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ピーテル・パウル・ルーベンス / メトロポリタン美術館
2021年10月26日(火)
自分の弱さを認められる人は強い人間だと思う。その強さたるや並大抵のものではない。自分が否定されること、自分で自分を否定することに耐え得る強さでなくてはならない。しかしこの類の逆説にはいつも抜け穴がある。弱さを認めるポーズを取ることで "強い" ふりをすることもできるからだ。「自分は自分の弱さを認めている。だから強いんだ」と。これは安易な逆説と言わねばならない。現状を肯定したままに弱さを認めるポーズをとる、それを "強さ" と呼ぶことはできない。弱さを認めることで神が自分を造り変えてくれる。いまの自分を否定することで、いつか肯定できるような自分を神が造ってくれる。そのような神への信頼に基いて初めて、「弱さを認められるのは強さである」というキリスト教的な逆説は成立する。
・・・なんてことを考えました。神に信頼して自分の弱さを認められるようになりたいなあと思います。
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