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かかる世に影も変らず澄む月を

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#キリスト教

2021年11月5日(金)

2021年11月5日(金)

 「石橋を叩いて渡る」ということわざがある。何事も入念に下調べまた準備をしてから行動に移すことのたとえ。

 このことわざのパロディとして「石橋を叩いて(結局)渡らない」というものもある。あらゆることを入念に下調べし十分な準備をしておきながら、行動にうつさないことのたとえ。

 このパロディことわざは、ネガティブな意味で、皮肉的に用いられる場合が多い気がする。

「あれだけの下調べや準備をしておい

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2021年10月26日(火)

2021年10月26日(火)

 自分の弱さを認められる人は強い人間だと思う。その強さたるや並大抵のものではない。自分が否定されること、自分で自分を否定することに耐え得る強さでなくてはならない。しかしこの類の逆説にはいつも抜け穴がある。弱さを認めるポーズを取ることで "強い" ふりをすることもできるからだ。「自分は自分の弱さを認めている。だから強いんだ」と。これは安易な逆説と言わねばならない。現状を肯定したままに弱さを認めるポー

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2021年9月28日(火)

2021年9月28日(火)

 イエスに倣う生き方は、対抗文化的(counter cultural)なものと評されることがある。イエスに従う道ーー支配的な文化に対抗する生き方とは、生半可なものではない。しかし、生活の一部分だけでなく、人生のあらゆる局面においてそのような生き方ができたとすれば、それほど気高いものはあるまいと思う。イエスは、他者(それも社会から価値なしとみなされ蔑まれていた他者)のために、神としてのあり方を捨てら

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2021年8月9日(月)|聖書の翻訳比較について

2021年8月9日(月)|聖書の翻訳比較について

 聖書を読むときは、複数の翻訳を比べながら読むのがいいと思う。というのは、別に新奇なアイデアでもない。

 解釈上問題のある箇所ーー例えば、Aという解釈とBという解釈との二つの解釈がいずれも妥当な箇所があるとする。Aの解釈を採用した翻訳しか読んだことがなければ、Bの解釈を知ることはできない(良質な注解書などを参照しながら読む場合は例外)。

 「複数の翻訳を比べながら聖書を読むことで、複数の解釈を

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2021年7月10日(土)

2021年7月10日(土)

 「イエスの十字架は何のためだったんだろう?」という問いに対し、ある小学生がとても面白い回答をしてくれた。

「目立つため」

 最初は私もよく理解できなかった(自分が想定していた回答とは大きく異なっていたため)が、彼が話すのを聞くうちに、その答えが十字架の決定的に重要な側面を言い当てているような気がし始めた。

 十字架で劇的な死を遂げることによって、イエスの存在は「目立つ」ものとなった。老衰や

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