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私が助産師を辞めた理由

このページにお越しくださり
ありがとうございます。
お母さんを笑顔にするお仕事の人
子育て専門助産師なとりです。

今回は私の短かい助産師経験から
「なぜ助産師を辞めたのか」を
振り返ってみたいと思います。

助産師になった理由ではなく
辞めた理由です。

単純に言えば
思い描いていた世界と違ったという
理想と現実のギャップなのですが
当時はものすごく葛藤があったわけです。

これまでその理由を
自分以外の誰かや何かのせいにしたり
思ったりしてきた節があったのですが
今ならもう少し上手に言語化できると思い
書いてみることにしました。


〈初めて学んだ自然分娩〉

私が最初に就職した病院は
「自然分娩」をうたっており
「アクティブバース」
「フリースタイル出産」という
教科書に載っていないお産をしていました。

こうした分娩スタイルに至った経緯を
現在でもこの病院にいる部長先生が
数年前にグループ内の広報誌で語っていました。

外国人居住者が通うクリニックと
ご縁があった先生のもとへ
そこに通う欧米企業トップの妻たちが
「こういうお産をやってほしい」と
要望書を持って来たことが始まりだったそうです。

この要望書には
お産の現場では当たり前で私も実習で習った
*会陰切開
*剃毛
*浣腸
*導尿
*点滴、など
これらの処置をしないでほしいという要望にくわえ

*出産には夫に立ち会ってほしい
*赤ちゃんが生まれたらすぐに抱かせてほしい
 そして母乳を飲ませたい
*へその緒は夫に切ってほしい
*赤ちゃんをすぐにお風呂に入れないでほしい
といった要望が書かれてあったそうです。

同じころ
やはり外国人の産婦さんのお産が長引き
帝王切開の準備を始めようとしたとき
助産師が(英語で)産婦さんに
立ってからだを動かそうと誘ったところ
間もなく赤ちゃんが生まれたという
驚愕の経験をしたといいます。

「本来お産は病気ではない
 人間の生理的な営みの一つ」
という根本的な考え方から
分娩台に縛り付けない自由な分娩体位や
ルーティンに縛られない新たな産科ケアが
次々と生まれていったのだそうです。

まさにこのタイミングで
まさにこの産科に私は配属されたのです。

〈助産師一年生が見た世界〉

こうして学校では学ばなかったことを
助産師になりたての私は
一から学び経験していきます。

まだ看護技術も不慣れでしたし
陣痛が始まっているのに浣腸をするなんて
まるで拷問…と思っていましたから
私だったら医療の手をくわえない
自然に任せたお産がしたいと思っていました。

正常分娩は助産師に任されていましたが
それは同時に
状況を正しく把握する観察能力と
迅速で的確な判断能力が求められる
ということでもありました。

もちろん勉強もしましたし
日々振り返りをして
自分の知識と経験を蓄えていきました。

こうした毎日の中で
私は自分が置かれている環境が
どれほど秀逸であるかを
身に染みて思うようになります。

それは自分にとってだけではなく
産む側にも同じことが言えました。

病院という安心できる環境にありながら
安全なお産が大前提で
不要な医療介入はしないのに
緊急時にはすぐに医療介入が受けられるのですから。

この病院でのお産を目指した妊婦さんで
産科外来はいつも混雑していて
妊婦健診での待ち時間は
3~4時間は当たり前でした。

いまから30年近く前の話です(笑)。

〈その人らしいお産とは〉

そんな病院でのお産で
私が大切にしていたのは
「その人らしいお産」。

どんなに大きな声で叫ぼうと
パニックになろうと
ナースコールで何度呼ばれようと
ずっと横になって耐えていても
泣いていても笑っていても
その人がその時に感じていることを
隠すことなく表現することです。

そう、本能を発揮できるお産。
お産の主役は産婦さんです。

実は私は「呼吸法」は重視していなくて
呼吸さえ止めさえなければいいと
よく母親学級で話していました。

陣痛の波が来たらゆっくり息を吐く。
これだけです。

息を吐ききったら自ずと息を吸うので
またゆっくり息を吐く。
人間のからだは息を吐くと
リラックスできるしくみなのです。

当時の私は知らなかったのですが
これはソフロロジー式の呼吸法と
だいぶ似ていたようです。

ところが
お産を終えての振り返りで
「呼吸法がうまくできなかった」
という言葉が出てくるのです。

私はとても衝撃でした。
それも一人や二人ではないのです。

〈どんなお産がしたいか〉

私は「あなたは呼吸法をうまくやる
お産がしたかったの?」と
聞きたい気持ちをぐっと抑えました。

そもそも呼吸法は
「一昔前のラマーズ法」でいうと
普段はしない呼吸法をすることで
呼吸に意識を向けて集中し
痛みの感じ方を緩和する方法です。

要は
痛みへの恐怖を呼吸で和らげましょう
 ↓ ↓ その結果 ↓ ↓
リラックスしてお産に臨めます
ということです。

おそらく誰もが聞いたことがある
「ヒッ・ヒッ・フー」には
呼吸に合わせてお腹をさする
補助動作も同時に行ないます。

ラマーズ法の本来の基本的な考え方は
「痛みに対する不安が痛みをより強く感じさせる」
という条件反射を和らげるために
妊娠中にお産の仕組みを理解しておき
お産の時もいつも通りでいる
ということなのです。

