家族という呪い
母に言われたこと。
〝相手自体がとてもいい人〟に思えても、付き合ってるときに見えているのはほんの一部だけ。生活スタイルの不一致や、義理の家族との付き合い、そういうことに対する違和感はなるべく早いうちに気付いておいたほうがいいらしい。
確かに「相手の家族を見ておく」って、
結構大事だと思う。
だって家族って、
人間関係でも特にディープな部分。
家族への対応が〝将来のあなたへの対応〟とまではならないと思うけど(もしそうだとしたら毒親育ちはほぼ全滅してしまう!笑)、家族関係を把握しておくことは、その人が「どんなふうに生きてきたか」を知る手がかりにはなると思う。
かつて私は警察官を目指していた。
幼少期から大学時代までだから、ざっと15年以上だろうか。健康上の理由で結局は諦めざるを得なかったけど、長い間、少年犯罪関連に携わりたいと思っていた。
親戚に警察官がいたから、
そういうことも多少影響していたと思う。
そんな警察官の親戚から、とある少年を取り調べしたときの話を聞いたことがある。暴走族の非行少年だったそうだ。
現在では「取り調べの可視化」が義務付けられているけれど(2019年からの改正刑事訴訟法の施行による)、当時は机をバンと叩いて、威圧的な取り調べがなされることも多々あったそう。
最初はふてくされた態度で取り調べを受けていた少年。なるべく威圧的にならないように相手の話を聞きながら、ふとしたときに「お前、何かつらい事でもあったんか」と問いかけたそう。すると少年は急にわっと泣き出して、いろいろと吐き出すようになったらしい。その話を聞いていて思った。
その少年は、自分の悲しみを
誰かに受け止めてもらいたかったのかもしれない。
正しい方法とは言えないけど、
「気付いてくれ」と彼なりのSOSを出していたのかもしれない。
・・・
これも警察官の親戚から聞いた話。
非行少年には機能不全家庭であったり、虐待サバイバーだったり、そういう不遇な生い立ちの人が多いらしい。
私は虐待サバイバーだ。
幼少期に離婚したのち再婚して出会った義父は、感情のコントロールが苦手な人だった。
短気がゆえに怒ると暴力的だったし、命の危険を感じてしまうようなことも多々あった。おそらく彼自身がそういうふうに怒られてきたからだろう。義祖父は孫に対しては優しかったし、私は勉強が好きだったから経験したことはなかったけれど、義祖父は勉強を教えるときに〝しつけ〟としてよく頭を叩いたりしていたと聞いたことがある。
教育のための行き過ぎたしつけ。
秋葉通り魔事件で有名な加藤智大被告の〝壮絶な生育環境〟を彷彿とさせる。もちろん彼のやったことは到底許されるものではない。ただその不遇な生い立ちが、事件の要因のひとつとして起因してしまったことは間違いないと思う。
虐待を受けた子どもは、
また虐待をその子どもに繰り返す。
虐待は連鎖する。
そんなふうに世間で言われるのを見てきた。だから私は虐待サバイバーとして、絶対に繰り返さないようにしようと思って生きてきた。自分自身の生育環境に対する反発心。たとえ恵まれない生い立ちだとしても立派な人間になれるんだ、と自分自身に証明したかった。
だからまあそんなわけで
「その人がどんな人物か」を深く知るためには、
〝相手の家族を見ておく〟って
結構大事なことだと思う。
だからこそ母親のこの言葉を聞いて、機能不全家族で育った私は何とも言えない気持ちになった。だってそう言う母親はアルコール依存症で毎晩のように飲酒しているような人なんだもの。もし私が好きな人と結婚するとしたら、この母親をお相手にどう紹介したらいいんだろうと悩んでしまう。おまいう事案。彼女が言ってる内容自体は正しいと思うけどね。
そんなことを
ちらほらと考える今日この頃。
〝家族〟という呪縛が
解かれる日は来るのだろうか。
これ今度読んでみることにした。
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