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「きょうだい児 × 京大生」の就活

こんにちは!京都大学4年生の八方美人と申します。
本年度からこのゼミに運営として参加しています。
自己紹介としてこんな感じの話をしようと思います!

僕と妹

僕が3歳、妹が1歳の時に妹は障害の診断を受けました。
つまりぼくは「きょうだい児」です。

妹は今年21歳になります。
今の知的水準は幼稚園の年長か小1くらいでしょうか(※僕判断)

妹の書いている文字はほとんどがひらがなで、計算とかはあまりできません。
時計はめっちゃ時間はかかるけれどわかってるんかな?

一方、おかげさまで身の回りのことはほとんど自分でできるようになりました。
診断を受けた際は、「歩けない、話せない、おむつとれない」と言われていたそうです。

ですが、当時僕が通っていた幼稚園の先生が「妹も通わせなさい」と母に言ってくださり、幼児教育のおかげで「歩ける、話せる、おむつとれる」になりました。
本当にありがとうございました。

僕は物心付いた時には妹が他の子とちょっと(だいぶ?)違うことを感じていました。
そんなこんなで妹が障害を持っていることを21歳になるまでほとんど周囲に話すことができませんでした。
ここんとこの話はまた今度しようと思います。
(よかったらフォローして待っててください♡)

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きょうだい児たちの進路選択

今回は4年生の僕が就活を通じて感じたほやほやの話をしようかと思います。

以前、しろくま会というきょうだい児の集まりに参加した際に20代前後の方が15人弱来ていたのですが、8割くらいの方が、福祉系の学部だったり、きょうだい児に関する卒論を書こうとしていたり、保育士志望だったり、介護士だったりでびっくりしました。
(※開催日によって、福祉系の参加者の比率にはばらつきがあるそうです。福祉に関わりがある方にとっても、ない方にとっても、素敵な場ですので、ご興味のある方は是非リンクからチェックしてみてください!)

多くの人が何かしらの形で福祉に携わっていたのです。

統計とかがなくて恐縮ですが、噂に聞くところ障害者のきょうだいや家族が、福祉の道に進む傾向は顕著にあるそうです。

これは僕も例外ではありません。

就活の大きな軸として「障害」がそびえたっていました。

本気で考えていた就職先はたった3つ。
提出したエントリーシートは4枚。

学生のエントリーシートの平均提出数は26.3社であることを考えると異常に少ないです。
まったく関係ない民間企業も一時期考えましたが、「障害」から離れた瞬間、エントリーシートを書くことができませんでした。

昨今の就活では「自分が何をしたいか」や「自分がどのようになりたいか」を明確にすることが求められます。

僕のような受動的な人間にそんなものはほとんどありません。
ただ、障害については考えさせられることは多く、何か自分もできたらという思いはありました。

大学受験では、将来は自分で会社を作ってそこで妹を雇えばいいんだと思い、経済学部(経済経営学科)を選択。
一回生の時のゼミ形式の授業でも障害関係の授業を履修しました。(周囲には内緒で)
後に、その授業の先生に、「自分の会社で妹を…」という話をしたら、「自立とはたくさん依存先をもつこと」だと教わり、自分が妹を守ることは逆に妹の自立を奪うのだと知りました。

そんなこんなで何となく始めた就活。
それでもやっぱり軸は「障害」でした。
面接では、「ハンディキャップがあっても安心して暮らせる世の中にしたい」とひたすら一丁前の口をきいていました。

ただ、それが「本当に人生をかけてやりたいこと」なのか、「就活でそういったことを話す必要性に駆られているから拵えた思い」なのか、最後までわかりませんでした。

きょうだい児京大生が就活を通して感じたこと


就活をしている中で感じたことは、障害が身近にあり障害に理解があると思っていた自分が、人一倍障害を特別視していたことです。

僕はことあるごとに「特別支援教育は~」だの「障害者雇用は~」だの障害関連の分野の中で一生懸命に意見を言っていました。
そんな中、人事の方から「本質を考える」ことの必要性を教えていただきました。

具体的には、
特別支援教育こそが、生徒に寄り添うことを重視しなければならないと考えていたが、それは特別支援教育に限った話ではなかった。
障害者雇用こそが、労働者一人一人と向き合わなければいけないと思っていたが、それは障害者雇用に限った話ではなかった。
といったように。

おぉ~、こりゃすごい。遅れていると思い込んでいた障害分野が、実際には教育や雇用の本質を捉えた先進的な存在になっていたとは。
「就活生」としての僕はとても感銘を受けました。

ただ、それでも「きょうだい児」としての僕にとって障害は「特別」なものだと思ってしまいます。

上記の本質がどうこうの議論は良いと思うのですが、世の風潮として「インクルーシブ」だの「障害は個性」だのと言って障害を見えなくしているきらいがある気がします。

障害はまだまだ「特別さ」を持っていると思います。
家庭内に障害があると、偏見・差別や金銭的・身体的・精神的な負担など様々なことを考えさせられます。ここでいう「特別さ」は生々しい「リアル」とも言い換えられるかもしれません。

このゼミを通じてこういう意味での「リアル」を感じたい。

そして将来自分がどんな立場になっても忘れたくない。

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これから

自分の職業選択が本当に正しいのか、未だによくわかりません。

自分は人生をかけてまで障害や福祉に関わりたいのか?
それらに関わりたいのなら現状をどう変えたいのか?
その変化を起こすにあたってその職業選択でいいのか?

これらの問いに僕は本心から答えられているのでしょうか。
自分のことなのに自分でもよくわかりません。

このnoteのアカウントの他の投稿を読んでいただけたらわかりますが、他のメンバーは内省的に考える力がすごいです。
僕は何事もパパっとやりたいタイプでじっくり考える・感じる力が欠如している気がします。
社会人になってもじっくり考えつづけようと思います。

ただ、うだうだ書きましたが、僕なりに今できる精一杯の選択をしたつもりです。
まずは、障害はもちろん、生きていく中での不安や悩みを少しでも軽くできるように、微力ながら貢献出来たらと思います。

僕の母は妹の子育てにおいて「大変なことが多い分、なにかができるようになった時の喜びはひとしおだった」と言っていました。
これはとても大切なことだと思います。

障害などによって家族や周囲の人が感じる不安や悩みを少しでも解消し、その分感動や幸せを感じられる時間が増えたら嬉しいなぁと思います。

とりま来年から頑張る!

NOTEフッター


次回の投稿は府大で福祉の勉強をしているメンバーです!
等身大で素直な気持ち・考えを綴ってくれています!
8/5(水)投稿予定です。お楽しみに~!

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