見出し画像

退屈の正体の鍵はエントロピーが握っていた【ブッカソンレポート22.7.3[後編]】

こんにちは!野口です。

こちらの記事では、
問いが溢れちゃう読書会「ブッカソン」(ブックマラソンの略)
の様子を紹介します!
月1くらいの頻度で開催しています。
会場は僕の住んでいるコミュニティハウス「アオイエ」です。

前編では、ブッカソンルールや、
参加者が読んで、シェアしてくれた本と内容を紹介しました。

性のテーマから、食、社会学、哲学など、幅広いテーマで選書してくれています。

後編では、ブッカソンの醍醐味である、問いが生まれる様子をまとめたいと思います!!
本を読んで、シェアして、問いが生まれて、議論して、知が生まれる。
これがブッカソンです。

今回紹介する議論の様子は、前編にも出てきたゆきちゃんが「暇と退屈の倫理学」をシェアしてくれた時のことです。

ゆきちゃん
「今回は前から気になってた"暇と退屈の倫理学"を読んでみました。中でも、"暇と退屈の哲学"という章を読みました。

退屈を感じるタイミングというのは、物の持っている時間と自分の時間にギャップが生まれた時らしいです。
例えば、"電車が中々こなくて退屈する"というのは、駅の時間と自分の時間がマッチしなかったから退屈につながるというのです。

そして退屈を解決するには気晴らしをするしかないと言います。

そこで面白かったのが、ドイツの哲学者ハイデガーを引用して、
退屈の3つの種類について紹介していました。

退屈の第一形態はさっきも言った
物の持っている時間と、自分の時間とのギャップで生まれるもの。
つまり暇から生まれる退屈何だよね。

次に退屈の第二形態は、
暇ではない退屈のこと。
パーティーに参加したり、仕事をしたり、
暇じゃないはずなんだけど、ふと虚無ることもあるよねーみたいな。

最後の第三形態は、
ちょっと正直よくわからなかったのだけれど、
なんか「自由であることが退屈」って言ってて…
退屈している対象があるのではなく、ただただ退屈してるって書いてあったけど….」

野口
「第三形態確かにわかりにくいよね。
第二形態の具体的な例で、多分わかりやすいのは、
SNSとか、youtubeとか、見てる時はなんか楽しいかもしれないけど、
見終わった後とかに疲労感とか、罪悪感とか、退屈だなーみたいな、そういうのあるよね。」

ゆきえ
「第一形態とか、第二形態の退屈は、自分と外部のギャップから生まれるけど、第三形態の退屈は、外部からも解き放たれている感じするよね。なんか、ただただ退屈っていうか。自由が退屈させてるっていうか。」

けーすけ
「そういう側面もあるかもだけど、、
僕の解釈だと、第一形態〜第三形態が並列ってよりかは、第三形態の退屈が根源的にあって、その見え方として、第一形態、第二形態があるんかないかな。
つまり、根本的に、自由というものから退屈させられているからこそ、何かに際して退屈したり、何かとのギャップに退屈したり、、みたいな、、」

ゆきちゃん
「本にはね、第三形態は気晴らしの方法がないって書いてあったよ。」

野口
「なるほど、例えば、具体的なシーンで言うと、黄昏ている時って第三形態的な退屈なんじゃないかな。何してるわけでもなく、ただただボーッとしている、、的な退屈」

ゆきえ
「んー、、それは第二形態な気もするな、、どうなんだろう。。」

ゆきちゃん
「ちなみに第三形態による退屈は、決断によって解決できるらしいっすよ笑」

けーすけ
「確か暇倫(暇と退屈の倫理学の略称)の補論のところに、なぜ人は退屈になるのか、の分析が書いてあったんだよね」

野口
「それってあれか、
狩猟採集時代とかの祖先は常に動きまくってたから、膨大なエネルギーが必要だったけど、現代は生きていく上でそこまでエネルギーを必要としない。だからその余剰分のエネルギーを何かに発散したくなっちゃう。それが退屈の仕組みだって分析のやつだよね」

