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歴史の世界を震わせてきた、あの「女性リーダーたち」に思いを馳せる。

今まで、男性がリーダーシップをとることが多かった歴史の世界。
しかしそんな世界だったからこそ、彗星のごとく現れて、鮮やかに何かを成し遂げる女性の登場は、私達の関心の「マト」で有り続けてきました。

ということで今回は、世界に衝撃を与えてきた女性リーダーたちの歴史を振り返ってみたいと思います!

女性の社会進出が活発になってきた今の時代をフレッシュな視覚で捉えるためにも、一度この機会に、一緒に歴史の世界にタイムスリップしてみませんか?

それでは、いってみましょう!

01:中国史上唯一の女性皇帝「則天武后」

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慶長版『歴代君臣図像』
引用:世界史の窓

▼「則天武后」ってどんな人?

最初にご紹介するのは、中国史上唯一の女性皇帝である「則天武后」。

彼女は始め、中国の唐時代の皇帝「高宗」の皇后でした。
しかしこの高宗はとても病弱な皇帝であったため、664年からは則天武后が政治の実権を握ることに。
そして高宗の死後、690年になると、則天武后は血縁のあった跡継ぎ達を相次いで皇子から廃して、ついに自ら皇帝として即位したのです。
彼女の施策は画期的なものも多いですが、反対に残酷な部分もあったと言われています。
では、彼女の治世を少し覗いてみましょう。

▼則天武后はどんな政治をしたのか?

彼女が成し遂げたこととして科挙制の強化、官僚制の整備はとても有名。
なんと彼女は、当時の官吏登用に「文学的才能」を重視する方針を打ち出したのです。
ロジックに基づいた政策や理性的な判断だけではなく、人間の心の豊かさや文化の尊さを大事にするその政治姿勢は、この時代の女性皇帝ならではですね。
また、当時の文学がどれほど人々に愛されていたかも、垣間見ることが出来ますね。

他にも彼女は自ら漢字を創作したり、家畜の殺生や魚の捕獲を禁止したり・・・様々な政策を生み出し、これらは「武周革命」とも言われるほど革新的な政策でした。

この統治下では農民反乱もなく、律令制が維持されていた時代としても評価されています。
最初の女性皇帝だからといって、侮れませんね・・・!

▼悪いうわさが絶えないのはどうしてか?

そんな聡明な政治をしてきた彼女ですが、その彼女の政治体制は、とても強い権力欲によって多くの反対派を排除して成り立ったものだったのです。

そして先ほど、彼女が「跡継ぎを次々に廃した」と説明した通り、残虐な行いも多かったようです。
当時の民衆の反感を買うことも多かったのだとか。

称賛される点と非難される点はそれぞれありますが、彼女は本当に多くのものを世界の歴史に刻んだ人物であることは間違いありません。
良い点からも、悪い点からも現代に活かせる様々な学びが吸収できそうですね。

02:勇猛果敢なフランス少女ジャンヌ・ダルク

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引用:ウィキペディア

▼「ジャンヌ・ダルク」ってどんな人?

お次は、1339年~1453年に起きた百年戦争(フランスとイギリスの対立)において、フランスの窮地を救った少女「ジャンヌ・ダルク」を深堀りしてみましょう。

彼女は、戦争中にイギリスに包囲されていたオルレアンという地を解放に導き、劣勢のフランスを救った【とんでもなく】勇敢な女性なのです・・・!
また、のちにフランス王となる「シャルル7世」の戴冠式を実現させたことでも有名。

ここで驚きなのが、ジャンヌ・ダルクは特別な家の生まれではなく、一般的な農家の娘だったということです。
ごくごく普通の家で生まれ育った彼女は、ある時神のお告げを聞いて、苦しむ人々のために立ち上がったとのこと。
彼女からはなにか神秘的なチカラを感じざるを得ません…。

▼彼女の最期は「魔女裁判」での火炙りの刑だった?!

