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なぜ人はホラー映画に恐怖を感じるのか?

ホラー映画の名作『エクソシスト』(1973年)は怖くない。

『エクソシスト』公開当時、あまりの恐怖に失神者が続出したという話があるが、それは、恐怖というより気持ち悪さによるものではないかと想像する。

悪魔に憑りつかれる少女リーガンの顔が回ったり、緑色のゲロを吐いたりといったシーンは、確かに公開当時、刺激的表現だったと思う。しかし、それらが観客にもたらしたのは、本当に「恐怖」だったのだろうか。「恐怖」でなく「気持ち悪さ」ではなかったか、と感じるのである。

恐怖のメカニズム

『エクソシスト』が観客にもたらしたのは、恐怖でなく気持ち悪さだった。そう感じるのには理由がある。

ホラー映画を観ていて「恐怖」を感じるのは、3つの要素が含まれている場合と思っている。

3つの要素、それは「具体的な対象」「予感」「的中」である。主人公たちに危害を加える「具体的な対象」、その具体的対象が現れる(襲ってくる)かもしれないという「予感」、そしてその「予感」が的中した時、恐怖がピークになる。

恐怖のメカニズム

「予感」だけだとそれは「心配」や「不安」となる。「的中」だけであれば、それは「驚き」である。「具体的な対象」だけの場合、見た目による「不気味さ」や「気持ち悪さ」である。

『エクソシスト』では、少女に憑りつく悪魔が、危害を加える「具体的な対象」となる。また、悪魔に憑りつかれ、首が回ったり緑色のゲロを吐く少女も「具体的な対象」といえる。

しかし、この悪魔もしくは悪魔に憑りつかれた少女は、ゆったりと姿を現し、しまいにはベッドの上で優雅に寝そべり、悪魔言葉をつぶやいていたりする。

そのため、「的中」や「予感」が希薄なのである。それが、『エクソシスト』がもたらすのは「恐怖」でなく「気持ち悪さ」ではないか?と感じる所以である。

『エクソシスト』を観て感じるのは、この作品は、恐怖を与えるホラー映画ではなく、少女に憑りついた悪魔と悪魔祓いを行う神父の戦いを描いた、壮大な人間ドラマということである。

恐怖演出の達人スピルバーグ

恐怖の三大要素「具体的な対象」「予感」「的中」において、映画で最も重要と感じるのは「予感」である。

「何か来る」「来るぞ、来るぞ」という予感があるからこそ、その予感が的中して主人公が何者かに襲われた時、恐怖がピークになる。この「予感」の描き方が上手いと恐怖を強く感じるようになる。

最近のホラー映画だと、ジェームズ・ワン監督は「予感」の描き方が上手いと感じる。

例えば『死霊館』(2013年)で、母親が子どもとかくれんぼをするシーン。目隠し、手拍子の音、箪笥が勝手にギーと開く描写で、観客に箪笥の中に「何かいる」という「予感」を感じさせる。そして、クローゼットの中から手だけがヌっと現れる。しかし、現れるのは手だけで、その全体像はまだ見せない。観客に「予感」を持続させるのである。

このような「予感」の演出が上手く、達人級なのがスティーブン・スピルバーグである。

スピルバーグは、『E.T.』などのファンタジーや『インディ・ジョーンズ』などの冒険映画、『シンドラーのリスト』はじめ社会派作品と多くのジャンルの作品を撮るが、最もスピルバーグの凄みを感じるのは、巧みな「予感」演出で恐怖を与える作品である。

『激突!』『ジョーズ』『ジュラシック・パーク』『宇宙戦争』がそれに当たる。

これら作品に共通しているのは、「具体的な対象」がちょっとずつ登場するということだ。

例えば「ジョーズ」の場合、サメの背びれだけ海面に出てきて、ジョン・ウィリアムズの曲が流れる。すると観客は「来るぞ、来るぞ」となる。「ジュラシック・パーク」は、ドスンドスンという大きな足音と、コップの中の水が振動する描写でやはり「何か来る」という印象を与える。

また、「具体的な対象」登場直前には「具体的な対象」そのものでなく、あおり視線で登場人物たちの恐怖に歪んだ表情が映される。「ジュラシック・パーク」でティラノサウルスに襲われそうな車の中にいる人物たちや、「宇宙戦争」でトライポットが登場した時の住民たちなどである。

あおり視線(下から上の方向)だと、「具体的な対象」が巨大な物を想像させる。「具体的な対象」はやはり、小さいより大きい方が怖い。あおり視線の歪んだ表情によって、観客は、巨大な物が「来ちゃうよ、来ちゃうよ」となるのである。

さらに、「具体的な対象」の登場もいきなりドーンとは登場しない。「激突!」では車のバックミラーに「具体的な対象」トレーラーが映り、「宇宙戦争」ではデジカメの液晶画面にトライポットが映る。このように「具体的な対象」がまずは間接的に描写され、「来てるよ、来てるよ」となる。

「来るぞ、来るぞ」が「来ちゃうよ、来ちゃうよ」になり、「来てるよ、来てるよ」を経て、ようやく観客に「具体的な対象」が提示される。

これだけ焦らされているので、観客の恐怖はピーク中のピークとなる。

このような「予感」を煽る巧みな演出が施されているため、スピルバーグの映画は、観客の作品への没入感を強めることになる。

ホラー映画は減ったのか

最近の特にハリウッドのホラー映画だと、「予感」以外に比重を置いた作品が多い。

「予感」もなく突然大きな音を出して「的中」で驚かせたり、「具体的な対象」のリアルさで気持ち悪さを表現したり、である。

これらは確かに刺激があり、驚きや不気味さを与えてくれる。しかし、そういった作品を観ると、これはホラー映画なのだろうか?と感じることも多くある。ホラー映画とは観客に恐怖を与えることだとすると、驚きや不気味さばかりの作品は、ホラー映画と呼べないのではないか?という思いである。

ジェームズ・ワン作品、そしてスピルバーグ作品のような「予感」が強調された恐怖は、作品への没入感を強め、また、恐怖という刺激も最高潮になる。

ジェームズ・ワンやスピルバーグに限らず、このような「予感」による恐怖を与えてくれる作品を撮る、新たな監督の出現を期待している。

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