短編「Swallow Tales」
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五月だというのに
季節外れの猛暑が到来した
まだ来ぬ梅雨を通り越して
湿り気のない暑さを凌いでいると
一羽のツバメが飛んで来た
わたしは恐る恐る
窓をほんの少しだけ開けてみる
彼は群れから離れて
一番乗りに飛来したけれど
この突然の暑さで
むしろ取り残された風に
目を円くしている姿に
愛らしさがあった
彼とははぐれ者同志と云ふべき__
ある種の仲間意識をくすぐる匂いがした
わたしは彼の愛嬌の中に潜んでいる
ほんの少しの哀愁を感じ
窓を開けて彼を部屋に招いた
彼と出会うまでのわたしは
硬い氷を敷き詰めたグラスみたいに
頑なまでに心が冷え切っていて
そんなわたしの鬱々とした生活に
彼は変化をもたらしてくれた
彼はわたしの部屋で巣づくりをはじめる
わたしは彼が創りだす丹念に形取られた
アートのような巣が出来上がるさまを
眺めているのが好きだった
彼がどこからかの甘い香りの花を咀嚼して
その唾液を少しづつ固めて創り上げる
その巣から放たれる芳香は
いつしかわたしの心を虜にしていった
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彼が出掛けている間に
造りかけの巣に内緒で入ってみる
興味津々で巣の中に入ってみると
とても柔らかい風合いで
その温もりに包まれていると
鼻腔を弄ぶ不思議な甘い香りが漂う
わたしが住む世界にある刺々しい感情から
全くといっていい程に切り離されて
胎児に還ったかのような安らぎに包まれる
ずっとこのままでいたい__
どれくらいの時間を過ごしていたのだろう
わたしが巣穴から顔を出すころには
彼は首をかしげるようにして
巣の外で待っていた
しばらく見つめ合い
どちらからともなく唇を重ね合わせる
わたしは初めて
彼と閨を共にした__
躰を重ね合わせて
彼の耳たぶを少しだけ噛んでみる
彼は尻尾を細かく震わせて
生温い吐息を漏らすように
低く呻くような悦びの嗚咽を発した
お互いの脈打つ鼓動を感じながら
幾度となく絶頂に達する
やがて賢者のように静まりかえった彼は
その翼の羽根の先で
わたしを優しく撫でてくれる
月明かりに照らされて
わたしの汗ばむ肌の細胞の一つひとつが
金糸をまとったように綺羅綺羅してる
そんな心地良い微睡みは
彼と共に深淵の闇に堕ちていくような
深い眠りへと意識は遠のいていく
彼とわたしの長く暑い夏__
性交渉は飽きることなくお互いを求め合い
幾度もいくども繰り返される日々がつづく
やがて
頑なだったわたしの心は
グラスの氷が融けるように
幸せに満たされて
そう__
現実の世界の住人になれた気がしたんだ
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彼はいつものように
甘い香りの花咲く草原へと飛んでいく
彼を見送った遠くの空を見ると
どす黒く澱んだ暗雲が立ち込めていた
暗闇が空を覆い尽くし
雷光がけたたましく鳴り響く
突然__
とてつもなく大きな落雷が轟いた
漆黒の天鵞絨を真っ二つに裂くように
雷光が空に光の道の枝分かれをしならせる
その時
一羽のツバメの影が遥か彼方へと去っていく
刹那に
冷たい雹交じりの雨が降り出して
地面に無数に叩きつける音が耳障りで
わたしの心は掻きむしられ
得も知れない悪寒を覚える
彼は忽然と姿をかき消すように
居なくなってしまった
全てを流すように
無情の雨が降りしきる
あの日以来__
彼は巣を完成させることなく
わたしの前に姿を現さなくなった
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あれからずいぶんと時が経った__
とある街の古書店カフェで
わたしは読書に耽ろうと
アリストテレスの詩集を読む
元来は
独りの時間が好きな性質である
おひとりさまで居る方が気楽なのだけれど
それでも時折
彼が駆け抜けていった
長く暑い夏を想い出すことがある
その時
店内に一羽のツバメが迷い込んできた
ツバメはあまりにも場違いな所に行き着いて
戸惑うような素振りを見せて
慌てるように飛び去っていった
あの懐かしい香りを残して__
テーブルの上に置いた飲みかけのグラスの水が揺れている
時の流れと共に
頑なだったわたしの感情の砦は
取り払われていた
誰かのために流した一条の涙が
冷たい頬に温かく伝っていく
いつしか悲しみは
優しさに代わってゆくのだろうから
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