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世界はどうしてこんなに美しいんだろう。

週末、やっぱり台風直撃らしいよ。
帰りの飛行機、大丈夫かな。

あの巨大な台風19号が上陸する5日前。

まださほど焦りのない声でそんな会話をしながら、朝7時45分羽田発・高松行きの飛行機に乗り込んだ。
10月の早朝だというのに、東京にはしっかりと夏の空気が残っていた。

◆ ◆ ◆

先々月、遅めの夏休みとして平日5日間の夏季休暇を取り、恋人とふたりで瀬戸内海へと渡った。3年に一度の瀬戸内国際芸術祭を目当てに、5つの島を渡り歩く計画をして。

運がいいことに、雨に降られたのは2日目の小豆島の一瞬だけで、あとはびっくりするくらい雲ひとつない晴天ばかりだった。

作品鑑賞パスポート片手にたくさんのアート作品と対峙して、いろんなことを思ったのだけど、ひとつ、どうしても頭から離れない作品がある。

高松港からフェリーで20分程度で行ける、女木島。
その中心部にある、「島の小さなお店」プロジェクトといういくつもの作品が集合した建物のなかに、それはあった。

photo : Keizo Kioku
「島の中の小さなお店」プロジェクト

古本が並ぶ暗い部屋にひとつのスクリーン。そこには女木島の海沿いをひとりの人物が自転車でただただ走る映像が流れている。自転車には仕掛けがしてあり、ホイールライトによって、前後の車輪にある言葉が浮かび上がる。

「世界はどうしてこんなに美しいんだ」

ハッとした。

自転車を漕ぐたびにくるくると回り続けるこの言葉から、しばらくのあいだ目が離せなかった。

この世界は理不尽なことだらけだ。どんなに綺麗に華やかに装っていても、ぺろんとめくれば、汚くて、醜くて、真っ黒なものがたくさんうごめいている。

きっと誰もが同じように気づきながら、その多くは見て見ぬふりをしている。都合が悪いと隠されることばかり。こんな世の中、最低だ。
いろんなニュースや事件を見聞きするたびに、この世がきれいなものだとは、わたしにはどうしても思えなくなっていた。

でも。
それでも。
この世界は美しいのだろうか。

際限なく流れ続ける映像を見つめながら、思わず考えてしまった。

盲目的に賛美するのでも、見て見ぬ振りするでもなく、きっといろんな理不尽を目にしてもなお、この世界は美しいと疑わないその言葉に、なんだか心の硬くなっていた部分を突き刺されたような気がした。

どうしてそんなふうに言えるのかわからない。でも。

もしかしたら、美しさも醜さも知っているからこそ、本当に美しいものを心から慈しむことができるのかもしれないとふと思った。

人間もそうかもしれない。完璧な部分しか見えない人よりも、良いところも悪いところも深く知った人ほど素敵な部分が輝いて見えたり、結果的にその人をまるごと愛せるような気がする。そこまでに達するのは決して簡単じゃないけれど、どんな面も知ろうとすること、そして向き合うことがその第一歩なのかもしれない。

良い部分、悪い部分どちらかに偏って見てしまうと、たしかに楽だけど、本質的なものは何も見えなくなってしまう。

わたしの心は完全に汚くて、醜くて、悲しくてどうしようもない部分にばかり、かなり引っ張られてしまっていたのだなと、この作品を見て情けなくなった。

頑なにシャットダウンして嘆いていても、この世界は変わらない。
それよりも、もっとやるべきこと、できることがある。

今、自分ができることを探している最中だ。

少し作品に話を戻すと、映像ではただ自転車を漕いでいる様子を横から映しているだけで、一見何の変化もないように感じる。

でも、ずーっと見ていると、海の向こう側の夕暮れの空がだんだんと暗く染まっていくのがわかる。ここにも確実に時は流れている。そんな当たり前のことに気づいたとき、なんだかちょっぴり泣きそうになった。

最後、こんなふうに長い時間、同じ場所から同じ空を見つめていたのはいつだっただろうか。

閉館間際に駆け込み、作品と対峙した時間は10分にも満たなかったのに、これだけ感情が揺さぶられた記憶を、わたしは忘れたくない。

◆ ◆ ◆

島にいた5日間のことを、今でも思い出す。

ひとつひとつのアート自体もすごく面白かったけれど、それらを通して、もとからそこにあった島の景色や音にひどく心が揺り動かされた。

雲ひとつない空、海の青、フェリーから見た燃えるような夕日、静かな海岸、虫の鳴き声。

東京でも見たり聴いたりできるはずのものが、どうしてここだとこんなに美しいと感じるのだろう。

それは、全身で世界と対峙しているような感覚に陥るからかもしれない。

単純だけど、この世界はまだまだ捨てたもんじゃないなあと思ってしまった。

東京での暮らしはもうじゅうぶんに慣れたつもりだけど、ふと疲弊している自分に気づくことも多い。

東京に出てくるまで電車一時間待ちが普通の場所で暮らしていたから、田舎は田舎でいろんな不便さや窮屈さがあるし、都会の人が夢見るスローライフなんてもの存在しないよとも思うけれど、それでもやっぱり、いつかは東京を離れて、海や山が近くにある静かな街で暮らしたいと思った。

父からもらったRICOHのフィルムカメラは、一度落としてしまったせいか、毎回数枚をのぞいて感光し、写真の端に赤く光が入ってしまう。

今やさまざまなカメラアプリでフィルム風の加工ができたり、こういった感光をわざと入れたりするけれど、本物のフィルムはその瞬間の光の量によって入るもので、こちらの思い通りにはいかない。それがいい。

やっぱりフィルムが似合う街が好きだな。

結局5泊6日の瀬戸内海の旅は、最終日に見事台風19号が関東を直撃。それを避けるために一日早い帰宅になってしまったけれど、そんなハプニングも含めてきっと、一生忘れられない思い出として胸のなかにありつづけるだろう。

あたたかくなって、潮風が気持ちのいい季節になったら、またあの場所に行きたい。

いつか来るその日に思いを馳せながら、今日は東京の夜を眠る。

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