いっちー
「生物学の方面とかに話が行きそうだね笑」

ゆきえ
「定住したことによって余った脳処理で文明を発展してきたってことだよね」

ゆきちゃん
「おー、なるほど。つまりエントロピー増大説ってことですか、笑」
(さすが元京大物理専攻…笑)

いっちー
「確かに確かに笑」

ゆきちゃん
「ちなみにエントロピー増大説っていうのは、物理法則的にはエネルギーが高いものより、低いものの方が状態として安定しているから、
基本的には、エネルギーが低い方に変化が進むで、これは不可逆なんだよね。例えば、りんごは高い位置より、低い位置の方がエネルギーが低い状態にあるから、下に落ちるんだよね。エントロピーは、物事が集まっている状態より、散らばっている状態、つまりランダムな方が、エネルギーが安定しているんだよね。つまり物事は、規則的で集まっている状態より、発散しランダムな方向へと向かう、という説がエントロピー増大説。

つまり、話を戻すと、エネルギーを一人の中にため込むのではなくて、発散したくなるはエントロピー増大説の影響なのかな、みたいな笑
その発散欲が「退屈」という形で現れているのかも。」

野口
「エントロピー増大の法則に従えば、人間の個体はバラバラになるはずで、維持できないはずなんだよね。個体って秩序的で細胞の集合体だから、いつこの集まった細胞が世界へと発散してもおかしくない。そこで生物学者の福岡伸一さんは"動的平衡"という書籍の中で、人間の体は、一度組織化された細胞を維持することに力を使っているのではなく、新しい組織に生まれ変わらせるところに力を使っている、って書いてあった気がするんよね。」

ゆきちゃん
「補足すると、細胞の組織という秩序は、基本的には崩壊へと向かって歩むけど、完全に崩壊する前に、新しい秩序(細胞の組織)に生まれ変わってる。それもまた崩壊へ向かう。という風に、繰り返していくことによって、個体が維持されているように見えているらしいんだよね。」

野口
「それの精神世界バージョンが、暇と退屈の倫理学ってことか笑笑
自我も一種の秩序だと思うんだけど、絶えず発散し続けて、新しい自我を更新し続けている、みたいな。。笑」


続く…..

こんな感じで、この先は自我と退屈の関係について議論が白熱していきました、、笑
結論は出てないです。

今回はたまたまゆきちゃんの紹介してくれた暇と退屈の倫理学という書籍を読んだことがある人も多かったということで、
最初はその書籍の主張の解釈の議論から始まり、ちょっと行き詰まったところで、物理学や生物学の知見からの再解釈を試みていく….
という議論展開になりました。

ブッカソンでは正しさをそこまで求めません。お互いに問いを持ち寄って、お互いの問いを議論によって検討し合うというコンセプトになります。

1つの視点からその問いを検討するのではなく、複数の視点を持ってその問いを検討することで、新しい繋がりが見えてくるのがなんとも楽しいところです。

難解な書籍でも、ライトな書籍でも、シェアすることで生まれる問いがあります。
ただただ、読んだ書籍の内容を鵜呑みにするのではなく、自分なりの解釈を深めたり、著者も想定してないような発見があることがブッカソンの特徴です。


さて、後編ではブッカソンの醍醐味である議論シーンを紹介いたしました。
いかがだったでしょうか。

次回はもっと臨場感のある現場の様子をお届けしようと思いますので、ぜひチェックしてみてください!

ブッカソンは月に1回ほどの頻度で開催しております。
次回は2022/9/25です。

ブッカソンに参加してみたい!という方はぜひインスタからDMお待ちしております!
参加条件や参加費とか特にないので、ぜひ!

ブッカソンレポート前編はこちらから

Well-beingについての思索をしています。
マガジンで読めます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?