相談委員長の考えごと_サムネ4

相談委員長の考えごと 第1回~死にたい気持ちについて~

はじめに

私たちは、NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp/

Sottoが行っている活動は幅広く、根幹となる電話・メールによる相談受付に加え、対面の場での居場所づくり活動、広報・発信活動などがあります。
各活動は委員会ごとに別れ、日々の活動を行っています。
今回から、電話相談を担当する「相談委員会」の委員長である「ねこ」さん(もちろんあだ名です)の、Sottoの活動を通して考えることを月刊連載としてお届けします。

Sottoの立ち上げ当初から活動に関わり、Sottoの文化を形づくることに貢献し、現在は電話相談ボランティアの養成を担当しているねこさん。
そんな立場から、Sottoの活動や、死にたいという気持ち、人の話を聞くということなど、様々なことについて考えることを語ってもらいます。
この連載が、読んでくださる皆さんにとって新しい気づきを得たり、死にたいくらいつらい気持ちについて理解を深めたりするような、そんなきっかけになれば幸いです。

第1回~死にたい気持ちについて~

 Sottoは、死ぬほど思いつめるようなときに、気持ちの支えを感じられる場所・時間であろうと考えています。それをすべての活動に通じる信念として、心の居場所づくりと称しています。電話相談、メール相談、語りあう会、シンポジウムなどなど、すべての企画について、それに適っているかどうかを大切にしています。

 一言に死にたいと言っても、そこにある思いや訴えはそれぞれに異なります。冗談で済ませるレベルでは、暑かったり寒かったりしただけでも死ぬ〜と言ったことや聞いたことが誰でもあるでしょうし、夏休みの宿題が終わらない8月31日に学校の爆発や巨大隕石の落下を願ったりしたことがあるのではないでしょうか。

 死にたい、つまり「〜したい」ということだから、単に死ぬとはどういうことかから導かれるだろう、心肺停止状態を望んでいるというわけではありません。きちんと相手と向き合って話せば、「死にたい」は、何らかの耐え難い日常から脱却したい、楽になりたいけどなれない、どうしようもない気持ちの表現の1つであることがわかってきます。

 もう死ぬことによってしか叶えられないのではないか、という絶望的な気持ちの表れであり、手段でしかないわけです。だから、死にたくないけど死にたい、という一見矛盾するような訴えであっても、それはおかしなことを言っているわけではありません。

 たまに、自殺を止める行為自体を防止活動として称えるのを目にしますが、逆の立場で発想すれば、それは単に楽になる手段を奪われただけに過ぎないということもありえます。息を吹き返した人にとっては地獄に引き戻される思いかもしれません。これは決して救助活動を非難しているのではなく、死ななかったら良いということではないという話です。

 また、助けたというのは一方の見方でしかありません。それぞれの立場や文脈があるという、当たり前の話でもあり、同時に無視されがちなことでもあります。死ぬのは悪いことだからそれを止めるのは良いことだという主張もあるかもしれませんが、どうして悪いことなのか本当の意味での説明はできないはずです。少なくとも、死ぬことを望む人にとって苦痛を甘んじて受け入れるだけの理由にはなりえません。

 だから、必要なのは、本人が今死ななくても良いかもしれない、と思えるような何かだということです。お金でしょ、恋人でしょ、というような問題解決が第一に浮かぶかもしれませんが、人が死ぬほど思いつめるようなとき、そこにはわかってもらえなさによる辛さの募るところがあるように思います。

 どんなに辛く苦しくても、大変だったね、頑張ったねと、自分をきちんと見てくれる存在に支えられることがあります。仮に誰からも認められなかったり、報われない気持ちと思うと、疲れ果てるときにはもう頑張っても仕方ないとすら思えてくるでしょう。

 結局は自力でなんとかするしかないわけですが、生活に関わるけどもう頑張るに頑張れないというときには、すなわち生きていられないということにもなります。また、とても生きていられないという気持ちのときの「頑張って生きてください」は苦痛の延長を強いられる言葉として響くことがあります。

 死にたい気持ちに関わろうとするとき、あまり目を向けられませんが、大切なのは死んでどうしたいかの部分だったりします。先にあげたような、楽になりたい、辛い思いをしたくないということかもしれませんし、思い知らせたいとか、詫びたいということかもしれません。

 いずれにせよ、全部終わりにしたいと思うほど、ひとりで抱えきれないような気持ちがあるということでもあります。だから死にたい気持ちを受け取る、ということは死ぬほど思いつめる辛さに思いを巡らせ、その本人が感じているだろう苦労や苦痛を想像するということだと言えます。

相談委員長 ねこ

つづき⇒第2回「しんどくならないんですか
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