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雨の隙間に傘をさす〔ショートショート〕

「てるてる坊主はキレてるわ」と隣りで妻が言う。「明日も雨だって」。

「天気予報は当たるね」
と僕は返した。

 新潟市内から車を走らせる。妻のお気に入りのレストランで夕食を済ませたあとの帰り道。フロントガラスに垂れる雨を見てワイパーを1段階上げてから、僕は横目で助手席の彼女を一目見る。表情は険しい。

「気象予測」と妻。
「ん?」
「天気予報じゃなくて、気象予測。こんなにつまんないくらい予測できるようになったんだから」
「どう違うのさ?」
「もう天の気持ちを考えてないから。現象を気にしてるだけよ」

 ——僕はそんな不機嫌な妻が好きだ。

 僕らが付き合いだしたのは高校生の時だから、彼女を好きになって10年が経つということになる。その日のことは今でもよく覚えている。
 六月のどしゃ降りの雨の日。そんな日に傘を忘れた間抜けな僕を自分の傘のなかに迎い入れてくれた。

「明日晴れたら付き合ってあげる」

 二人で肩を並べて歩く帰り道にそんなことを言って僕をからかってきた。高校時代の妻はいつも楽しそうだった。いつもそんな調子だったから一緒にいるとこっちまで明るくなる、そんな相手だった。だから当然、怒っている所なんて見たことはないし、彼女がつまらないことなんてこの世にないんじゃないかとも思えた。
 彼女の傘を僕が持って、並んで歩いた。最寄り駅から電車に乗り、その後また、ふたり並んで歩いた。なにを話したかはあまり覚えていない。たしか「きょうは雨の予報だったでしょ」とか、そんな感じだったと思う。でもこの時点では僕は彼女のことを特別意識していたわけじゃなかったから、覚えていなくても当然だと思う。
 この後だ。そう、僕はこの後、彼女を好きになる。
 
 僕は家の玄関が見えるところまできたから彼女に傘を握らせてから、
「じゃ、ありがとう」と、自宅の軒先に走った。

 でも彼女は、その動きに釣られたんだと思う。傘を持った手をそのまま僕の動きに合わせて伸ばしたらしい。

「うわっ、さいあく」

 肩が濡れたと不機嫌そうに眉を寄せている彼女を、僕は見ていた。
 そして、僕は彼女を好きになった。

 そんなぶっきらぼうに嘆く姿をどうして好きだと思ったのかは説明できない。けれど、これは一目ぼれといっても良いと思っている。いままで見たことのある彼女はもう、そこには居ないわけで、六月の雨の隙間から見える僕の全く知らない彼女を見た瞬間に好きになったのだから。
 このことを妻に話したことはない。彼女には「あの日、相合い傘で帰ったときに好きになった」と言ってある。別に嘘ではない。

 次の日、僕は傘を持って行かなかった。ずぶ濡れになりながら着いた校門の前で彼女を見つけた。

「晴れてるよ」と言うと、
「そうだね」と彼女は答えた。

 なぜだか、彼女も傘を持ってきていなかった。
「晴れなのに傘持ってきたら可笑しいじゃん」と笑い、
「最近の天気予報はあたるんだから」と雨の中に僕を誘った。

——彼女が不機嫌になるとその日のことを思い出す。
だから、不機嫌な妻が大好きだ。

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