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ARGENTINA 1985

こんにちは、ぺぺです。

私はご縁あって中南米と10年以上のおつきあいがあります。日本の方々に中南米が少しでも身近な存在になるよう ”教科書では学べないディープでリアルなラテンアメリカの魅力 をお届けする” をコンセプトに書かせ頂いております!

本日はamazon primeで絶賛公開中の映画、"アルゼンチン1985 ~歴史を変えた裁判" (Argentina 1985)のレビューをお送りいたします。

名作であることに議論の余地はありませんが、日本の方には馴染みないことも多いことから時代背景等の解説を交え僭越ながらお送りさせて頂こうと思います。

Amazon.co.jpより引用

●テーマは1985年の軍事裁判

主人公は当時のストラセラ検事。

1976年から1983年まで続いた軍事独裁政権の軍上層部の非人道的な行いを、同検事が起訴をするという内容のノンフィクションドラマ。

●軍事独裁政権の軍上層部とは

ホルヘ・ラファエル・ビデラ
口元の髭から”アルゼンチンのヒトラー”。独裁政権の主犯格で最高責任者。
大統領時代には秘密警察を使って3万人以上?の民間人を殺害(行方不明者多数で実際の死者数不明)。

エミリオ・エドゥアルド・マセラ
海軍トップでアルゼンチンのヒムラーと称される。誘拐した民間人を飛行機から生きたまま大西洋に突き落とす残虐行為を指揮。

レオポルド・ガルティエリ
フォークランド紛争(アルゼンチン側の呼び名はマルビーナス戦争)を引き起こし甚大な人的被害を発生させる。サッチャー率いるイギリスに敗北し民政移管へ。

他4名(この裁判では)

黒歴史!アルゼンチン軍事独裁政権時代|ペペ|note 軍事独裁政権時代の詳細はこちらもご覧ください。

●4つの問題点

裁判を行う上での問題は以下4点。

  1. 人材難- ストラセラの長年の検察仲間は身の危険を察知し協力的でなくチームが組めない。

  2. 時間的制約- 軍上層部が行った膨大な量の非人道行為を立件するための証拠が皆無で裁判までの時間的制約がつきまとう。

  3. 世論を完全にとりこめない- 民政移管直後であったことから、保守層(一部過激な右派等)は裁判を行うことの正当性を感じられず、一定数未だに軍部の行いを支持する者すらいた。

  4. 反対勢力からの嫌がらせ- 検事やその関係者・家族への反対勢力からの執拗な脅迫やいやがらせ(爆破予告や身内への傷害・誘拐予告等)

●打開策は

  1. 人材難はキャリアのない若手弁護士や法律家を採用、抜擢。若手ならではの情熱や行動力がチームを活性化。

  2. 裁判までの準備(立証)期間はわずか4か月だった。ストラセラ検事と彼の右腕、オカンポス補佐はリーダーシップを発揮し効率的に人員を配備。A.民間人が誘拐され拘留された拘置所ごとに調査させる。B. 地域ごとに捜査させる。 C.年代ごとに調査させる。D. 国家行方不明者対策委員会や行方不明者の母の会(5月広場の母)の援助を請う等。

  3. 世論を取り込むために行ったことは徹底的に証人を集めること。実際に拘置所で拷問を受けたり一緒に誘拐された恋人を後に殺害されたり、強姦されたという経験を持つ証人を法廷に招いて悲惨な実体験を語らせることで世論をとりこんでいった。

  4. 家族の理解や友人の助言、身近な人々の不断の支えがストラセラと彼のチームの原動力に。メディアに取り上げられることが増えると、リスクがありながらも軍指導部との対決姿勢を一貫して示す彼の姿勢に心を打たれた国民の支持が急拡大、国民的英雄(Heroe nacional)と呼ばれるまでに。

●判決のゆくえ

是非映画を見てみてください。

●裁判がもたらしたもの

アルゼンチンのその後の安定的な民主主義に貢献(経済は別)。三権分立が重要視され軍部の力による現状変更を二度と許さないという概念が確立。NUNCA MAS(二度とご免だという意味)がその象徴的な表現としてアルゼンチン国民に浸透。アルゼンチン政府は他のラテンアメリカの国々に対しても、”クーデターによって発足した政権はいかなる場合でも、正当な政権として認めない”と公言している。

これらのことからも、ストラセラが危険を顧みず行動し、リーダシップを発揮して軍上層部を起訴した功績は計り知れない。現代版アルゼンチン民主化の父といってもよい。これからもアルゼンチンのデモクラシーがいつまでも続くことを心から願う。

これからも皆様に有益な情報を色々発信させていただきますので記事が面白いと思ってくださった方は是非、スキ&フォローを宜しくお願い致します。


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