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小説の世界でもう一度暮らしたい

文章を書くのは好きだ。
敢えて「得意なコト」としてあげるとすれば、文章を綴ることだ。偉そうにいえば「武器になる」のかもしれない。

集客のための…読者の心に刺さるフレーズ、リスト集めのための効果的な単語、文章、注目を集めるコピーライト、最後のクリックまで誘導させるLPの書き方…そんなコトも学んでみたし、実際、ある程度成功することもあった。

けど、だから何。全然おもしろくない。

たとえば絵に例えると分かりやすいかもしれない。
「魔法を使うコトができた自分の有頂天さ加減」を絵に描きたいと考えている時に、美術の先生から「テーブルの上のリンゴとバナナを写生しなさい」と言われているようなものだ。画用紙いっぱいに魔法を散りばめたいのに、なぜテーブルの上の果物を無理矢理描かされるのか…といった悲しさといえばいいのか。

つまり今の私は実は小説が書きたいのだ
と、この夏はじめて気がついた。最近読んだ本と言えば、著名人のエッセイや自己啓発的な本ばかりで、正統派の小説など全く読んでいなかった。

学生の頃、景山民夫の「ボルネオホテル」を読んでトイレに行けなくなったり、ブラッドベリの世界が好きすぎて、どんより曇り日や霧の日はいつまでも窓の外を眺めてたり、小説を読んでいて大爆笑してしまったのは筒井康隆の七瀬シリーズが初めてだったし、やはり霧の中の世界のように感じる村上春樹ワールド…。そう、私は霧の中のような小説がすごく好きだった。

小説を愛読していたのは30年くらい昔のことだ。夢見がちな少女の頃、家事を手伝うでもない、バイトをしているわけでもない、想像の世界でボケ~っと暮らすことのできた十代の頃だからこそ、本の世界に(含マンガ)没頭することができた。
社会人になり結婚もして子供もできてまた働き出して…と生活に追われるに従い、小説の世界のことなんて、はるか忘却の彼方だ。

小説が読みたい。

突然そう思ったものの、30年前の愛読書なんてもう一冊もない(私は黄ばんだ紙や傷んだ本が、なぜか昔から好きじゃなかった。去年引っ越しをしたのを機に、古くなった本はすべて捨ててしまった。…だからというわけでもないけれど、電子書籍を作ってるのかもしれない。営業モードじゃないですよ!)。
本屋さんに新しい本を買いに行く前に、とりあえず娘の本棚を覗いてみると、村上春樹さんの短編集があった♡

春樹さんの本は当然のことながら電子書籍になっていない。ご本人の意向もあるかもしれないけど、世界的に著名なハルキムラカミの書籍が電子化されたら、出版社と道連れの印刷会社やら、紙の会社やらは生きていけなくなってしまうだろうし、そんなこと以前にやはり、春樹さんの本はこうやって四角い箱であってほしい気もする。
とはいえ、電子版がほしいのも事実で、特にこの画像で下に置いてある「めくらやなぎと眠る女」は、面白そうな短編集なのだけど、活字が鬼のように小さくて、老眼鏡をかけていても読みづらいのだ。電子版だったら、フォントの大きさ替えられるのになぁと、紙の上をスワイプしたくなる衝動に駆られた。

まあとにかく、「女のいない男たち」をまずは読んでみることにした。

ページをめくると、ニャンとも可愛いしおりが挟んである。書店でもらえるペラペラのものではなくて、ほどよい厚さが心地いい。本を途中で中断するのが楽しみになるようなしおりだ。娘は読書好きにしてオシャレ好きなので、この選択はなかなか彼女らしくて、我が子のことながら微笑ましくなっちゃった。

さて、ひとつめの話は「ドライブ・マイ・カー」。
女性のドライバーは乱暴すぎる人と慎重すぎる人に分けられて、普通に運転が上手い女性もいるけど、助手席に座っていると、必ず何かしら違和感のある緊張感が感じられること、そういった感覚は男性ドライバーには感じないこと…など、まあハッキリいってどうでもいいかもしれないことが、超的確に、すらりとサラリと書いてある。どうでもいいことをこんなに真正面からとらえて表現するなんて、さすがとしか言いようがない。この、普段は言葉にしないけどみんなが抱いている普遍的な気持ち、感情のようなものを、文章にすることが小説家の務めのひとつだろうと思っている。春樹さんはこの点が天才的にすばらしいとしか言いようがない。…偉そうでごめんなさい。

今、小説を書きあげたいと本気で思い始めている。
だから、非現実を大切にしていかないと、あの世界に没入することはできないし、書くこともむずかしいだろう。こんな気持ちにさせるためだったのかどうか、最近の私は、近しい人からよく怒られることが多かった。

「自分を好きすぎる」
「いつまでもお花畑にいる」
「いつだって自分のことばっかり」
「そうやって自分の世界にいればいい」

本人のためを思って指摘してくれるのだろうから、なんとか直さなきゃ、もっと周りの人のことも考えて、現実的にならなければ、甘えたちゃんではいけないと、改善できないものかと工夫したこともあった。

けど、それなんか違うじゃん?と思い始めた。その人に好かれるために自分を曲げることに、どれだけの意味があるのだろう。自分のことが大好きで、お花畑でうっとりすることのどこがいけないのか、それが私だし、それしかできないと最近気がついた。それは自分の強みでもあるし、このお花畑こそ私の聖域なのかもしれないし。

‥尻切れとんぼな終わり方になるけど、「今のままでいいじゃん」と思ったら、少しだけ気持ちが楽になった。あとは、小説を書き始めることだ。


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