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単なる宗教批判に留まらぬ名作ゲームを徹底解剖【アウトラスト2 解説&考察】

今回のユル解説は『アウトラスト2 (Outlast 2)』です!
先日公開した『徹底解説版』がなかなか好評で、おもしろいコメントもたくさんいただきありがとうございました!

というわけで、今回はそちらの動画からの部分的抜粋と若干の加筆訂正。
そして、おまけ的な《宗教ってそんなダメなのか?》という小話を付け加えたモノとなっています!

※あらすじを忘れてしまった方は、是非上記の動画をご覧ください。動画冒頭であらすじを3分でまとめています

アウトラスト2とは?》

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前作の『アウトラスト』は暗視カメラを使った追われる恐怖系ホラーゲームで、一世を風靡した誰もが認める傑作だったのですが、2作目の今作はなんせストーリーが複雑すぎて、誰にもよく理解されませんでした。大衆層からは「なんかわかんないけど、怖かったー」で忘れ去られてしまった残念なゲームなのです。

しかし、実際中身を解剖していくと、そこにはしっかりした深いテーマ・メッセージがありました。

今回紹介する解釈は、これまで日本語・英語圏でも語られなかった完全な新解釈です。
哲学/宗教ネタが好きな方は、考察好き勢はぜひともご一読、ご視聴願いたい。

《教会や聖職者の腐敗》

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さて、まず最初は、今作の分かりやすいテーマの1つ《教会や聖職者の腐敗》についてです。

いったい『何が教会や聖職者を腐敗させるのか』ということなんですけども、それは『神様に対する恐怖心』が原因なんです。実は宗教の土台は、基本的に『神様って怖いよね』という意識なんですよね。その意識が『神の崇拝』『信仰心』を産み出すわけです。
しかし、それによって宗教は腐敗していくことになるんですよね。なんとも残念で面白い。

今作で描かれていた、カトリックスクールの祭司による未成年への性的虐待
あれは『神様への恐怖心』を後ろ盾にした犯罪なんです。
カトリックでは、幼い子どもたちに、ただただ神を恐れるように、そして説教者、ようは祭司様のいうことを聞くように教え込むわけです。もしあなたが祭司様のいうことを聞かないなら、それは神を十分恐れていない証拠であり、神を恐れていないということはあなたは罪人になるわけです。そして、罪人であるということは、すなわちあなたが地獄へ行くことを意味するわけです。
こうなってしまうと、もう祭司様の言いなりになるしかないじゃないですか?
よくできたシステムですよね。この『神に対する恐怖心』ようは『信仰心』を利用して、祭司は『誰にも言ってはいけないよ?』とか言って、未熟で純粋な青年少女たちは地獄に行くことを恐れて、誰にも話せず、祭司は犯罪を隠し通せてしまうわけです。
いや、宗教って恐ろしい。キリスト教ってヤバい、とかって思っちゃいますよね。

《真の主題:前提「誰の責任なのか」》

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そして、次は今作の真のテーマ存在しないモノ》について話していきましょう。

いうまでも無く、ブレイクはジェシカの死を自分のせいにしてきました。
その罪悪感を表現したのが過去の学校パートです。
その中で、ブレイクは過去の過ちを正そうとするわけですよね。それでも、ブレイクは時折「自分のせいじゃない」と自分に言い聞かせるんです。これは罪の意識から逃れようとしていながらも、罪悪感が消え去らないが故の発言ですよね。
しかし、そもそも過去のブレイクにはジェシカを助けられる力は無かったのです。

なぜなら『神の存在』があったから。

神を恐れ敬う子どものブレイクは、神の僕であるべき祭司のラウターミルチに抵抗できないわけです。そのうえ、ジェシカの事件の真相も、なんらかの形であったにしろ、神の力によって口止めをされることになったわけです。
しかし、そんなジェシカの事件があったために、ブレイクは神への信仰心を捨てたわけです。これに関しては、ブレイクの汚い口調、特にGODという言葉を簡単に発言してしまうところからも分かると思います。本来敬虔なキリスト教徒はそんな簡単に神の名前を口に出しません。
そして、そんな神への信仰心を捨てた今のブレイクなら、ラウターミルチの言葉に諭されても、それに抵抗して、事件を告発しようとできるわけです。
そして、現実世界でも、子どもの頃とは違い、反キリストを身籠っていると言われても、リンを助け、無事に脱出を果たすわけです。
そして、その現実での脱出がジェシカと無事に脱出できた理想の過去と重なるのです。
そこでブレイクは、『すべて自分のせいじゃない』という言葉を残します。

