かったから」「ユーザーのいいね満足度が高かったから」という話は本来ならあってはならない事なのだが,今では普通に行われている.

勝手に不正確の事実を作り,それを鵜呑みにし行動するこれ以上の愚行はないだろう.それが自然と行われている社会を批判しなければいけない.

人は人とのコミュニケーションを忘れてはいけない.

ロボットが医療現場に代替され診察を行なってくれるとしよう.しかし不正確なアルゴリズムによって最適な結果を求めることはできない.

それはその人のアイデンティティがあるからだろう.

そのレベルを今になって議論しているのはおかしな話だ.

現代人はテクノロジーを過信し過ぎている.私はよくテクノロジーに関して述べることが多くAIによって可能になる社会やクリエティブ人材の必要性などが中心となっている.

しかし一度としてテクノロジーを絶対的な存在として崇めたことはない.テクノロジーはテクノロジーであり人は人である私の中の考え方があるからだ.

それを踏まえていうのが今の社会ではテクノロジーを過信し過ぎている.テクノロジーが何とかしてくれる.テクノロジーによっていい世界が迎えられる.テクノロジーによって人間は進化できる.

そんな馬鹿げた話は存在しない.

テクノロジーによって多くの仕事が代替される.それによって多くの人は会社から解放され,多くの人がクリエティブな人材として自由になれる.それは間違いだ.

これはマルクス・ガブリエルの著書でも述べられていたことだが,多くの職業が代替されても現実の社会は「毎日Netflixを見て企業のアルゴリズムにリコメンデーションするだけの存在になる」これがリアルだ.

誰もがクリエイティブな人材になれるわけではない.今より腐敗した世の中になるのは確実なことだと言える.

ここまで述べた通りテクノロジーの発展は絶対にいい世界が迎えられるわけではない.それは僕らの倫理観や視点が変化しない限り常にリコメンデーションに貢献する無駄働きになってしまう.

我々人類は人は人であり機械は機械であると認識しなくてはならない.そしてそれ以上はないと認識しなくてはならないのだ.

そして人と人のコミュニケーションを大切にしなくてはならない.人とのコミュニケーションをやめ個人主義になっている社会では機械と人との認識が混沌とし,機械を人と認識してしまう最悪の状態になる.

間に機械が入ることで効率化が図れる事に変わりはない.しかしそれ以上に必要なのが個人の視点であり倫理観なのである.

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