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いつか、とびきりスペシャルな名前をあげる。

もうすぐ、梅雨明けだ。雨のにおいから、すこしずつ夏のにおいに移り変わっていくのを感じる。

帰宅後、昼間にたまった部屋の生ぬるい空気に耐えられず、エアコンをつけて涼んでいたら、だんだん寒くなってきて電源を消した。するとたちまちむわんとした空気が身体にまとまりついてきて、また電源をつけた。でもまた寒い。

つけては消して、消してはつけて……

小一時間、そんなことをもう何度も繰り返しているのだけど、この現象に名前を付けるとしたら、いったい何だろう。

◇ ◇ ◇

先日、みなとみらいのBUKATSUDOで、第3回目の「言葉の企画」があった。全6回の講義は、あっという間に折り返しを迎えた。

今回のテーマは「名付けの力」。

事前課題として与えられていたのは、「あなたのまわりでよく見かける現象に名前を付けてください」というものだった。これが、めちゃくちゃ難しかった。

講義中に講師の阿部広太郎さんがおっしゃっていたこと。

名付けは生命力を与えることです。

名前が付くことで、特定のひとりだけのものじゃなくなる。他の誰かの目に触れたり、呼ばれたり、いろんな人のなかに存在することになる。

何かに名前を付けるというのは、思った以上に重みがあることだ。

今回の講義では、企画生がひとり2つ、指定のMSゴシックの文字のみでバーンと記した現象の名前と、解説を書いたスライドを提出した。

名前と解説を交互に見ると、「なるほど」と思いつつも、名前そのものには反映されていない思いや意味がたくさんあって、何だか勝手に悔しい気持ちになった。

自分の提出したふたつの企画もそうだ。うーんうーんと頭を悩ませて、ひねりだしたけれど、解説に頼ってしまった部分がかなり大きかった。

名前を付けることで、そこからこぼれおちてしまうものがある。

もちろんすべてを包括するような名前を付けられたら最高なんだけど、それってめちゃくちゃ難しいことなんだと思う。

だいぶ前のnoteで「はっきりと、くっきりと、輪郭をあきらかにしてしまうことで、言葉にならずにこぼれおちた感情が、なかったことになってしまう気がして悲しい」と書いたことがあった。

わたしにとって、何かに名前を付けるという行為は、この感覚にだいぶ近い。

裏側にはたくさんの思いや意味があったはずなのに、名前としてひとつあきらかにすることで、伝わりきらなかったものたちがぽろぽろとこぼれおちて消えてしまうような、そんな感覚。

だから、その行為がどこか怖かったりする。大げさかもしれないけれど、けっこうな覚悟が必要なのだ。

それに、人をしあわせにしたり、ポジティブにする名付けがある一方で、窮屈にしたり、生きづらくさせてしまうものだってたくさんある。悪意のある名付けは、人を深く深く傷つける。

だったらいっそ、名前なんて付けないほうがいいんじゃないか?という横暴なことを考え始めてしまうのだけど、講義のメモを見返していてひとつ思い出した。

なぜ名付ける必要があるのか
そこに「意志」があるかどうかが重要

そうか、わたしが悲しいのはたぶん、ほんとうは名前を付ける必要がないものに無理に付けようとしているからなのかもしれない。

名前の付けられない感情、関係、事象……。
名付けることができないものが、この世の中にはたくさんある。

誰かと認識をそろえたり、共通のものとして扱うためにどうにか名前を付けようとするけれど、結局そこには名付けるべき意志も理由もない。

心のなかではそのまま曖昧なものにしておきたい、と思っているから、無理やり輪郭を与えてしまうことでこぼれおちていくのが悲しいんだ。

何だかちょっとだけ、わかった気がした。

逆をいえば、名付けることに対して意志や理由があるなら、名前を付ければいいということ。もちろん、心からの敬意を持って。

冒頭の阿部さんの言葉のとおり、名付けは生命力を与えることであり、この世に存在することを証明し、明らかにすることでもある。(と思っている)

