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他者と素のまま生きる歓び

福岡県出身の九州のひとです。島根県隠岐諸島にある海士町で暮らしています。10年程まえ駐車場でひろいあげた茶色いトラ柄猫も一緒に、長旅の末この離島にたどり着いたのは2021年8月さいごの日。島の人は「すぐ秋になる」と嘆いていたけど私にはまだ夏真っ盛りといった気候で、夜の虫が遠慮なく家へと分け入ってくるあたたかい湿気を帯びた季節にやってきました。

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一度は去った観光のしごと

ここ海士町に渡る半年ほど前。そのころ私は熊本県の山奥にある黒川温泉に。広大な草原ひろがる阿蘇国立公園にほど近いそこそこの中山間地にあった温泉街は連日まだ朝晩気温が0度を下回る日が多く、石油ストーブ・こたつ・エアコンをフル稼働させ生活していました。黒川温泉で最も老舗といわれる宿に3年ほど在籍し、接客や旅の醍醐味を味わいながら、この宿を起点に温泉街や町を通じた観光に携わる生活を送っていました。宿の仲間と同じ釜の飯を囲み、飲んで遊んで、時にぶつかりながら観光のしごとの面白さを体感していたのですが、2020年に突入したコロナ禍で打ち出される国の様々な施策に気持ちだけはどうしても付いていくことができず。桜が咲きはじめようとしていた春先に地元福岡へ戻ったのです。

これまでの経歴に特色があるのか、転職はあっさりと決まり、福岡市内でリノベーションしたマンションの一室を借りました。64平米の、ひとりと猫一匹にはすこし広すぎるその場所で、近くの八百屋や精肉店で購入したものを料理し、公共交通期間の発達した都市ではバスや地下鉄を乗り継いで隣町へ出かけたり、UberEatsにはだいぶお世話に。

地方都市とはいえ福岡市での生活はただただ便利で、その便利さやあまりの人口密度に違和感を覚える自分もどこかに存在し、山奥での分け合い精神に思いを馳せる感覚にもうっすら気付き始めていました。そんな便利で平穏すぎる日々の中で、なんと自分の内部で消えかかっていた観光への火種が徐々に大きくなっていきます。悩んだ結果、入居したての部屋で2ヶ月経たないうちに、この熱を投資する先を探し始めていました。

九州のそとで暮らしてみる

真っ先にあたまに浮かんだのは、黒川温泉へ出戻る選択肢。あの土地とそこで暮らす人達が大好きなわたしには故郷より地元感があり、言葉としては戻るというより還るという表現がしっくりくるほど。ただ、その選択肢が浮かんだのは、ほんの束の間。戻ればすんなり受け入れてもらえそうだが、この短期間は観光へ再び思いを馳せただけ。自分のスペックはなにも変わっていないことを思うと、どうせなら一回り大きくなって帰る方が面白いのではないかと心が動きはじめ、この機会に九州以外で観光に携わってみたいと拠点を移す計画が立ち上がりました。

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阿蘇から海士のひとになる

候補地は箱根や長野、新潟に富山あたりも。山奥生活ですっかり山間部の暮らしが板につき、同じような土地環境地に絞り、いくつかのホテルや旅館で面接を受けている最中でした。

そんなとき。いまでは自分の新しい居場所となるEntôを見つけます。

隠岐諸島の一角にある海士町とゆう離島で、ジオパークの泊まれる拠点が立ち上がるそう。そこでスタッフを募集しているらしい。島の名前に聞き覚えがあったこと(のちに黒川温泉と関連のある町だったことが判明)、黒川温泉のある南小国町とおなじく、日本で最も美しい村連合に加盟していること、阿蘇と同じユネスコジオパークに認定され、カルデラ地形であること。これらの共通点と、今思えばかなり安易な動機のひとつでしたが、山には住めたから海辺で暮らすのもありかも…?と。そんな具合で応募してみて1ヶ月。トントン拍子で移住は決まり、離島で暮らすことのハードルがどれほど高いものか分からないまま、引越までの期間には逢える人に逢いに行き、食べたいものを食べに行き、入れるだけ温泉を巡る生活を経て、この島へ流れ着いたのでした。

長い歴史を経てつくられた島の風土

人口2300人に満たない離島ですが、その1、2割は他所からの移住者。そのわりに地方でよく用いられる「Iターン」「Uターン」といった表現を積極的に聞くことはそれほど多くありません。

テレビ放送中の「鎌倉殿の13人」に登場する後鳥羽上皇がかつて配流された島が、この海士町。わたしのような「よそ者」を受け入れる島自体の風土や気質は、深く長い歴史から紐解くとより面白く、少し古い記事ですがこれらを読むと理解がぐっと高まりました。よろしければ是非。

「ないものはない」を体感体現する

島の標語ともいえるこのフレーズ。ここでやってみよう、と思えたきっかけのひとつでもあります。

「ないものはない」というある種の潔さ、同時に「大事なものはすべてある」というまるで真逆ともとれる意味合いをもった不思議なコトバに一目惚れしたところは実際あって、加えて「ないなら自分たちでつくればいい」「やるしかない」といった気概や前向きさも兼ね備えている強い強いメッセージです。

コンビニも大型スーパーもホームセンターもなく、夕方には閉店するこじんまりとした商店で日常の買い物を済ませ、時にはいただき物で食卓を豊かにする。ここは地方の果てのような場所ですが、人の交流が盛んであることから起業やインターンなど新しいチャレンジを求めていたり勢いのある姿勢で流れ着くひとも多い印象です。

逆に旅人は、ゆったりゆっくり日常と離れて内省したりワーケーションしたり、アクティビティを通したりで自然のなかに身を置く方々も。

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どんな経緯で流れ着いたとしても、この島では、ありのまま素の自分でいられる時間がどこかに転がっています。ホテルのベッドに寝転んだとき、海面に照らされる朝日で目が覚めたとき、山歩きや釣りをしているとき、ご近所さんと道端で雑談したとき。それを見つけたときの嬉しさや気付きで、より自分や他者を認められるような「余白」を生み出す瞬間に出逢える気がします。一緒にはたらく仲間がそうであるように。いまのわたしが、そうであるように。

そんな余白を、これから出逢うかも知れないあなたへそっと渡せるように。受け取ったあなたが、また誰かへと余白を渡し続けていけるように。

この島で、観光や旅について考え、表現していきます。おたのしみあれ♨


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