見出し画像

きょうのおみくじ

 昨日は初詣へ。その足でアウトレットに行き、本当に欲しいものを1点だけ探して買う、というささやかな楽しみを満喫しました。

 2019年、家人は大厄ということでお祓いもしてきました。悪いものを全て落としきったところで[おみくじ]を引いたところ、なんと家人には大吉が、僕には凶がでました。世間には辛辣な運勢を占うおみくじを提供して、身も心も引き締めてくれる神社仏閣もありますが、参拝したところはそういった特色が噂されるような場所ではありませんでした。
 凶……7段階中、7番目。良いことはおろか救いの手段すら一欠片も書かれていませんでしたよ。

 そんな流れで、アウトレットのカフェで休憩がてら緊急会議。正月食に慣れきっていた舌や鼻は、ケーキの洋風の甘みに小さく感激しました。
 そういえば、僕の2019年は六星占術の大殺界真っ只中であったことも思い出して、いろいろな占いサイトを見て、あーでもないこーでもないと、脳内のリトル矢口が右往左往。あまつさえ、家人と僕の相性が最悪であったことに今更気付き、もうどーしようもないね、と2人で苦笑いする始末。

「占い、信じますか?」

 僕は信じる信じないではなく、利用させて頂く姿勢です。非科学的?バーナム効果? そんなことはどうでも良いのです。 僕が考える現代における占いの意義は2つ、有限化と律動です。

 バーナム効果はあって当然。色んな性格や性質の融合体として僕らは存在しているわけですから。その中の1つを取り上げて指摘されたら、他のものたちは身を潜めがちになります。無自覚な性質を言い当てられれば、合点やら反発やらが巻き起こって、ことさらその傾向が強くなりそうです。
 しかし、無自覚な全ての性質を引き連れて生きていけるほど、皆が皆器用ではないし、それだと感情や行動が分散しがちになって訳が分からなくなります。
 だから、「うん、僕はこうだっ!」と意識の上で自分を選びとって生活するのが生きやすいのではないのかなと思います。そうやって意識上での自分を暫定的に限定していくこと、つまり自己可能性の有限化をすることが占いの1つの利用方法だと思うのです。

 僕はコレだし、アレだし、ソレでもあるけど、とりあえずコレとしよう。
 僕はこうできるし、ああできるし、そうもできるけど、今はこうしてみよう。
 これが僕の占いの楽しみ方です。

 そして律動、つまりリズム。万物が持つ命の証明。鉱物などの無機物にもあるのかもしれない、と最近は感じるようになっています。
 自己のリズム、他者のリズム、世界に固有のリズム、それらが干渉しあって様々な現象が起こっていると僕は考えています。
 占いやおみくじが教えてくれるのは、瞬間の良し悪しではなく、世界にはそういったリズムがあって当然だ、という事実だと思うのです。

 美しさは、世界の美の律動と、自己の感受性の律動とが、揃ったときに初めて心にその姿を現す。人の作りし成功だって、社会という有機体のニーズの律動と、自分の希求の律動とが、揃ったところに生まれるもの。
 凶のおみくじをひいた時に頭に浮かんだのは、きっと今年は世界や社会とのリズムが合いにくいのだろうな、といったところです。そんな年だからこそ、自然の声に耳を傾けて、調和の取れた人の話をしっかり聞いて……自分のリズムを微調整しながら、謹んで、生活したいと思っています。

世界が長大な交響曲だとしたら?
初仕事に向かう朝の思索。

ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!