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記憶を辿る49

『 華やかな世界 』

慰安旅行から帰ってからというもの、自身の未来を真剣に考え始めていた。
ご存知の方もおられるかもしれないが、私は大の麺好きである。

これを起点にラーメン屋を開業しようと考え、昼は建築資材の運搬、夜は掛け持ちバイトでラーメン屋や製麺所の門を叩いた。考えても答えの出ない問題が起きたとき、私は行動に移すことを心がけていることもあり、次なる課題、いや夢のようなものが生まれ始めた。
憧れのアメリカ移住計画である。

日本で製麺所、ラーメン屋で修行したらアメリカで開業しようか。
いや何店舗かを修行行脚して、まず京都で開業してから海外かといった具合に。

こうなると夢は鼠算で膨み心は躍るが、同時に問題や課題も生まれる。
すると解決する方法を見出すしかないから動くのみ。
動くと人は聞いてくるから退路を断たれる。
そんな具合に新しい光が舞い込み、私の長く続いた迷路の出口が見え始めていた。

行動一歩目は、夢に一歩でも近づく関連先のバイト先探し。
8時〜19時までは昼職で拘束されるから、それ以降で働けるラーメン店。
しかも自分が好きなラーメン屋さんや有名店のバイトとなれば皆無だった。
少しハードルを下げても無い。時給が良くても歯車として働くチェーン店は全く興味が沸かず、ならば就職だとなり、今では全国区になった大阪の”道頓堀 神○”の就職面接に行った事もあった。

就職先には言えない案件だから、こっそり働くしかない。
開業するにも先立つものは明日明後日で貯まる物ではない。
仮にお気に入りのラーメン店で働けたとしても、開業資金を得るまでには相当な時間がかかる。修行を終え、アメリカに渡ったとてすぐに開業できる訳でもない。
修行を重ねる事が美徳とも言える、古い考えに囚われていたのかも知れないが、早る気持ちと裏腹に、直面する現実の間で最終的に出した答えは”お金が先”だった。

お金の為に費やせる時間は19 時〜24時の5時間。
職種は限られ、キャバクラやクラブのウェイター、非合法カジノ、ホステスさんの送迎など。ダークウェブ的な職種を紹介してもらう事も可能だったが、自ら絶った”その世界”にまた戻る選択は絶対にしたくない。合法的に対価を得、未来に繋げたかった。

そうして私が選んだのは祇園の花屋さん。
営業は24時までに加えて賄い付きだったこのお店は、今でも東山通に面して営業されており、祇園では数店舗ある名の知れたお花屋さんだった。面接に行くと初っ端から「 体力ありそうやね 。いつから来れる? 」と即採用いただいた。
体力がありそうだと言うのが引っかかったが嬉しかった。


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