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なぜテレビ局は視聴率ばかり気にするのか?

レイチェル・マクアダムス主演の『恋とニュースのつくり方』(2010年)は、朝の情報番組を担当することになった若い女性プロデューサーが、視聴率を上げるために悪戦苦闘する様子が描かれる。

10年程前この映画を観た時、アメリカでもテレビ局というのは視聴率が絶対なのだなという感想を抱いた。

昔ほどではないにしても、日本のテレビ局の人と話していると、彼らの視聴率絶対主義を感じる。そして同時に、その視聴率絶対主義の弊害を感じる。

テレビ局が視聴率絶対主義になる理由

全員がそうというわけではないが、これまで会ってきたテレビ局の人は、大抵はどのような会話をしていても、根底にある価値基準は視聴率が上がるか否かになる。そのため、テレビ局は視聴率絶対主義が企業文化であり、多くのテレビ局員は骨の髄まで視聴率絶対主義が浸透していると感じる。

なぜここまでテレビ局が視聴率絶対主義なのかというと、視聴率が直接売上に直結するからなのだろうと思う。

テレビ局の主な収入源はテレビCMで、テレビCMはタイムCMとスポットCMに分けられる。

タイムCMは、あらかじめ番組を指定して流すCMのことで、わかりやすいのが一社提供のような番組になる。

視聴率の価値という意味でわかりやすいのは、CMを流す番組や時間帯を指定しないスポットCMで、スポットCMにおける売買ではGRP(延べ視聴率)という数値が用いられる。GRPは、一定期間においてCMを流した視聴率の合計を指す(視聴率10%の番組10本にCMを流したらGRPは100)。

スポンサーは、例えば「1000GRPを購入」というようにCMを購入する。テレビ局は、1000GRPに相当するように複数の番組でCMを流す。

在京キー局であれば、1GRP辺り10万円前後が相場とされるので、それに従うと、1000GRP=1億円がCM料金となる。

こういう計算式でスポットCMの売買がなされるため、GRPを消費する番組数が少ない方が、テレビ局にとってはより多くのテレビCMを獲得できることになる。

例えば、視聴率10%の番組が100本あれば1000GRPは達成されるけれども、視聴率5%だと、CMを流す番組は200本必要になる。だから視聴率が高い方が、売上貢献は大きくなる。

このように、視聴率1%の違いは、売上に直接、多大な影響を及ぼす。

そのため、テレビ局は視聴率絶対主義なのだと思う。

テレビの価値を測る指標

数年前からタイムシフト視聴率(録画再生率)を測定開始したり、先日、TVerが同時配信を開始したりと、テレビ番組に対して、視聴率以外の指標を加える動きはある。

これら、視聴率以外の指標導入については、測定方法の構築や、関係する多数の企業の調整事に時間がかかったのだと思うが、”遅い”と感じる。

今ではテレビ自体が斜陽産業と見なされるようになってきたし、先日、インターネット広告費がテレビ広告費を上回ったことが発表された。

しかし、インターネットメディアの隆盛は、20年ほど前からわかっていたことである。それでもテレビ局にとっては長いこと「録画は悪」であり「インターネットは敵」だったといえる。それは、「視聴率を邪魔する存在」だったからだろう。

これらは、テレビ局以外の人間からすると極めて不思議なことを言っていて、録画でもインターネットでもテレビ番組を視聴していることに変わりはない。(録画のCMスキップ問題はあるが、テレビ番組視聴という点だけを取れば)録画やインターネット視聴を視聴率に取り入れれば、テレビの価値向上になるのは当たり前のことと感じる。

テレビの価値は視聴率だけで測れるものではないし、テレビCMの価値も同様である。視聴率以外の指標を早い段階から取り入れていれば、テレビ自体の価値をもっと向上させることはできていたように思う。

しかし、視聴率という唯一絶対の指標に捕らわれていると、「テレビの価値を正しく測る方法はないか」ではなく、近視眼的になって「どうやって視聴率を上げるか」ばかりに目が行くようになる。それ以外は敵となる。

唯一の指標の弊害

このように、唯一の指標というのは弊害が大きい。それは、テレビ局に限った話ではない。

例えば、なんだかんだといって、日本はまだ学歴社会が残っていると思うけれども、実際のところ、どこの大学を出ましたという学歴は、名刺としての役割以外の価値はない

学歴というのは、テストの点数という唯一の指標で人の価値を測る手法で、勉強のセンスがあればその唯一の指標はクリアできる。しかし、当然のことながら、仕事において必要なのは勉強のセンスではない。

仕事において必要なのは、業界によって異なると思うが、論理思考だったり共感力だったり文章力だったり様々で、また、人間力というような数値で測りずらい部分もたくさんある。

東大、京大、早慶といった一流とされる大学出身者でも、どうしようもないくらい仕事ができない人は大勢見てきたし、だから、学歴という唯一の指標で人の価値を測るのは愚かだと思っている。

唯一の指標で価値を測ると近視眼的になり、それが行き過ぎると不正にもつながりかねない。

目標をシンプルに単一の数値で示すのは、チームの結束力や行動力を促し価値があると思う。

しかし、目標と指標は異なる。混同されるべき代物ではない。

唯一の目標を持つのはよいが、唯一の指標が価値基準となることは、メリットよりもデメリットの方がはるかに大きい。

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