#キリスト教
2021年11月5日(金)
「石橋を叩いて渡る」ということわざがある。何事も入念に下調べまた準備をしてから行動に移すことのたとえ。
このことわざのパロディとして「石橋を叩いて(結局)渡らない」というものもある。あらゆることを入念に下調べし十分な準備をしておきながら、行動にうつさないことのたとえ。
このパロディことわざは、ネガティブな意味で、皮肉的に用いられる場合が多い気がする。
「あれだけの下調べや準備をしておい
2021年9月28日(火)
イエスに倣う生き方は、対抗文化的(counter cultural)なものと評されることがある。イエスに従う道ーー支配的な文化に対抗する生き方とは、生半可なものではない。しかし、生活の一部分だけでなく、人生のあらゆる局面においてそのような生き方ができたとすれば、それほど気高いものはあるまいと思う。イエスは、他者(それも社会から価値なしとみなされ蔑まれていた他者)のために、神としてのあり方を捨てら
もっとみる2021年7月10日(土)
「イエスの十字架は何のためだったんだろう?」という問いに対し、ある小学生がとても面白い回答をしてくれた。
「目立つため」
最初は私もよく理解できなかった(自分が想定していた回答とは大きく異なっていたため)が、彼が話すのを聞くうちに、その答えが十字架の決定的に重要な側面を言い当てているような気がし始めた。
十字架で劇的な死を遂げることによって、イエスの存在は「目立つ」ものとなった。老衰や