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檸檬読書記録 『クレーの絵本』

今日の本は
パウル・クレー:絵・谷川俊太郎:詩『クレーの絵本』

この本は、以前noteで紹介している方がいて、気になって読んでみた本。
クレーという画家の絵と共に、谷川俊太郎が詩を添えている作品。

なんとも独特な絵だった。
表紙の魚の絵が魅力的で、他の作品もこういう色合いの絵を描く人なのかと思ったら、中身は全然違った。
淡い色合いのものもあれば、ハッキリしたものもあったり、毒々しいものもあったりと、様々。
だけど一様に言えるのは、線がこの人の個性なのかなと感じた。
(ただ、これは個人的意見だから、見る人によっては全く違ってくると思うけど)
どの絵も、線が独創的で、惹かれる部分だった。

そして谷川俊太郎の詩の方は、やはり谷川さんは凄いと改めて思えるものだった
残念ながら、頭のゆるゆるな自分では完全には理解できなかったものの、何か訴えるようなものは感じた。

胸を突くような詩がいくつもあって、その中で印象的だった2編を載せようと思います。


『黄色い鳥のいる風景』

「とりがいるから
そらがある
そらがあるから
ふうせんがある
ふうせんがあるから
こどもがはしってる
こどもがはしってるから
わらいがある
わらいがあるから
かなしみがある
いのりがある
ひざまずくじめんがある
じめんがあるから
みずがながれていて
きのうときょうがある
きいろいとりがいるから
すべてのいろとかたちとうごき
せかいがある」

何かが存在するから、反対の何かが存在し得る。
そういうことなのかなと、個人的には解釈した。
1つの何かが存在しているから、違う何かが生まれて、それがどんどん増えていって、世界になる。みたいな。

もう1つは、表紙の絵にもなった魚の詩。


『黄金の魚』

「おおきなさかなはおおきなくちで
ちゅうくらいのさかなをたべ
ちゅうくらいのさかなは
ちいさなさかなをたべ
ちいさなさかなは
もっとちいさな
さかなをたべ
いのちはいのちをいけにえとして
ひかりかがやく
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない」

これも1つ目と似たような感じだけど、こちらは幸せは不幸せなしでは成り立たないという感じだろうか。
どちらも相対するものがあるからこそ、存在できるのかもしれない。
ただこちらは、どんな場所だって、どんな世界だって、幸せだけの世界はないと言っている気がする。
反対に不幸せなだけの世界もないと。
そして幸せがあるからこそ、不幸せがあるし、不幸せを感じるからそこ、幸せを感じられるのではないだろうか。
なんて、思ったり。


こうやって、自分の知らなかった素敵な作品にも出会うことができるから、noteって素晴らしいなと出会いに感動しつつ、今回は閉じようと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ではでは。


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