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あの日「もう生きたくない」と泣いたあなたへ

何年前だろう、あれはコロナ禍が始まったばかりの頃だった。自殺未遂をして精神病院に運ばれた。非常にお恥ずかしい話になるが、当時の私は大失恋のせいで、自己肯定感なるものが根底から揺らいでしまっていた。
 
 
 
死にたいわけじゃないんです、でも生きるのがもう苦しい」
 
 
生き地獄のような人生なんです」

 
じわじわと首を締められながら生きてるような気分。この地獄から逃げたい、早く楽になりたい」
 
 
 
 
おそらくこんな趣旨のことを
お医者さんに言ったと思う。
 
 

こうなってしまうキッカケは恋愛感情のもつれにあったけれど、失恋なんて、ただのトリガーにしか過ぎなかった。積み重なってきた出来事の数々。離婚・再婚といった複雑な家庭環境、幼少期の虐待、思春期のいじめ、脳卒中で倒れた義父のこと、こんな感じで私の人生の前半はあまり明るいものとはいえなかった。一般的に私はいわゆる虐待サバイバー、そして〝アダルトチルドレン(AC)〟と呼ばれる部類の人間だろう。

 

・・・

 
複雑に絡み合った要因。
こうしたさまざまな理由によって生み出された苦しみが、失恋でたまたま爆発しただけに過ぎなかった。
 
 
このままじゃ本当に自殺してしまうかもしれない。そう思ったからこそ、精神病院に運ばれてきたとき、自ら進んでお医者さんに「入院したい」とお願いした。何かを変えないとマズイと思ったから。でも自分ではもうわからなかった。どうすればいいのかわからなかった。だからお医者さんに頼れたらと思ってお願いした。
 
 
医学に頼れば、もしかしたら一縷の望みが見えるかもしれない。生きづらさの原因がわかるかもしれない。もしかしたら発達障害など、脳の機能に理由があるのかもしれない。当時はそう思っていたから、きちんと診断を受けて薬をもらえばよくなるかもしれないと思っていた。

 

・・・

 
 
でも絶望した。
残念ながら医学に救いはなかったから。
 
 
ちょうどコロナ禍の時期だったから、入院事情も特殊なものだった。だから「本当は一般病棟でいいんだけどね」「コロナ禍で今は皆隔離しないといけないから、これから入ってもらう部屋も閉鎖病棟(1人1人で部屋が分けられている部屋)になるのよ」と案内された。なるほどね、コロナだから仕方ないか。でも閉鎖病棟だって。怖いな。私これからどうなるんだろう。
 
 
そして病室へ。
自分の部屋に入って、ベッドで寝かされる。
 

 
病院だからか全てが真っ白だ。なんか無機質。それに本来は重症患者の入る病室だから、自由もかなり制限されてしまう。唯一閲覧できるテレビはリモコンがなくチャンネルは変えられないので、見たい番組を探すにも看護師さんを呼ばないといけない。なかなか不自由。いろいろな手段で自殺を試みる人がいるからという理由らしい。部屋の中は監視カメラで常に監視されているし、手足を拘束される人もいるらしく、隣室からはずっと「俺は普通なんだ!出してくれ!」と大声で叫ぶ男性の声がしていた。
 
 
地獄だと思った。
「こんなところにいたほうが、頭がおかしくなる……!」

 
 
 
このときにハッキリと脳裏を過った。
 
 
〝ここから出なくては〟
 
 
だからお医者さんに任意入院をお願いしたものの、こんな感じでギブアップして、結局1日で退院してしまったんだよね (笑)  ちなみに発達障害の検査もしたけど、結局はグレーゾーンだった。「それならこの生きづらさはどこから来てるの……?!」って話はまあ長くなるので、詳細はまた後日に。
 
 
 
生きていくしかない。
そう覚悟した私は、じわじわと首を締める苦しみの手を振り払うことにした。
 
 

それでもそんなすぐに勝てるわけじゃない。退院後も苦しみは何度も何度も私の首を絞めてくる。時には負けてしまうこともあった。自分なんて嫌いだ、もしタイムマシーンがあれば、両親の結婚から阻止する。そうすれば私が生まれてくることもないのだから。どうして生まれてきたんだろう。幸せって何だろう。頑張ってても全然報われなくてつらい、努力の仕方を間違えてるのかな。私って一体何なんだろう……?どうしていつも上手くいかないんだろう……?
 
