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半纏と法被の違い

半纏(はんてん)と法被(はっぴ)の違いをご存じですか?

似ているような気がするけど、どう違うのかイマイチわからない…

"半纏"と"法被"の二つの言葉を聞いて一度は思ったことがあるのではないでしょうか。
今回は違いがハッキリしない半纏と法被の違いについて、ご紹介します。

法被(はっぴ)とは

法被は江戸時代の武家社会で生まれました。武士が家紋を大きく染め抜いた羽織を着用したことが法被の始まりのようです。当時は衿(えり)を返して着用していたようですが、江戸時代の末期になり、庶民に広がると衿を返さないで着るようになったそうです。

形は、胸紐つきの単(ひとえ)で、筒袖または広袖の単純な形をしているのが特徴です。

「法被」の名前の由来
奈良時代から平安時代初期にかけての貴族階級の衣服の一種である半臂(はんぴ)に由来するという説があります。半臂は男子朝服の内衣で、袍(ほう)や襖(あお)の下に着用します。
また、江戸時代の「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」いわゆる「贅沢を禁止する条例」により、絹織物である羽織の着用も難しくなった。そこで、木綿で作った羽織風の半纏を少しでも高貴な衣類と捉えたいという思いから、高僧が座る椅子の背もたれに掛ける布「法被」にあやかり、法被と呼ばれるようになったという説もあります。

半纏(はんてん)とは

お祭りで着るイメージがある「半纏」ですが、実は江戸時代では庶民の間で着用されるようになった防寒着のことでした。
形は羽織に近く、袷(あわせ、表地と裏地の二重)があるのが特徴です。

よく知られる綿入れ半纏は、袷の間に綿を入れたものになります。

「半纏」の名前の由来
袖の丈が半分程しかないことから「半丁(はんてん)」と名づけらたという説と、着物や浴衣の反物の半分の布だけで作れたことから「半反物(はんたんもの)」と名づけられたという説があります。この「半」に「纏う(まとう)」の字を足して、「半纏」と書かれるようになったようです。

半纏と法被の混同

「法被」は衿を返して着る羽織り、「半纏」は防寒着を示していましたが、江戸時代に出された羽織禁止令がきっかけで、混同されるようになります。羽織禁止令が出たため、庶民は衿を返す羽織や法被の代わりに、「衿を返さないで着用する法被」を着るようになりました。それは"印半纏"とも呼ばれ、江戸の人々の生活に根付いていきました。

印半纏は、襟から胸元にかけて文字を入れることで、着用している者の所属や名、意思を表したりすることができます。

そのため、職人や商家の使用人が日常的に着るもの、町の火消が着るもの、祭礼に着るものとして、様々な場面で着られてきました。

その印半纏が皆さんがイメージされている、祭りやイベント、お店のユニフォームなどで着用される半纏・法被です。

印半纏は「絆纏」とも書きます。

"(きずな)"を"纏う(まとう)"

地域や会社の結束力を高める効果もあるのが絆纏です。
半纏、法被を初めて作ろうと思っている方は、不安なことがたくさんあると思いますので、ぜひ、こちらも合わせてお読みください。↓↓↓

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