みなさんは「魔女裁判」というものをご存じですか?
これは中世キリスト教世界で行われていた異端排除のための宗教裁判のこと。
当時の人々は、魔女が呪術を使って人々に様々な害を及ぼすとして考えていました。
その恐怖心から、魔女として疑わしい人物をこの裁判にかけていたのです。

そしてジャンヌ・ダルクもそんな魔女裁判の犠牲者のひとり。
1431年に、イギリスでの魔女裁判にかけられ、最終的に火炙りの刑で処刑されてしまいます。
華々しい活躍を魅せたジャンヌ・ダルクが、こんなにも残酷な最期を迎えるなんて、誰が想像できたのでしょう。

特別な家柄でもなければ、壮健な男性でもない、一見普通の少女が裁判にかけられて殺される・・・。
当時のジャンヌ・ダルクはそうでもしないと抑えられない気迫を持った女性だったのかもしれません。

03:国のために生涯を捧げたエリザベス1世

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引用:ウィキペディア

▼「エリザベス1世」ってどんな人?

最後にご紹介するのは16世紀後半にイギリスの王位についた、「エリザベス1世」。
「わたしはイギリスと結婚した」と言って、生涯結婚することなくその一生をイギリスのために捧げた、なんとも威厳のある女性リーダーです。

彼女の賞賛すべき点は、則天武后のように泥臭いストイックな姿勢や、ジャンヌ・ダルクのような神秘的で華のある行動ではなく、イギリスのために誠心誠意尽くす、その母のような慈悲深さにあります。

では、この「慈悲深さ」とは一体どういうことなのか・・・彼女の功績を振り返りながら考えてみましょう!

▼「エリザベス1世」の功績とは?

①「統一法」の制定
みなさんは、高校生の時に習った「宗教改革」を覚えていますか?
16世紀にキリスト教世界を、カトリック教会とプロテスタントに二分することとなり、同時に社会と政治の変動をもたらした大きな変革のことです。

エリザベス1世が即位した当時のイギリスは、まだカトリックとプロテスタントの宗教対立が続いていた時代でした。そこで彼女は、そのどちらにも偏らない両方の儀式の要素を取り入れた「統一法」を制定し、イギリスの宗教混乱をおさめたのです。

今まで宗教が対立した場合、どちらか片方を禁教にするなどして偏った政策が取られることが多かった、ヨーロッパの歴史の世界。
しかし彼女は急進的な策をとらず、中立的な策を打ち出したのです。
イギリス国民に対する気遣いが感じられますよね。

②スペインを打ち、海外に進出
穏やかかと思われたエリザベス1世も、時には国のために大胆に動いた時がありました。
それは「アルマダ海戦」でのこと・・・当時無敵と言われていたスペイン艦隊に挑み、勝利が薄いだろうと思われていた中、なんと勝利をあげてしまうのです…!

当時、スペインから独立しようとしていたオランダを支持し、スペインと開戦。
そして彼女自身も前線に立ち、指揮を執っていたそうです。
結果イギリスは大々的に海外進出することに成功したのです。

この2つの功績からわかる通り、エリザベス1世は何をするにしてもしっかりメリハリをつけることのできる人格の持ち主。
歴史的偉業以前に、彼女には人として見習いたい部分がたくさんありますね!


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いかがでしたか?
強かで芯のある巧みな政策、想像以上に大胆でワイルドな活躍ぶり・・・
女性という性別の壁を超えて、本当に圧倒させられることばかり。
政治分野だけでなく、日々の生活にも落とし込めるようなことが多かったのではないでしょうか?

良い部分は吸収し、悪い部分は繰り返さないように。

現代に活かすことのできる学びを…みなさんも自分なりに見つけてみてください!。

他にも、歴史を簡単に振り返ることが出来る記事を、私たたちのマガジンにて更新中ですので、是非読んでいただけると嬉しいです。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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