相談委員長の考えごと 第7回~先生ではないけど、専門家?~
私たちは、NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp/
Sottoが行っている活動は幅広く、根幹となる電話・メールによる相談受付に加え、対面の場での居場所づくり活動、広報・発信活動などがあります。
各活動は委員会ごとに別れ、日々の活動を行っています。
今回から、電話相談を担当する「相談委員会」の委員長である「ねこ」さん(もちろんあだ名です)の、Sottoの活動を通して考えることを月刊連載としてお届けします。
Sottoの立ち上げ当初から活動に関わり、Sottoの文化を形づくることに貢献し、現在は電話相談ボランティアの養成を担当しているねこさん。
そんな立場から、Sottoの活動や、死にたいという気持ち、人の話を聞くということなど、様々なことについて考えることを語ってもらいます。
この連載が、読んでくださる皆さんにとって新しい気づきを得たり、死にたいくらいつらい気持ちについて理解を深めたりするような、そんなきっかけになれば幸いです。
第1回はコチラ→相談委員長の考えごと 第1回~死にたい気持ちについて~
前回はコチラ→相談委員長の考えごと 第6回~自分を傷つける意味~
相談委員長の考えごと 第7回~先生ではないけど、専門家?~
「気持ちをわかってくれてありがとう」「ちゃんと聞いてもらえてうれしかった」
長く相談員を続けているとお礼を言われることも少なくはありません。
喜んでもらえることに越したことはないのですが、たまにそれに加えて、人間ができているだとか、さぞ熱心に勉強されてきたのだろうという風に見られることもあります。
先生と呼ばれるたびに、医者でもなんでもないですからねと断るのですが、事実特別な資格があるわけではありません。
研修も、自分たちで何が必要かを考えてカリキュラムを作成していますし、専門のテキストがあるわけでもないので、何も知らない人から見れば、精神科医や心理士の後ろ盾もなしに大丈夫なのかと疑われるようなこともあります。
しかしSottoでは、精神疾患の治療や社会復帰の支援を謳っているわけではありません。ただただ、自殺を思い詰めるくらいに辛く孤独なとき、その孤独がやわらぐようにひとときでもそばにいられたら、という思いで活動をしています。
だから必要のない方にとっては本当に必要のないものですし、押し売りするつもりもありません。
しかし必要なときにそれがあるのとないのとでは、世界が変わるほど違うのだという自負があります。
私がSottoの立ち上げに関わった当初、もう10年近く前になるのですが、そのうちこの相談センター自体が世の中に必要なくなることがゴールなのかなと思っていました。
しかしよく考えてみれば、生きている限り悩みが尽きることはありえないし、悩み事を一人で抱えて過ごせば、そのどうしようもなさに耐えきれなくなるというのは、仮に時代が変わっても同じことです。
思い詰めずに済むというのは、頼れる場所があるとか、支えに感じることができるということかと思うと、ずっと続けていくこと、知ってもらうことこそが大切で、ある意味終わらないゴールなのだろうと考えるようになりました。
冒頭の、わかってもらえたとか、聞いてもらえたという実感は、言うなればやりとりを通じて両者の間に生じた何かあたたかなものです。
わかるとか聞くとかそういう言葉でもって表現されてはいるものの、ほかにもいろいろな言い換えが可能だとも思います。
心配してもらえた、気遣ってもらえた、人を頼ってもいいのだと思えた、自分の感覚がおかしいのではないと思えた、ひとりじゃないと思えた、心強かった、などでしょうか。
誰だって弱っているときにはやさしくしてほしいし、さみしいときにはそばにいてほしいものかと思いますが、それにきちんと応えられたということです。
もちろん会いに行くことはできないので、精神的に応えるということです。もっと簡単にいえば、優しくする、とかそういう類の行為だと思います。
そのために求められる教養や素質が特別にあるようには考えませんが、相手の立場で発想し動くことができないと、いわゆる無神経とかKY(K空気Y読めない)だという印象を与えてしまい信頼を得ることは難しくなります。
だから普段からロールプレイを繰り返しおこない、相手の気持ちに、わかってほしい部分に敏感であれるように心の筋肉を鍛えているのですが、それが素養だと言えるのかもしれません。
あまり人数的にも多くはないSottoの相談員ですが、趣味や嗜好は本当に色々で、いつもソシャゲ課金に注ぎ込んでしまうとか、みんなのお菓子を一人で食べてしまうとか、話を全然聞かないで人にちょっかいばっかりかけるとか、毎晩のように飲んだくれているとか、『こんなこいるかな』ばりに個性豊かです。
しかし、いつも一緒に研修の時間を共にし意見を交わし合い、いざ電話口で死にたいと相談を受ければ、きちんと相手のために心を向けることができる頼もしい仲間たちです。
相談委員長 ねこ
つづき⇒第8回「何をわかろうとするか」
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