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誹謗中傷のその先

今、巷で話題になっているワードがある。

それが誹謗中傷だ。

某テレビ番組で若い女性芸能人が亡くなった事件は記憶に新しい。

ご冥福をお祈りする。

今日はそんな誹謗中傷が教育に置いてどのような影響を及ぼすのかについて述べていく。

1.当たり前のように溢れている誹謗中傷

バカ。

この1つの言葉を見たり、聞いたりしたことが1回でもある人はいるはずだ。

このような言葉は私たちの日常に当たり前のように溢れている。

子どもたちなんかは特にそうだ。

テレビ番組を見ていても、人が人をバカにして、罵り合う内容が多い。

教育上よくないとテレビを消すが、目と耳に入った言葉は脳で処理をされ、子どもたちはどこかで出力をする。それも悪気なく。

そんなのはいじりだ。そう簡単に済ませる人もいるだろう。

その人はその人の視点でしかその言葉の軽重を判断していないのだから。

子どもも一緒だ。大人が使っているのだから。

今、話題になっている誹謗中傷という言葉に対してようやく世間が敏感になりはじめている。

この風潮に私たち大人はどう行動していくべきなのだろうか。

2.匿名の恐ろしさ

これはTwitterやInstagramが代表される。

悪口を書くにしても、嬉しい言葉にしても全て「誰が」言ったかは不明のままだ。

匿名だから何を言っても自分は守られる。

誰かも同じように発言をしているから自分も大丈夫。

そんな安心感が人を傷つける行為へとつながるのは非常に残念である。

学校で言えばいじめと関係する。

クラスの中で誰かが「A、あいつこの前遊びの時こんなことしたんだぜ。アホだよな〜。」

発言者のBはこれを誹謗中傷と捉えるだろうか。

否と私は考える。

ただ自分の意見を第3者に伝えただけなのだから。

聞いた方は「そうなんだ。」と反応をし、「確かに、あいつこの前も…。」とさらに厚みの増した話へと展開していくかもしれない。

先のSNSの話へ戻そう。

今回はメディアであったが、個人の何かの呟きや投稿が攻撃の標的とされる事実は多岐に渡る。

1人が悪口(コメントを書いた本人はその意識がない)を書いたら、それに付随するかのように「同意」や「悪評」が嵐のように埋め尽くされる。

しかし、匿名だから安心して毒を吐ける。

それで誰かが命を脅かすような行動をする心持ちになっていることも知らずに。

3.教えるべき本質は

よく学校では「自分が言われたらどんな気持ちになる?」と指導をする。

子どもがよくいうのが「嫌な気持ち」である。

言語表現や語彙力の少なさが気持ちだけの回答で収まっている。

これが課題だと考える。

誰だって嫌な気持ちになるのだ。

もし自分が同じような言葉を浴びせられてみたら、「嫌」以外の様々な気持ちが出てくるはずだ。

私なんていなくなってしまえばいい。

こんなことをいわれる自分は何をしてもダメなんだ。

何をするにしても言われた言葉がのしかかるなぁ。

私は誹謗中傷をしてしまう人たちに最も足りないのは、「人を思う気持ち」ではなく、「自分が言われたら」という視点の反転だと思う。

そして、言われたときの豊かな語彙で表出できる言語能力だ。

「嫌な気持ち」で終わってしまうから、同じような場面に出くわした際にまた同様の言葉だけで自分の気持ちを収めてしまう。

その時自分は何を思い、どうしたかったのか。

これからどうしていきたいのか。

それについて子どもたちには表出する機会をたくさん与えていきたい。

そして、誹謗中傷を軽い面持ちで使う人のようにならないように視点の反転も同時に教えていきたい。

本質を教えることで、言葉だけで人の命を奪える人間は減少するかもしれないのだから。


情報モラルと昨今叫ばれているが、本質はそこではない。

今重要なのはSNS上で起きたからというところではないのだ。

相手を傷つけてしまう言葉やその受け止め方、人と人同士のコミュニケーションをもう一度見直す。これこそが議題にあげられるべき喫緊の課題なのだ。




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