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子どものことを信じていますか?

このページにお越しくださり
ありがとうございます。
お母さんを笑顔にするお仕事の人
子育て専門助産師なとりです。

今回は子育て中のお母さんに
絶対に知っておいてもらいたい
「子どもを信じること」のお話です。


〈子どもを信じていない親〉

自分の子どもが信じられないとか
子どもを信じるという意味が分からない
という親御さんが少なくありません。

「やると言ったのにやらない」
「ゲームをいつまでもやっている」
「約束を守らない」
「何度も嘘をつかれた」

理由はさまざまありましたが
私は驚いてしまいました。

こんなことで自分の子どもが
信じられなくなるなんて
「子どもを信じる」という意味を
取り違えているのでは?と思いました。

以前にこんなことがありました。
あなたはどう感じるでしょうか。


2人の男の子のお母さん。
上の子は2歳、下の子は6か月。

下の子に手をかける時間が多いせいか
上の子の赤ちゃん返りがしんどい
とお母さんは話していました。

ご主人の両親と同居しているので
お義母さんの協力が得られる状況でした。

臨床心理士のアドバイスもあり
下の子はお義母さんに預けて
上の子と二人だけの時間をつくれるように
公園に行ったり散歩に行くのはどうかと
提案してみました。

ご存知かと思いますが
子どもの赤ちゃん返りは
自分に注目してもらいたいとか
甘えたい、かまってほしい
というような振る舞いをすることです。

子どもにしてみたら本能的なことで
両親を独占できなくなった不安な気持ちや
環境の変化に対する戸惑いや葛藤からのSOSですが
健全な心の成長の証でもあります。

子どもは自分の想いを
まだ言葉では表現できません。
だからわかりやすく
行動で示してくれているのです。

さて先ほどのお母さん
上の子を連れて出かけたかと言いますと
提案に対しこう話されました。

「それをやったところで
 上の子が変わるとは思えない。」

やってみるより前から
「赤ちゃん返りをしたこの子には無駄」
と言わんばかりに決めつけて
やってみるということをしませんでした。

私がここで残念に思うのは
お母さんが自分の子どもを信じていないこと。

不安を訴えたくて赤ちゃん返りをしているのに
たった2歳でお母さんから
信じてもらえなくなってしまったのです。

では「信じる」って
どういう意味なのでしょう。

〈信じるってどういうこと?〉

しん・ずる【信ずる】[動サ変][文]しん・ず[サ変]
1.そのことを本当だと思う。疑わずに、そうだと思い込む。
2.信用する。信頼する。
3.信仰する。

weblio辞書

子育てにおいては「2」が適当だと思います。
では「信用」と「信頼」について
詳しく違いを見てみましょう。

「信用」
1.確かなものと信じて受け入れること。
2.それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。
  また、世間が与える、そのような評価。
「信頼」
信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。

デジタル大辞泉

自分の子どもを「信じる」ということは
「やると言ったのにやらない」から
「信用できない」というように
親の立場から子どもの振る舞いを
評価することではないと思うのです。

「子どもを信じる」=「(私の)思い通りになる」
とお考えではないでしょうか?
ですから期待外れの結果に勝手に落胆して
「信じられない」となっているわけです。

親との関係は
子どもにとって初めての人間関係ですから
お互いに「信頼」できる関係を築くことは
とても重要なことです。

〈信用されないと心がもつれる〉

私は現在も整形外科のクリニックで
パートをしています。

診察室と外回りと
看護師が二人勤務しています。

つい先日のことです。
私が診察室の業務をしていると
もう一人の看護師が
なんでも先回りするのです。

医師の指示がまだ出ていなくても
患者さんが来たことがわかると
その患者さんの処置がわかっているので
先に準備を進めるのです。

私も診療前に情報収集をしているので
ある程度の予測をして動いているのですが
物品の準備や事務処理を無言で重ねてくるのです。

その日は忙しいわけでもなく
どちらかというと余裕がありましたが
先回りが3つ4つと重なるとこう感じたのです。

「私、信用されていないな」

これまで何度もペアを組んでいるのに
余裕があり過ぎてのことなのか
いったい何なのかと心がもつれ
ストレスや反発心が生じてきました。

患者さんの顔を覚えていて
処置も把握しているのは
悪いことではありません。

むしろそこを褒めてほしかったり
見せつけたかったりしたのかもしれません。

でもね。
私はこうも思ったのです。
「彼女はこうやって子育てしてきたのだな」と。

〈ちゃんとした親と思われたい〉

「宿題やったの?」
「忘れ物ない?」
「危ないからこっちに来なさい」

これを言うのが親の役割かのように
言ってしまいがちだと思いますが
この言葉かけも先回りですから
言われた側からすると
「僕(私)、信用されてないな」
と思うわけです。

子どもがやろうとしていることに
親がわざわざ声をかけたり
ましてや手を出すことは
まったく必要ないのです。

宿題や忘れ物をして
ペナルティーを受けるのは子どもです。
次はどうするかを考えるのも子どもです。

生命に関わるような危険な状況でなければ
たとえ擦り傷を負ったとしても
挑戦できたことの喜びがあり
大きな学びや自信につながります。

そして「信頼」には
まだその先があるのです。

〈今やろうと思ってた〉

子どもにこう言われた経験はありませんか?
「今やろうと思っていたのに」。

たとえばゲームに夢中で
宿題をなかなかやらない子どもに
「早く宿題やりなさい」と言ったら
「今やろうと思ってた」。

人に言われるとやる気をなくしてしまうことを
心理学では「心理的リアクタンス」と言います。
人は自由を制限されたり強制されたりすると
それに反発したくなる性質があるものなのです。

こんな親子のやり取りの場面がありました。
小学校高学年の男の子が
学校から帰ってきて水筒を洗っていません。

お母さんとの約束で
水筒は自分で洗うことにしているのです。

夕飯の後になってもまだ洗う気配がなく
水筒はシンクに置かれたままです。

男の子はテレビを見ているので
お母さんが何度となく促しますが
なかなか腰を上げません。

やがて夜の9時を回り
男の子はお風呂に入ろうと動きます。

すかさずお母さんが水筒を洗いなさいと言うと
男の子はこう返します。
「お風呂から上がったら洗う」。

さて
あなたならどうしますか?

