愛なんて、死ぬまでわかる気がしないけど。
愛とは何か。ずっと考えている。ここ3年くらいずっと。
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読んでみたり、最近は会社の同期の男の子と、愛について何か思うことがあるたび議論している。あれこれ考えてみても全然答えは出ないし、これこそ永遠の問いなんじゃないかとも思う。
そんななか、ほんの少しの気づきがあったので、書いてみる。気づきともいえないほどのぼんやりとしたものだけど。
引用:僕らは言葉でできている
コピーライターの尾形真理子さんによるルミネ広告のコピーだ。いろんな記事でも取り上げられているし、見たことがある人も多いかもしれない。
少し前にこのコピーを教えてもらって、いろいろ考えるうちにとてもしっくりきた。
春は出会いの季節でもあります。奇跡と思える出会いを、わたしたちは恋と呼ぶのかも知れません。
そしてその関係を育てていくのには意思が必要。偶然の出会いの中にも、確かな自分の意思をもって前に進む。そんなことを考えてコピーを書いています。(コピーライター/尾形真理子)
こうやってテキストだけで見ると、その凛とした力強さが増すような気がする。
意思とは無関係に、奇跡のように始まる恋。一方で、自分の意思で育んでいく愛。
ふたりのあいだに意思がなければ、関係を続けていくことは難しい。一緒にいたい、大事にしたいという願いと、実際にそうすると決めて前に進むたしかな意思。
愛は意思。なるほど。
すこしずれるけれど、同じ会社のライターの先輩であり、心の師匠でもある人に「なんでそんなに頑張れるんですか」と聞いたことがあった。休みの日も関係なく仕事をしていて、よく取材で国内外問わず飛び回っているような人だ。正直しんどそうにしているときもあるから、つい聞いてしまった。
そのときの師匠の答えは拍子抜けするくらいシンプルだった。
「やるって自分で決めたから、やってんだよ」
好きから始まって、理想や成し遂げたいことがあって、そのために頑張るというのももちろんあるけれど、自分の意思でやると決めたからやる。苦しかったり、離れたいと思うときがあっても、やっていくと決めたから、その仕事と向き合い続ける。
ああ、愛だな。とぼんやりと思ったことを思い出した。師匠は、仕事に対して愛をもっているのだなと。
愛とは、自分の意思で前に進み続けることなのかもしれない。
好きだから、愛すると決めたから、好きじゃないときも一緒にいる。前に進んでいく。(ゼクシィのコピーみたいになっちゃった)
それはひとつの覚悟であり、力強い意思だ。揺らぎなくて、凛としていて、かっこいい。誰にも邪魔なんてできない。
自分以外の誰かに対してそういうふうに思えるのって、めちゃくちゃ尊いし、しあわせなことなんじゃないだろうか。
正直、まだまだわからないことがいっぱいだし、きっと全てを理解することはできないし、死ぬまでわかりたくないような気もするけど。
定義はたくさんあっても、きっとただひとつの答えはないから、大切なひとたちと模索し続けたいし、一生をかけて自分の言葉で自分らしい形をみつけたいなと思っている。
(おしまい)
いつも読んでくださってありがとうございます。大好きです。 サポートいただけたら、とてもうれしいです^^ どうか、穏やかで優しい日々が続きますように。