【考察】なぜ日本人はカーテンが好きなのか?インテリアを変えると性格が変わる説
こんにちは、語学の裏設定のゆうです。
日本の家にはカーテンが標準装備してあるけど、海外にはカーテンがない家が多いのはなぜだろう?
そんなことをオーストラリアの滞在中に疑問に感じたので、今日のテーマは、カーテンの有無から見る日英の国民性の違いについてにしました。
よく国の最小単位は家だと言われますが、
裏を返せば、家を見ることで国が見えると言えないでしょうか?
色々書きたいのが本音ですが、カーテンの一番大事な機能は遮光性なので、「隠すこと」と「明るさ」この2つに絞って、お話を進めていこうと思います。
1.カーテンは隠蔽体質の培養土?
STAP 細胞事件や森友学園問題をはじめとする数々の隠蔽体質問題。
日本では日々、隠蔽体質に由来するニュースが絶えません。
それは日本には隠蔽体質が蔓延しているからなのか、
もしそうなら日本人は元から隠蔽体質を持っていると考えるのが妥当なのでしょうか?
いえ、人間誰しも都合の悪いことは隠したいと思うはずですから、別に日本人でなくてもある程度の隠蔽体質は人類共通で持っているはずです。
しかしなぜ日本だけ世界と比べてこんなに隠蔽体質問題が多いのか???
個人的な考えですが、
カーテンとは日常生活を世間から隠すためのツールで、それが国民一人一人レベルまでに浸透しているからかなと思っています。
言い換えると、カーテンと日本人の隠す国民性は相性が良いのです。
というのは日本人の国民性に「恥の文化」が根付いてるからです。
恥の文化とは世間体や外見といった他人からの視線を気にする思考習慣のことです。
昔の日本人,、特に侍達は名誉ある死として切腹を選んできましたし、現代の日本人も。学校レベルで、会社レベルで、メンツを保つということを過剰なくらいまでに気にしています。
そのような事情があるので、自分に不利なことは隠したい、、
というより一番安全なのは全てを隠すことです。
このような心理的な安全性を確保する盾がカーテンであり、
恥の意識を育成する土壌であるとも思っているのです。
家庭レベルでこのような意識が浸透していれば、
当然国家レベルでも同じことが起きるはずです。
では、翻ってオーストラリアはどうなのか?
オーストラリアにはカーテンがある家が非常に少ないです。どのくらい少ないかと言うと、
私は4年間オーストラリアに住んでいましたが、カーテンがあったのは日本人オーナーの家ただ一軒だけでした。
なぜそうなのか。
文化的風土を考えてみると、オーストラリアを始めとした英語圏には、
「罪の文化」が浸透しています。
罪の文化とは内面の良心を重視する文化で、
判断基準が自分にとって良いか悪いかなので、他の人の目線を気にすることはありません。
これは外側重視の恥の文化とは対極をなす考え方です。
西洋は内側重視の考え方をするのです。
そんなわけですからオーストラリアの家にはカーテンがないのです。自分の心の中で辻褄が合っていれば、それは良いものとして扱い、別に他人から見られても恥ずかしいものではないと。
だから自分の家の中を遮蔽する必要はありませんし、隠蔽問題の数も日本と比べて少ないのかなと考えています。
ちなみにもっと本質的なことに切り込んでいくと、
なぜ彼らはそのような考え方をするのでしょうか?
なぜ彼らには、恥の概念よりも、罪の概念のほうが備わっているのか....
それは、キリスト教という背景があるからです。
キリスト教では私たち一人一人の魂の中に神が宿っていると考えます。そして、その魂が良しとしたことは実行に移しますし、ダメだという赤信号を発している時は行動に移しません。
その点日本は反対な気がします。
自分がいいと思うかどうかではなく他の人から見ていいと思うかどうかで行動の選択をしていませんか。
と長く書きましたが、
カーテンは、周りの目から見られることを恥だという考えを強めて、
カーテンがないということは、周りの目より自分の芯、という考えを強くするのだと、まとめられる気がします。
2.カーテンでこんなに性格が変わる!?
オーストラリア人にはおおらかな性格を持つ人が多いです。
それに対してよく日本人は 細かいことを気にしすぎですがその反面真面目な性格の人が多いです。
こうした国民性も、やはり住居が関係しているのだと私は考えています。
心の大きさは住居の大きさに比例する
という私の持論をちょっと使わさせていただきたいのですが、
オーストラリアは土地が広く、
それゆえ家も大きいから、
それに比例して心も大きくなる。
さらにカーテンがない部屋は大きく見えるので掛け算の効果によって心がもっと大きくなる。
では日本はと言うと、
土地が狭く、
そのうえ家も小さめですから、
それに比例して心が小さくなりがちです。
おまけにカーテンがあるので小さな部屋がさらに小さく見えるからマイナスの掛け算の効果で心が小さくなる。
こう考えれば、
カーテンはアクセサリですから、その国の家が持っている特質を増幅するアンプみたいなものなのでしょう。
元から持っている国民性を強める働きがカーテンにある、ということです。
ちょっと考えを発展させてみれば、
結局私たちは身の回りの環境の影響を受けやすい生き物である、
ということになり、
言い換えれば環境から受ける影響をコントロールすることさえできれば私たちの性格は変わる余地があると言えそうです。
日本に居ても、カーテンを取り払い自分の部屋が少しでも広く見えるようにすれば心がおおらかになり得るのです。
では心がおおらかとは一体どのような状態なのか。
一概には言えませんが、性格のおおらか度合いは他者への許容度だと私は考えています。
おおらかな性格の人は他者を受け入れることができるので、「自分は自分他人は他人」というような独立した思考を持つことができます。日本人視点からすればちょっと自己中に見えるかもしれませんが、これは他者を受け入れるという心理的土壌があっての果実です。
一方、日本人の傾向はどうでしょうか。
常に他人の一挙一動・一言一句が気になってしまうので、「自分は自分他人は他人」という思考が確立しにくく、他人に迷惑をかけない人間にはなれるかもしれませんが自分の足で立てる人間にはなりにくいです。
そんなわけで、
おおらかさは精神的自立具合に関わる
と言えないでしょうか。
誤解してほしくないのは、日本式と、オーストラリア式、どちらがより優れているかという議論ではありません。
なりたい自分はどのような自分であるから、どんな性格に自分をしたいのか
だからどのように自分の周りの環境を変えて自己実現をしたいのか
そのような意味合いで部屋のインテリアを変えることは有意義だと思います。
いかがでしたか?
今日の記事のタイトルからは、カーテンが性格改造に繋がることは予想しにくかったかと思います。
しかしまた私の持論で恐縮ですが、
あらゆる事象は全て裏側で繋がっていると考えています。
たかがカーテンの話かもしれませんが文化の話にもなりえますし、皆さんの今後の生き方の見通しになることを願って本記事を執筆いたしました。
それではまた別の記事でお会いしましょう。
おまけ
国民性の違いはいつも面白いなと思うのですが、それをテーマとした記事を昔何本か書きましたので、まだの方は是非合わせてご一読してみてください。
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