 

そんな自問と戦いを何度も何度も繰り返していたんだけど、そうするうちに、次第に敵の正体がわかるようになってきた。
 
 
 

敵の正体は、敵ではなかった。
 
 

幼き頃の自分が生み出した
〝苦しみ〟がずっと首を絞めていたのだ。
 
 
 
HSPや発達障害の本も読み漁ったけど、おそらく愛着障害だと思った。それからは「愛着障害」をテーマにいろいろ調べるようになって、問題克服のために自分なりに努力した。だんだんと自己受容ができるようになってきたからか、激しくメンタルが上下してしまうようなことは少なくなったし、昔のような希死念慮は全く生まれなくなった。
 
 
まあそうは言っても人生はそう簡単に上手く行くようなものではないから、ひっそりと枕を涙で濡らす夜は今でもあるし、アルコールの力を借りてストレス発散することもたまにある。
 
 
ちなみにオススメの発散方法は、掃除とヒトカラ。胸に溜まったモヤモヤはきちんとアウトプットすることで案外スッキリする。フランクな話でも悩みでもいいから、友達と話してみるのもオススメ。何よりも気分転換になるし、第三者目線を取り入れてみると「案外大したことないな」って思えるようになるから。
 
 
そんなこんなで昔よりは賢く問題に対処できるようになったんじゃないかな、特に不安への対処は。お馬鹿さんなりに人生頑張ってると思う。まあイージーモードかって言われると正直まだまだ程遠いんだけどね〜笑
 


 
 
10歳の私へ
騒々しい家の中から心を遠ざけるために読書に勤しんでいたけれど、案外今それが役に立ってる。ありがとう。今はもう安心してお家で過ごせてるから大丈夫だよ。
 
 
12歳の私へ
これからとある試練が始まるからあなたは大変だろうけど、やっと落ち着いたよ。平和になった。
 
 
14歳の私へ
「友達がいない」って悩んでたね。教室の隅っこで目立たないようにして、誰とも話さずに一日を過ごした日もあった。寂しかったよね。でも大丈夫、これからたくさんできるから。もうすぐ大親友に出会えるし、あと十数年もすればもう友達関係には悩まなくなるよ。
 
 
19歳の私へ
何に悩んでたかは忘れたけど、精神的な不安定さが大きくなり始めた頃だったかな。大学時代は楽しかったけど、いろいろと大変な時期でもあったからね。ちなみにいろいろありまして、希望してた職種には全部就いてない(笑) でも人間って理想通りにいかなくても案外幸せになれるものなんだよね。だから心配しないで。いける。全然大丈夫だから。
 
 


 
 
あの日の私へ
 
 
これから幸せになるから絶対生きて。暗闇の中でしかわからないものがある。ほんのわずかな光の尊さとかさ。だから本当はラッキーなのかもしれないよ、だって不幸の中でこそ幸せの真価に気付けると私は思うから。人生終わりだと思ってる?
 
 

そんな事ないよ。
好きな言葉のひとつに「plasticity」という単語があるんだけど、
 

日本語訳になると「可塑性」という
ちょっと難しい言葉になる。
 
 
この由来はプラスチックを構成する物質の性質に端を発するんだけど、プラスチックはたとえば熱したりして、外部から力を加えると、あらゆる形へと自由に姿を変えられるという能力を持っているらしくて。ビニール袋、トレイ、スポンジといった生活用品から、テレビやエアコンなどの電気製品まで、プラスチックの用途は限りなく幅広い。
 
 
しかも驚くべきことにこの plasticity (可塑性) は、どうやら脳にもある能力らしく、英語では「neuroplasticity(神経可塑性)」という呼び方もあるらしい。詳細については「脳の可塑性」といったキーワードで検索すると専門家による情報が出てくるから、そっちを読んでみるのをオススメするけど、脳にも〝可塑性〟があるなんて。正直ビックリした。
 
 
 
これからあなたは
環境を大きく変えていくことで、 
強くなっていくよ。
 
 
熱されたプラスチックのようにね。
 
  
もちろんこれから起こる出来事は楽しいことばかりじゃない、むしろ苦しい事のほうが多いかもしれないけれど、人生を変えてくれる素敵な出会いだってたくさんあるし、なんと数年後には日本を飛び出してイギリスのオックスフォードに行くことにもなるから、あなたの中には間違いなく plasticity が、〝自分を変えていける能力〟があるんだよ。だから大丈夫。
 
  
 
それともうすぐあなたがハマる映画『キングスマン』には、こんな素敵な台詞がある。
 
 

If you're prepared to adapt and learn, you can transform.
(自ら変化に適応して、学ぶ気持ちがあるのなら、立派な人間に生まれ変わることができる)

 
 
大丈夫だよ、きっと。



Wish you all the best.
Love,

K


 

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