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「18歳まで土佐弁しか話せなかった」少年が脱藩し、世界を舞台に活躍する建築家になるまで 上田真路さん(高知県出身、建築家/不動産投資家)

日本の地方から世界へーー。世界中でグローバル化が進む中、国内では人材や機会の”東京一極集中”がさらに顕著になっています。それは若者たちのキャリア選択にも影響を及ぼしており、現在世界で活躍している日本人の多くは東京出身者というのが現実です。そんな地方格差を打破しようとの思いから、地方出身でいま世界を舞台に働く若手ビジネスパーソンらで作る「らんどかーぼ」https://landoknabo.com/ は立ち上がりました。このインタビュー集では、メンバーたちがいかにして世界へ目を向けるようになったのか、ライフヒストリーを紹介していきます。

Q)いまのお仕事内容を教えて下さい

建築家および不動産投資家として東京を拠点に活動しています。具体的には、多国籍の学生や家族が暮らす国際学生寮やインターナショナルハウスのコンセプトづくりから施設の設計、運営までを手掛けています。またスリランカや東南アジアなどでホテルの開発にも携わっています。

Q)どのような幼少期を過ごされたのでしょうか

生まれてから高校を卒業する18歳まで、四国の高知県高知市で過ごしました。

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親戚が大阪や神戸に住んでいたので関西にはよく遊びに行っていましたが、東京を初めて訪れたのは高校2年、大学受験のためのオープンキャンパスのとき。海外に至っては、大学に入るまで一度も行ったことがありませんでした。

幼い頃の夢は「発明家」。週末には親戚のところで農作業を手伝うなどまさに野山を駆け回る生活を送る半面、自宅で絵を描いたりプラモデルなど模型を作ったりすることがとても好きな少年でした。宇宙戦艦ヤマトに出てくる戦艦や、映画「バックトゥーザフューチャー」のタイムマシンなどSFの世界に出てくる乗り物の絵をよく描いていましたね。

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Q)その後建築家の道へと進まれたのには何かきっかけはあったのでしょうか

父方のおじが建築家だったということもあり、幼い頃から親しみのある仕事でした。私が小学校5年生のときにおじが私たち家族の家を建ててくれたのですが、両親との打ち合わせでおじが持ってきた完成予想の家の模型を見たときに「かっこいい」と思った記憶は今でも忘れません。

「おんちゃん1週間くらい、模型貸しちょってやー」と頼み、自分でも見よう見真似で模型を作ってみました。建築が始まると実際に模型と同じように家が作られていく姿を見てさらに感動しましたね。

おじは単に「家を建てる」のではなく、そこで暮らす人たちの人間関係がうまくいくように設計していました。例えば、私と妹2人の子ども部屋をそれぞれ完全に密室にせず、光や音が漏れるように天井を設計していました。そのため、思春期などコミュニケーションが取りづらい時期でも、深夜まで電気がついていたら「何か悩みあるのかな」と妹のちょっとした異変に気づくことができるなど、絶妙な距離感を保つことができました。

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高校に入り今後の将来を考えたとき、そういった経験もあり「建築」という側面から人々の生活を良いものにできたらと思うようになり、卒業後は上京して早稲田大学理工学部の建築学科に進学しました。

Q)地元を離れ東京に住んでみていかがでしたか

本当に「何でもある」なと思いました。まず食の面では特にラーメンの美味しさに衝撃を受けました(笑)。「関西くいだおれ」といっても世界の食はやはり東京に集まってきていると。そして、大学には切磋琢磨し合える仲間がいましたし、OG・OBには業界のトップランナーとして活躍する建築家がたくさんいましたね。

ただ一方で、実は大学2年生のときに建築家になることをやめようとしたことがありました。日本の建築業界では『新建築』という雑誌に掲載されるのがとても名誉なことなのですが、建築家は皆それに載るために一生懸命になっていました。

また、東京で立ち並ぶ建物を見ても、大学周辺の高田馬場は雑居ビルがひしめきあい、西新宿は箱の塊みたいなビルばかり。本当にわくわくする都市はこの国にあるのかなと思ったんです。

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失望感で勉強へのやる気も落ちる中、夏休みを使って2ヶ月ほどヨーロッパを放浪しようと思い立ち、特に理由もなかったのですがイタリアを訪れたんです。すると、旅先で知り合った人から、ちょうどベネツィアでビエンナーレをやっていて建築関係のイベントもやっていることを知らされました。

ベネツィアの美術館の回廊にずらりと掲げられた世界中の建築プロジェクトたちをみて衝撃を受けましたね。自分が見ていた建築の世界がとても狭いものだったことに気づきました。

