第8回相談委員長の考えごと

相談委員長の考えごと 第8回~何をわかろうとするか~

私たちは、NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp/

Sottoが行っている活動は幅広く、根幹となる電話・メールによる相談受付に加え、対面の場での居場所づくり活動、広報・発信活動などがあります。
各活動は委員会ごとに別れ、日々の活動を行っています。
今回から、電話相談を担当する「相談委員会」の委員長である「ねこ」さん(もちろんあだ名です)の、Sottoの活動を通して考えることを月刊連載としてお届けします。

Sottoの立ち上げ当初から活動に関わり、Sottoの文化を形づくることに貢献し、現在は電話相談ボランティアの養成を担当しているねこさん。
そんな立場から、Sottoの活動や、死にたいという気持ち、人の話を聞くということなど、様々なことについて考えることを語ってもらいます。
この連載が、読んでくださる皆さんにとって新しい気づきを得たり、死にたいくらいつらい気持ちについて理解を深めたりするような、そんなきっかけになれば幸いです。

第1回はコチラ→相談委員長の考えごと 第1回~死にたい気持ちについて~
前回はコチラ→相談委員長の考えごと 第7回~先生ではないけど、専門家?~

相談委員長の考えごと 第8回~何をわかろうとするか~

 ついこの間までハロウィン一色だったお店の装飾も、11月になった途端クリスマスに切り替わり、いやいや早くねと思っていたのもつかの間、気がついたら本当に年末です。
よく楽器の練習でカラオケを利用するのですが、お盆と年末年始は料金が高くなるので私はそこで季節を感じます。

さて、この連載をはじめてから半年が経っていました。自分のnoteからネタをひっぱってきたり書き下ろしたり、noteの管理担当の子から反響をきいてはこういう話題に関心を持ってくださる方が増えることを嬉しく思っています。
もう一通りのことを書いた気もするので、あとはまた1から読んでおいてください、では降板必至なので何か考えます。
チューブのしっぽを巻き取り絞る感じで出していきます。
歯磨き粉とか洗顔料とか、もうないやと思いきやちゃんと絞れば案外残っていますよね。
それで出しすぎるやつ、あれです。

 相手の立場で発想すること。
抱えきれないその気持ちを想像して汲み取ること。
そしてそれが相手に実感として伝わるように感情表現すること。
ちょうどSottoのタイミング的にはボランティア養成講座の前期が終了しましたが、講座や研修ではおよそ先にあげたことを理解・実践できるように反復練習をおこないます。

常にそこに立ち返るという点において、それが共通言語として機能するものだとも考えます。
死ぬほど思い詰めるようなとき、その他人にわかってもらえないことによる孤独や苦痛が少しでもやわらぐように、ひとときの心の支えになる、というのが私たちの掲げる看板であり自覚する役割ですが、それを果たすための具体的な方法がいわゆる話をきく、感情を受け取る、わかってほしいだろうことをわかろうと努める、ということです。
今回はこの、わかるとか想像するということについてのお話です。

 経験のないことはわからない。
これは誰もがそういうものだと認識しているだろう事実です。
剣道をしている人は左手の小指の付け根にマメができて、ギターを弾く人は指先が固くなります。
局部麻酔をしていて痛みはなくても、縫合前に傷口をぐりぐりされる感覚はあります。
キャラクターきぐるみの中身がどれだけ過酷で臭いか、性差によることなど、あげるときりがないのですが、世の中のことはわからないことだらけです。
ましてそこに生じる悩みというのは、何をどう感じるかはそれこそ人によるので無限です。

 相談をするとき、今どんな気持ちか、どうしてそう感じるのか、相手にわかってもらうために事情や経緯を説明します。
想像力を働かせて聞きましょうと言われると、その再現映像を浮かべて検証することだと思うかもしれませんが、必ずしもそうした疑似的な追体験を促しているわけではありません。

目の前で派手に転んで血を流している人がいれば、駆け寄って、大丈夫?痛いよね、ということが言えると思います。
それをわざわざ、「今見てたけどつまづく前の足運びに問題がある」とか、「足元をよくみていないあなたが悪い」とは言わないでしょうし、「いやー自分もここで転んで怪我したんスけど今でも跡になっててねー見ます?」と言うのも違うと思います。

原因となる過程や、自分の体験に引き寄せて語るようなことは今必要ではないのです。
傷が痛むこと、血が出てるというショック、こんな目にあうなんて思いもしなかったという気持ちが汲めたら十分でしょうし、余計なことを言おうものなら、うるさいあっちいけとなる場面です。

 外傷で例えるとなんとなくわかりやすいかと思いますが、心の傷は傍目にその程度がわかりません。
しかし、死ぬほど思い詰めているという前提を出血に置き換えるなら、痛いにあたるのは、それだけ深刻なのだということ、重大かつ譲れないことなのだろうとか、ちょっとやそっとではどうにもできないということが想像できるかと思います。
それに伴って、悲しい、寂しい、悔しい、もどかしい、腹立たしい、など何かの感情を受け取ることができるでしょうか。
そして、それがどんな気持ちかということを掘り下げるのは、誰とどうなったという詳細の詮索をするのではなく、大切に思うこととか、期待が外れたとか、報われなかったという感情面においてはじめてその意味をなします。

相談委員長 ねこ

つづき⇒第9回「できることとできないこと
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~バースデードネーション開催について~

現在、12月30日に誕生日を迎えるSotto代表・竹本了悟のバースデードネーション開催中です!
バースデードネーションとは、誰かの誕生日に合わせて特定の団体に寄付を行うことで、お祝いと社会貢献活動が同時にできるという仕組みです。
↓のページから寄付をしていただけます。※「Syncable」という外部のウェブサイトに移動します。
竹本からメッセージが届いていますので動画でご紹介します。
クレジットカード(VISA・MASTER)で、500円から気軽に寄付していただけるようになっていますので、そっと(Sotto)お祝いしていただければ幸いです。
寄付していただいた方には、毎月発行しているSottoの会報をメールにてお送りします。

年末の忙しない時期ではありますが、500円から寄付していただけますので、気軽な気持ちでそっと(Sotto)お祝いをしていただければ幸いです!

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