だから、今はまだ名前のない何かがここに在ることを証明したい、誰かに知ってもらいたいと思えたとき、わたしはそれに大切に名前を付けたいと思う。いちばんぴったりな、スペシャルなやつを。

そして、たくさんの愛や敬意、思いを込めて付けられた名前は、ちゃんと大切に呼びたい。誰かの意志のもとに生まれた、宝物みたいなものだと思うから。

だから、ちょっとおこがましいお願いだけれど、わたしの名前も呼んでもらえたらうれしい。

よく読み方や漢字を間違えられたり、男の人に勘違いされてしまうこともあるけれど、親がつけてくれた大切な名前だ。誰かが呼んでくれるたびに自分の存在を肯定してもらえたような、そんな気持ちになる。

そういえば、こんなことも前のnoteで書いていたような。そっと貼っておくので、もしよかったら。

きっかけはちがうけれど、結果的に同じような問いやテーマについて何度もぐるぐる考えちゃうのは、クセのようで。

でもそういうのってたぶん、自分の価値観のとてもコアな部分な気がするから、言葉の企画を通してまたひとつ、自分なりに考えて見えてきたものがあるのはとてもうれしい。

言葉について考えをめぐらせるにも、文章を書くにも、けっこうなエネルギーがいる。だからわたしは、noteを一本書きあげることすらなかなかできない。このnoteを書くのにも、だいぶ時間がかかってしまった。

でもよくわからないけど、にやにやしたり、泣いたりしながら毎日少しずつ文章を書いている。気持ち悪いけれど、結局たのしいのだ。

次の課題は「あなたの素敵な人についてエッセイを書いてください」というもの。素敵だと思う人がたくさんいるから、困ってしまうなあ。贅沢な悩みだよね、こりゃまいった。でもめちゃくちゃわくわくする。

月1の朝のみなとみらいも、崎陽軒の炒飯弁当も、企画生と食べる給食の時間も、残りあと3回。きっとここからあっという間だ!最後まで走り抜けるぞーーーー!

ここまで読んでくれてありがとうございます。
うまくいかないこともあるけれど、おかげさまで元気です。

#エッセイ #コラム #企画 #講座 #言葉の企画 #言葉 #言葉の企画2019 #BUKATSUDO #名前

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いつも読んでくださってありがとうございます。大好きです。 サポートいただけたら、とてもうれしいです^^ どうか、穏やかで優しい日々が続きますように。

ありがとうございます、よい一日を^^
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長野生まれ、長野育ちのライターです。 やわらかくもパンチのある言葉で、世界に小さな革命を起こし続けたい。

コメント8件

あきさん、読みました。
> 誰かが呼んでくれるたびに自分の存在を肯定してもらえたような、そんな気持ちになる。
そんな気持ちになれることって、幸せですね。
なおぽんさん

読んでくださってありがとうございます。
わたしもなおぽんさんのことたくさん呼びたいです!
あきさん
初めまして。興味深く拝読しました。

言葉にすることは、彫刻みたいだなあ、と思います。
言葉にしようとするとどうしても、言葉で表される形や枠からこぼれる部分が出てきてしまう。捨てて、選ぶ。
わたしは常からそんなふうに感じています。
自分の気持ちとか考えを言葉にするのも、ちょっと苦手です。

あきさんの記事を読みながら、なんだか近いことを言ってるのかもしれない、と思いました。

意思がある、って素敵ですね。
わたしも、いろんなものに気持ちを込めて名づけたいです。

長くなってしまいました、失礼しました。
corosukeさん

コメント、ありがとうございます。
彫刻みたいという表現、とても興味深かったです。
捨てるという行為がどこかやっぱり切なくて、言葉にすることを躊躇ってしまうことがよくあります。

共感していただけてとてもうれしいです。
corosukeさんのnoteで、soarについて書かかれていたのを拝見しました。
実は大学生の頃soarでインターンをしていたので、何だか親近感がわいて勝手にうれしくなってしまいました^^

やさしくてあたたかい言葉を、ありがとうございます◎
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