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なぜ90年代ヒット曲は「英語のサビ」が多いのか?

先日、会社で90年代カルチャーをテーマにフリーディスカッションを行った。

参加メンバーは、90年代を生きた世代もいるし、90年代を知らない世代もいる。

幾つか意見が出る中、90年代を描いた映画について話がでた。真っ先に挙げられたのは『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(2018年)だった。

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は、90年代を女子高生として過ごした主人公たちの20年後が描かれており、90年代の回想シーンで、当時のカルチャーが頻繁に登場する。

音楽を担当しているのは、90年代に社会現象を巻き起こした小室哲哉である。

小室哲哉を知らない世代

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』の話の流れで小室哲哉に話が及んだ時、90年代を生きてきた身からすると信じがたかったのは「小室哲哉を知らない」という若者がいることだった。

90年代、あれだけヒットチャートを独占した小室哲哉もしくはTKファミリーを知らないとは。

そこで、何曲か小室哲哉の曲をかけることにした。こういう曲がよく流れていたなあと感慨に耽っていると、ニヤニヤし始める若者がいた。なぜニヤニヤしているのか聞くと、

「サビがYEH YEHとWOW WOWだけって、すごいなと思って」

流れていたのはtrfの『survival dAnce』である。確かにサビは、YEH YEHとWOW WOWだけでほぼ作られている。さらに同じtrfの『CRAZY GONNA CRAZY』が流れると、

「クレイジー、クレイジーって、コンプラに引っかかりそうな歌詞ですね」

ということだった。

なるほど。確かにそうかもしれない。若者は、するどい。そして最後、若者が言った言葉が気になった。

90年代は、サビが英語の曲が多いですね

90年代ヒット曲の歌詞

90年代、小室哲哉楽曲をはじめ、テレビや街中で流れてくる楽曲は、確かに英語のサビが多かったような気がした。

実際どうだったんだろうと思い、1990年代の10年間、オリコンCDランキング年間TOP10のサビ部分を見てみた。すると、90年代は、5割前後の割合でサビに英語が含まれている。

参考に、2021年のSpotifyの再生数年間TOP10を見てみると、英語歌詞のBTSを除く10曲のうち、サビに英語が含まれているのは平井大『Stand by me, Stand by you.』のみで、他は、歌詞にも曲タイトルにも英語が含まれていなかった。

こうして見てみると、確かに90年代のヒット曲は、サビが英語の曲が多かったと言えるのかもしれない。

90年代は情報爆発前の過渡期

90年代はバブルの狂乱が終わり、”ジャパン・アズ・ナンバーワン”の神話が崩れ去り、氷河期時代に突入した。地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇事件のような暗いニュースが目立ち、日本に対して希望が持ちにくい時代だったのかもしれない。

90年代のスターとして野茂英雄と中田英寿がいる。彼らは二人とも、(実際は違うと思うが)チームや組織に群れない異質な存在、一匹狼というキャラクターであり、そして、海外に単独で飛び立っていった。

今は若い時から海外へ挑戦することも、海外で活躍することも珍しくないが、90年代はそんな彼らが特別な存在で、かっこいい時代だった。フリーターを自由人と呼び、自分探しに海外へ旅に出る人もいた。

海外への留学生は、90年代に急増している(文部科学省発表「外国人留学生在籍状況調査」及び「日本人の海外留学者数」等について」より)。

90年代の海外志向は、何かを海外で勉強したい/働きたいといった具体的な海外志向というより(勿論そういう人もいたが)、期待できない日本から脱出したいという感覚が根底にあったのではないかと思う。

しかし、インターネットもグローバリゼーションもまだ萌芽を見せていた段階で、今のように誰でもスマホですぐに世界中の情報が手に入る時代でもない。

そして、インターネットもなく中途半端な海外情報を持ちながら、「Can you celebrate?」のような中途半端な英語歌詞の曲を、髪を茶髪にして皆で聴く。本物の海外でなくても、海外ぽければOK、海外ぽければカッコいいという感覚がベースとして存在していたのではないかと感じる。

インターネットの普及が進んできた1990年代末期、「オートマチック!」というカタカナ表記でなく、しっかり英語で「It’s automatic.」と歌う宇多田ヒカルの登場と前後して小室哲哉ブームが急速に終焉するのも、海外っぽさではなく、本物の海外を知ることができる環境になりつつあったことと関係があるのかもしれない。

90年代は、日本国内に閉じられたバブル期から、インターネットによる情報爆発で、視野が世界に開かれるまでの過渡期だった。

90年代ヒット曲に英語のサビが多いのが海外への憧れを反映しているのかどうか、その確かな因果はわからないけれども、過渡期ゆえの情報の中途半端さが、中途半端な英語歌詞だとしても小室哲哉楽曲が大衆に受け入れられたことと、無関係ではないのではないかと思う。

90年代を若者に属する世代として生きた身として、当時、どちらかといえばアンチ小室哲哉的なポジションにいたものの、小室哲哉の曲が流れると、懐かしさがこみ上げたことに驚いた。

フリーディスカッションにおける若者の言葉に驚きを覚えつつ、世界中の情報がリアルタイムで手に入る現在と違う、過渡期の90年代のカルチャーは何だったのか、改めて考えてみるのも楽しそうだなと思った。

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