それがいつの間にか
ラマーズ法=「ヒッ・ヒッ・フー」という
呼吸法だけが独り歩きしてしまったのです。

ですから「ヒッ・ヒッ・フー」と
呼吸をすることが目的なのではなく
リラックスしたり
呼吸法を用いて
自分で痛みをコントロールすることが
本来の目的なんです。

呼吸法を上手にやることなんて
まったく必要ではないし
ともすると
呼吸法の意味や目的を
履き違えてしまっているのです。

まして「今回のお産」としては
一生に一度しかない経験なのに
こちらが呼吸法を教えたり誘導することで
この女性たちに
「できなかった経験」をさせてしまっているのです。

〈誰のためのお産なのか〉

ではこの女性たちは
どんなお産がしたかったのでしょう?
なぜそこまで呼吸法にとらわれて
しまったのでしょうか。

そして
呼吸法を上手にすることの目的って
何だったのでしょうか。

「落ち着いていると思われたかったから」
なのかもしれませんし
「褒められたかったから」
なのかもしれません。

そうなんです。
「私はこんなお産がしたい!」
ここがすっぽり抜けてしまっているのです。

女性たちにとって大切なお産の経験なのに
「自分がどうしたいか」よりも
「相手(※)にどう思われたいか」
こればかりを気にしているのです。
(※)助産師や医療者、夫をはじめとする家族、ママ友など

だから
出産という大仕事を終えても
それが「やり遂げた(できた)経験」として
受け入れられていないのです。

どんな経過やどんな方法であっても
赤ちゃんが無事に生まれたこと
自分がお産をやり切ったこと
赤ちゃんと一緒に頑張れたこと
どれも素晴らしいことですよね。

ここに目を向けられる女性が
本当に少なかったのです。

どんなお産の方法が自分に適しているか
それが分からないまま
「自然分娩」で「会陰切開をしない」から
この病院でお産をしたいと思ったそうです。

冒頭で触れた「要望書」は
30年前では斬新でした。

しかしそういった
医療介入をしないお産が日常になると
どの「バースプラン」を見ても
驚かなくなっていました。

〈バースプランあるある〉

「こんなお産がしたい」という
バースプランを出してくれる女性も
少しずつ増えていきました。

ですがそのプランの多くは
病院ではすでに受け入れ済みのことが多く
目新しいプランはありませんでした。

次第にバースプランを出す女性に限って
それらが達成できないことが多い
ということに気づくようになります。

たとえば夫の立ち会いを希望すると
夫が仕事で立ち会えないとか間に合わないとか
医療介入をしないでほしいと希望すると
吸引分娩になったり帝王切開になったり。

当時は「なぜだろう?」としか
思っていなかったのですが
今ならわかります。

多くの女性はお産に対して
「恐怖」や「不安」を抱いています。

その女性はずっと
「恐怖」や「不安」の感情で過ごしていたから
バースプランが叶わなかったのです。

お産を迎えるまで毎日
「怖いな」「嫌だな」「私にできるかな」
と思って過ごしていると
「お産をやり遂げた自分」を
イメージすることができないですよね。

イメージできないということは
お産をやり遂げるために
何が必要でどうすればいいのか
それをみつけることができないので
前に進めないのです。

もっとわかりやすく別の例えで言うと
「お産は痛くてつらいもの」と聞けば
それをどう乗り越えようか考えますよね。

お産について調べてみたり
痛みはどんなだったか人に聞いてみたり。

この調べたり人に聞いてみたり
という行動がなければ
お産は痛くてつらいものであることを
そのまま受け止めることになり
受け止めた通りの「痛くてつらいお産」を
迎えることになるのです。

バースプランが叶わなかった女性は
『不安な自分』ばかりをイメージして
お産の場面をイメージすると『怖くて』
夫が立ち会えるかどうかを『心配』して
『帝王切開』にならなければいいなと
思っていたのだと思います。

こうした思いで毎日を過ごしていると
『不安』『恐怖』『心配』『帝王切開』の
イメージばかりが膨らんでいきます。

本当は望んでいないのに
まるで望んでいるかのように
毎日考えているのですから
それが叶ってしまったのです。

イメージできないものは実現できないし
イメージできるものは実現できるのです。

〈助産師ってなんなのか〉

さて私がこの病院限りで
助産師を続けられなかった理由ですが
助産師って無力だなと感じたからです。

妊娠してこれからお産を迎える女性に
伝えたいことがたくさんありました。

助産師ってお産のお手伝いは出来るけれど
実際のお産の場面では
女性が本来持っている「産む力」を信じて
赤ちゃんが「生まれたい時」を待つこと。
これしかできないのです。

その女性が自分の産む力を
信じることができていなければ
ほかの誰も信じることができません。

そうすると赤ちゃんの生まれたい時を
ただ待つだけになってしまいます。

お産の主役は産婦さんなのに
果たしてこれで
「産んだ」実感が持てるでしょうか?

お産は「産ませてもらう」ものではありません。
産む人が「自分で産む」ものです。

「どんなお産がしたいのか」
答えはあなたの中にあるのです。

自分の思いを自分で決められて
自分を生きる女性が
増えていくことを願います。

〈あとがき〉

今年の6月に発表された2023年の
出生数は72万7277人で
合計特殊出生率は過去最低の「1.20」
都道府県別の合計特殊出生率は
すべての都道府県で前年よりも低くなり
東京都の合計特殊出生率は「0.99」で
史上初めて1を下回りました。

これだけ出生数が減っていると
助産師はお産の現場を離れたところで
役割を果たしていくことが求められていきます。

お産は病院にお任せして

妊娠中のわからないことや
知りたいことをひとつ残らず聞ける

赤ちゃんが生まれたら
産後ケアや母乳の相談
その後は子育てや人生相談などができる

そんな
かかりつけ助産師になろうと思います。

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