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短編「桜の記憶」


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一斉に開花をしたかと思えば
風に吹かれたらすぐに散ってしまうあまりにも儚いその姿から
桜は不実の花と言われる

一年の内でも滅多に逢えることのない運命
それでもきれいな花を咲かせまいと
健気にあなたを待っている

その一瞬の輝きは永遠の約束
短い春の中で最も美しい瞬間を捧げる

あなたがいつか帰ってくるその日まで
わたしはここで静かに咲き続ける






当時、学生だった僕にとって
社会人として働いている彼女Sの存在は
まさに憧れのお姉さんであり
高嶺の花だった。

初めてデートの約束を取り付けて
憧れのSと念願のデートの行き先は
京都の清水寺に決まった。

向かう道中は産寧坂(三年坂)を登る。

冷たい風に入り交じる草木の爽やかな薫りは
桜の花びらを撫でるように
生命の息吹きが駆け抜けていくようだ。

僕たちはお土産物屋に立ち寄り
美しく並べられた小物を珍しがっては
童心に還ったように眺める。

歳上の彼女が見せる無邪気な笑顔が
僕にはことさら眩しく見えた。

お土産物屋のおばあさんが
「あなたたち、三年坂の言い伝え知ってる?」
と声を掛けてきた。

「えーっ?何ですか?」と聞き返すと

「この三年坂で転ぶと三年以内に死ぬのよ
だから気をつけなさいね。」
と言って厄除けの瓢箪を手渡してくれた。

「少し怖いよね。」
そう言うなりSは上目遣いで
おもむろに僕の腕を組んで歩きだす。

僕は戸惑いつゝも嬉しさが込み上げる。
僕の右腕にSの柔らかい胸の感触と
心拍の高鳴りまでも伝わってくるようだ。

産寧坂を上がると"音羽の滝"に着いた。
それは豪快な滝__
ではなく祠から突き出した三本の竹筒から
さらさらと流れ出る可愛らしい湧水だった。

恋愛成就のご利益があるとのことで
お互いにお願いをすることにした。

二拍手一礼__
目を閉じてみる。

(Sさんとお付き合い出来ますように。)

僕は神様への願掛けが終わり目を明けると
Sはまだ祈っていた。

その伏せた長いまつ毛でさえも愛おしい。
そしてSの頬には一条の涙が見えた。

(おや?泣いているみたいだけど?)

「大丈夫?」と恐るおそる声を掛けてみる。

「ううん。何でもないの。大丈夫だから。」
Sはにっこりと微笑んだ。

ほどなく坂を登り切った所が清水寺である。

有名な清水の舞台がある。
舞台の上から眼下を覗きこむと
中々の高度感に身震いがする。

その昔から
"清水の舞台から飛び降りる"
とは一世一代の決意を表す意味がある。

僕はまさにそのような気分で意を決して
彼女に告白をする。

「Sさん 僕と付き合って下さい。」

しばらく沈黙が続いた__

Sは考え込んでいたが
ふいに悲しげに顔を曇らせて、
細い肩を振るわせるようにしてすすり泣く。

声を詰まらせるようにして呟く。

「私ね あなたのことは弟みたいに思ってる。
だけど. . . 未だに初恋の人が忘れられないでいるの。」

やがてSは落ち着きを取り戻したかと思うと
訥々とした口調で語り出した。

彼女曰く__
妻子ある相手との不倫の恋だったらしく
やむに止まれない気持ちを整理するため
Sは郷里から逃げるように飛び出して
縁もゆかりもない京都の地へと
単身やって来たのだと言う。

京都に来てからも苦しい胸の内を抱えたまゝ
このことは誰にも言えなかったようだ。

Sの告白は
春に吹き荒む嵐のようだった。

学生の僕には計り知れない大人の事情に
混沌と入り乱れた感情が追い付かず
ただただ茫然とするしかなかった。

いつの間にか僕は
「一緒に死んでもいいよ」と口走っていた。

(嘘偽りのない本心からそう思えたんだ。)

「その人のこと大好きだったんだね?」

Sは小さく頷いて泣き笑いをしながら
僕の肩に頭をもたれかけて
「ありがとう」と呟いた。

彼女の髪からほのかに甘い香りがして
愛おしさが込み上げる。

清水の舞台から遠くに臨む京の街並み
あの時の僕には涙で滲んで見えなかった。

ただの無力な一介の学生であることを
嫌と言うほど思い知り打ちのめされたんだ。






帰り道 __
産寧坂に差し掛かる時
僕はつまづいて転びそうになった。

体勢を崩すまいと四股を踏むように踏ん張って
すんでのところで持ち堪えた。

その姿が滑稽に映ったのだろうか。振り返ると
Sは口に手を当てて笑いだした。

僕もつられて笑顔になった。 
「あぶねー. . . 産寧坂で転ぶところだった。」

Sは笑いながら「転んじゃダメよ」と言って
僕の腕を組んで身を寄せ合うように
歩いてくれた。

ふと見上げると桜の花びらが舞い散る。

「きれい . . . また来年も見たいね。」

静かに舞う花びらはとても幻想的だった。
僕たちはその場に立ち尽くして
時を忘れて見惚れていた。






それ以来__
彼女は故郷に戻り二度と会うことはなかった。

桜の花を見るたびに
初々しかった頃の記憶が鮮明に甦る__

産寧坂(三年坂)



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この作品はフィクションです。
登場する人物名は実在の人物とは何ら関係はありません。

ヘッダー画像:Mai Shiraishi

画像引用:七味屋本舗様HPより



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