「ここにいつか戻ってきたい」。そのときから、いつか海外に出てみたいと意識するようになり、再び建築家としての道を目指そうと持ち直すことができました。

Q)卒業後は大手建設会社などで働くなど順調な中でアメリカに私費留学。順風満帆なキャリアを手放すことに抵抗はありませんしたか

大学院在学中に立ち上げた個人事務所を卒業後も1年間経営した後、鹿島建設に入社しました。羽田空港周辺や横浜・みなとみらいのホテルやオフィスの開発事業のほか、中国にある瀋陽という都市のまちづくりに携わるなど大規模なプロジェクトに関わらせてもらっていました。

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そんな中で世界の都市計画のベースはアメリカだということを同時に感じるようになり、留学を考えるようになりました。

でも、会社からは「社費での留学制度はない」と言われてしまい。会社でのキャリアを手放して行くかどうかはとても悩みました。

Q)その中でどのように決断したのでしょうか

私の友人で、27歳で医者になりたいと銀行を辞めて医学部受験からチャレンジし直した子がいました。彼女から「50年後に、たとえいくらお金があっても、若いときのつながりや経験は買えない。だから私はチャレンジしたんだ」と言われたときは衝撃を受けましたね。自分はなんてちっぽけなことで悩んでいたんだと。

そこから数年がかりで猛勉強を始めました。でも英語は大学受験のときに勉強したくらいで、その後、仕事でもほとんど使う機会はなかったので道のりは遠いものでした。3年がかりでTOEFLのスコアが応募できるレベルに到達するなど相当苦労をしましたが、2016年、33歳のときにアメリカ・ハーバード大学のデザインスクール(GSD)へ進学することになりました。

Q)初めての海外生活はどのようなものでしたか

心の底から、この経験がなかったら今の自分はないと思いますね。

まず英語が自由に話せるようになることで「世界中で仕事ができる」という自信になりました。ドメスティックな人間で高3まで土佐弁しか話せなかったわけですから(笑)。

留学後も、英語が決して得意ではありませんでしたが、授業中に2回は発言する、など自分にルールを課して拙いながらも話すようにすると徐々に慣れていきました。

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また、多様性を学べたことは大きかったです。大学院2年間のうち、はじめの1年間は単身で大学院生向けの寮に住んでいたのですが、日本人は私1人でした。

寮には科学者や弁護士、医者などさまざまな分野で学んでいる学生が住んでいました。ラウンジやキッチンはシェアだったので、仲良くなった寮生と食事したり飲みに出かけたりしていました。語学力がついたのは言うまでもありませんが、他分野を専門とする仲間ができたことで自分の視野が格段に広がりました。

ここでの経験は、今手掛けている国際学生寮やインターナショナルハウスのプロジェクトを日本で立ち上げる原点にもなりました。

Q)地方では海外との接点が特に少なく、外へ出るハードルが高いという声もありますがどう考えていますか

おじがかつて作ってくれた私の家もそうですし、育ててもらった人や、口にしていきた食べ物もそうですが、「地元で培った根っこがなかったらいま自信を持って海外でやれていなかったな」と思っています。

高知にいた小学校5年生のとき、文集に書いた「将来の夢」を読み返すことがたびたびあります。人の目や他人との競争にさらされずに考えていた、自分の原点に触れることができるんですね。

「グローバル」というのはあくまでツールだと思っています。とはいえ行ってみないとそのツールも手に入りません。

いまは、地方から海外にも直接行けるようになりましたし、ある意味「地方だから」と言い訳ができない状況になってきていると思います。

まずは動いてみることから世界は広がっていくのではないでしょうか。自分が好きなことを大事にしつつまずは行動ありきでいってみてほしいなと思います。

(取材・構成:牛山奈津美)
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https://landoknabo.com/

上田真路(うえたまさみち)
高知県出身。建築家、不動産開発家。大学在学中に参画したデザインオフィスnendoを経て、自身の建築設計事務所および不動産開発会社を創立。その後、鹿島建設にて国内外の大規模開発を手がける傍ら、ボランティア・アーキテクトとして活動を続け、グッドデザイン特別賞等受賞。このほかアジア(中国・スリランカ)を中心にリゾートホテルを開発し現地雇用機会の創出を行う。米国ハーバード大学院で不動産デザイン修士号を取得後、外資系不動産投資運用会社を経てKUROFUNE Design Holdings Inc. を設立。国際学生寮「U Share」など建築デザインと不動産開発手法を組み合わせたユニークな場づくりを展開。
早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修了(小野梓芸術賞受賞)、ハーバード大学デザインスクールMaster in Design,Real Estate Concentration修了(フルブライト奨学生)。早稲田大学院創造理工学部都市デザイン研究科招聘講師、慶応義塾大学SFC政策研究所上席研究員。

#海外 #キャリア


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