ここでは『責任』は自分にではなく、神にこそあるのだと主張しているんですよね。

《真の主題:存在しないモノ》

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そして、このゲーム、これだけ『神』という『存在』をテーマにしておいて、徹底的に『神が存在しない世界』を描いていることに、みなさんは気付きましたか?
あたかも神様がいるような演出がたくさんあるんですけど、あくまで演出なんです。
すべて科学的なものであったり、現実的ななんらかのもので説明がつくんですよね。

存在しない神の声を待ち続けるサリヴァン・クノース
存在しない神を倒すために反キリストを待ち続けるヴァル
存在しない神を後ろ盾に純粋な子どもらを脅かすことができたラウターミルチ
そして、そのラウターミルチはジェシカの死を存在しない神の御業と呼んだ
存在しない神を恐れ、存在しない神によって与えられた存在しない罪悪感のせいで、ジェシカを助けられなかったブレイク
そのブレイクは最後には存在しない神のせいにするわけです。
そして、その時、腕に抱きかかえていた赤ちゃんもまた存在していないわけです。

本来、ブレイクが本当に『神』という概念を消し去ることが出来たというエンディングであれば、この赤ちゃんはスッと消えていくべきなんですよね。
ただ存在しない神に責任を押し付けることで、神の存在を認めてしまっているせいで、子どもが消えることは無い、という本当に素晴らしいエンディングになっているわけです。

結局、人間が如何に存在しないものに振り回されるのか、ということ
そして、存在しないものが如何にパワフルなものなのか、ということを考えさせられる作品です。

ちなみに、今作のストーリー考察には1週間以上かけて、色々考えたわけですけど、なぜそんなに時間が掛かったのかというと、決定的な証拠が『存在しない』せいなんですよね。
その存在しない部分を自分で補おうと、色々考察をしてたわけなんですけど。
そうした自分自身も『存在しないもの』に振り回されてるなー、と気付いた時には、このゲームヤベぇな...。と思うわけです。

実際、現代の日本人が『神』を存在するのかしないのかとかで今作を楽しんだところで、いまいちよくわかんない作品だとは思うんですよ。ただ、こうして『存在しないもの』のパワーってのは、みなさんも思い当たることいっぱいあると思うんですよね。それに当てはめて考えるだけでも十分面白い作品に変わるんじゃないかな、と思います。
ホントに複雑すぎて誰にも評価されなかったゲームだと思います。単に怖いだけじゃないんだよ、ってのを知ってもらいたくて、こういう形の動画・記事を作らせていただきました。

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《おまけ:宗教ってそんなダメなのか?》

徹底解説版から今回のここまでの動画・記事も、とりあえず「ラムノットてやつは宗教に親でも殺されたんか」ってぐらい批判的で、無神論者的な男なんだな、って感じで来てしまいました。ただ、そこはあくまで作品を作品としてフェアに考察しただけだと思っといてください。もちろん、自分は宗教に懐疑的な部分はありますけど、全面的に宗教を否定できるかというとそういうわけでもないんですよね。
まだ、そこまでに至っていないというか。

ということで、ここでは絶対的な恐ろしい神様がいるからこそ成り立っている宗教の良い部分の話をしていこうかな、と思います。
特にここでは宗教感の薄れた現代について話を進めることで、キリスト教の本来の良さを話せたらと思います。

キリスト教徒では「人間はみんな罪人」という意識があるんですよね。
逆にあまり宗教に縛られることのなり現代人は「私は正義ですから」という意識めちゃくちゃ強くないですか?