〈信じることは待つこと?〉

このあとどうしたのか
肝心な答えは忘れてしまいました。

なぜ覚えていないのに
わざわざ書いたのかと言うと
男の子の言った
「お風呂から上がったら洗う」を
お母さんが信じてあげなかったから。

確かお風呂に入る前に
お母さんが一言二言、小言を言って
男の子に洗わせたと思います。

お風呂から上がるまで
子どもを信じて待ってあげなかった
ということに私はモヤモヤしました。

男の子が自分から水筒を洗うために
お母さんができることは
何度も洗うように言って催促するほかに
洗うまで待つという選択肢もあるわけです。

ただ仮にお母さんが待つことを選択しても
「いつになったら洗うのか」と思っていては
まだ信じられていません。

もしかすると男の子は
何度も洗うように言われていなかったら
洗うタイミングは自分で選べたわけですから
もっと早くに水筒を洗ったかもしれません。

〈やる気スイッチは入れないで〉

「やる気スイッチ」という言葉がありますが
あまり好きではありません。
スイッチを入れるためには
「スイッチを入れる」という動作が必要だからです。

例えとしてはおもしろい表現ですが
何かをしなければスイッチが入らないと
勘違いをしてしまうからです。

お母さんが男の子に
水筒を洗うように言うことが
スイッチだと思いがちですが
実際にはやる気を削いでしまっています。

男の子は自分で
「お風呂から上がったら洗う」と決めたのですから
信じてやり遂げるまで見守る。
これがお母さんが入れるスイッチです。

わが家には食器洗浄機がないので
手で洗い物をしますが
夕飯の後の洗い物の前に
一休みしたいと思うことがあります。

少し休んでいる時に
「洗い物早く片づけたら?」なんて言われたら
ものすごく反発すると思います。
一休みしたら洗うと決めているのですから。

やる気スイッチは自分で入れるものです。
子どものタイミングでいいのです。
お母さんが入れる必要はありません。

〈信じるなら待たなくてもいい〉

水筒をなんとか洗った男の子ですが
もしお風呂から上がっても洗わなくて
次の日も学校に持って行くとしたら
あなたなら洗ってあげますか?

実はここに
信じることの本当の意味があります。

水筒を洗うために
明日は5分早起きするかもしれません。
寝る前に洗ってほしいと
言ってくるかもしれませんし
明日は水筒を持って行かない覚悟かもしれません。

いやもしかすると
何も考えていないかもしれませんし
そこまで考えが及ばないかもしれません。

いずれにしても
子どもが選択したことに
手出し口出しはしないことです。
結果も含めてすべて子どもに委ねればいいのです。

学校に水筒を持って行けないことで
水道水で我慢をしなければならないし
お茶が飲みたくなれば職員室に行って
先生に事情を説明しなければならないけれど
これらは経験してこそ学べること。

明日は自分の好きな時にお茶が飲めるように
水筒を持って来たいと思えば
「帰ったら水筒を洗おう」と思うでしょう。

約束を守らなかったことで生じた結果にも
子どもが最後まで自分で責任を取ること。

そして親は
「この子はきっとやり遂げられる」と
信じて見守ってあげること。

こんなふうに子どもを信じ切ることが
「信頼」になります。
子どもも親から信頼されていることを
「愛」として受け取り
信頼関係を築いていくことができます。

〈芦田愛菜さんに学ぶ「信じる」ということ〉

何年か前に芦田愛菜さんが
「信じる」ということについて
哲学的に表現され話題になりました。

※一部省略しています。


「その⼈のことを信じようと思います」
っていう⾔葉をけっこう使うと思うんですけど
それがどういう意味なんだろうって考えたときに

その⼈⾃⾝を信じているのではなくて
⾃分が理想とするその⼈の⼈物像に
期待してしまっていることなのかなと感じて。

だからこそ人は「裏切られた」とか
「期待していたのに」とか言うけれど
それはその人が裏切ったわけではなくて
その人の見えなかった部分が見えただけ。

その見えなかった部分が見えたときに
「それもその人なんだと受け止められる
 揺るがない自分がいる」というのが
『信じられること』なのかな。

揺るがない自分の軸を持つのは
すごく難しいけれど
だからこそ人は「信じる」って口に出して
不安な自分がいるからこそ
成功した自分や理想の人物像に
すがりたいんじゃないかと思いました。


知性あふれる表現は
到底真似はできませんが
「信じる」ということの
本質をついていると思います。

〈あとがき〉

「子どもを信じる」ことの大切さが
伝わったでしょうか。

親の思う通りになることや
子どもができるようになることを
信じるのではなく
「自分の力で乗り越えられる」と
やり遂げるまで見守ることが
「信じる」ということです。

信頼されている子どもは
自分のことも信頼できるようになるので
自分自身を生きる子どもになります。

相手が子どもであっても
信頼するには、あなた自身が
自分を信頼できていることも重要なのです。

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