ジーザスの有名な話で「罪のない者だけが石を投げよ」というのがありますよね。
ジーザスがそう言うとみんな「おれ、罪犯してたわー」とか言って、結局だれも石を投げないんですよね。要はこの『みんな罪人』意識というのは、人を裁く権利や資格を持つ人は居ない、ということに繋がるんですよ。
そして、その意識は更に『人を赦す』という意識を創り上げるわけですよ。

しかし、現代人は、誰かが失敗したら、自分のことは棚に上げて、失敗した人が死ぬまで石投げまくりますよね。死ぬってのは生物学的な死ではなくて、精神的にとかいろいろあると思うんですけど。

日本人に関しては、おそらく誰か一人が石投げたら、みんな石拾い出すと思うんですよね。
カルト教団かよ、ってなりますよね。怖いですよね。怖いなぁ、怖いなぁ。

ある意味、このアウトラスト2はこうした『己の罪を棚上げして、罪を認めようとしない』まさにブレイクみたいな現代人を批判しているようにも思えてくるんですよね。
ね、今作面白くないですか?
さっきまであんなに宗教批判的だったはずが、急に宗教的になってくるわけですよね。
ニーチェの言葉みたいですよね。神の否定かと思いきや、神の肯定をしていたり、と。

あとは、たとえば欧米の世界観では、神という絶対的な頂点が居るからこそ、その下に立つ人間は平等なはずっていう意識が出来上がるわけですよね。
しかし、日本の神の存在は、もはや空気じゃないですか?となると、人間の中で上に立つ人、下に立って付き従う人っていう、人間の中で格差が出来上がっちゃいがちなんですよね。

 だから、最近よくある例として怖いなと思うのは、(これは少し飛躍し過ぎてる感もあるんですけど)好きなYouTuberとかアイドルとかを神格化してしまっていて、本当に神のごとく信仰してしまってると思うんですよね。
これは『最近』とかでは無くて、ずっとそうだとも思うんですけど。
その神が言ったことはなんでも素直に聞き入れて、その神が何か本当に恐ろしいこと、犯罪なんかを犯しても「大丈夫、あなたは悪くないよ」とか「戻ってくるの待ってる」とかいうコメントが飛び交うわけじゃないですか。


おまえらはジーザス、救世主の再来を待つ信者そっくりだなぁ、みたいな。


もう宗教じゃないですか。人が神になれる時代なんですよ。

ちなみにこうして人が神になれた国というのは、古代エジプトとかがそうだと思うんですけど、聖書のエゼキエル書ではしっかり神から罰せられてますよね。

結局のところ、バランスって大事だな、と。
(とかいうと、敵をつくらないようなまとめに落ち着こうとしやがって、という気もしますけど...)

広すぎる領土を統率するために、国民にある一貫した価値観ということでキリスト教を国教にしたローマ帝国は納得できるんですよ。ただ、カトリックは結局ローマ法王とか、教会とかっていう、神と人間の間に中間管理職を造ってしまったわけなんですよね。その時点でもう神の下に平等とか語れないわけですよね。そうした中間管理職が神の力を使って免罪符を売り飛ばしたり、ジェシカを殺したりね。そこでマルティン・ルターっちゅう人が出てきて、改めて神と人間の1対1のキリスト教に戻そうとしたわけじゃないですか。もっともなことをしてますよね。これは凄く良いことだったと思う。ただ、こうしてルターが生み出したプロテスタント系も結局教会はあるわけで、おおきな違いは生まれなかった。

だから、こうしたキリスト教というか、宗教というものが全般的に腐敗することは避けられないことなんじゃないかな、と。特にこうした神と人間の間に『中間管理職』が存在する宗教では
ただ、だからといって『神』という絶対的な存在が無いと現代のように、日本のように迷える子羊がちょっと毛並みの良い迷える子羊についていくだけのカオスな世界が産まれてしまう、という問題もあるわけです。

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※ユル解説とは?
LamNotが、プレイしたゲームの感想、考察や解説、考えさせられたことなどを好き勝手『ユル~く話す動画シリーズ』です。今後は文学や映画作品も追加予定?基本的には哲学的な問題や心理学的な側面から作品を分析する。不定期更新。

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