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The Place of Us を経て

文章を始めるにあたって、まず。
ご来場いただいた皆様、応援いただいた皆様に、再度お礼を申し上げます。

たくさんのアイディアと、能動的なエネルギー、超細やかな仕事、そして優しさで制作を共にしてくれたあのラボの皆様。
無茶振りを楽しんでくれて前向きに対応してくださり、何も言っていないのに大島の意図を汲みアイディアまでくださる舞台スタッフの皆様。
たくさんの観劇や作品に携わった経験からフラットに、外からの視点をたくさんくださった悠さん。
1つ渡したら数十倍のアイディアで楽曲を100曲超えで作って、もうよく分からない編集とか重ねて、もうよく分からないマツミさん。
たくさんのダンサーやスタッフが出入りするリハーサルに、練習場所を快く貸してくださったAyumi Ballet様。
翻訳チェックしてくれた、バーゼル時代の友人。
この公演だけでなく、実は大島の仕事結構いろいろサポートしてくださっている制作の林さん。
今回も凄い仕事量を淡々とちょっとおかしな言動を交えながらサラッとやっているように見えてしまう同じく制作の菅原さん。(←おそらく最も仕事量が多い。凄い。)
そしてなにより、大島の、「新しいものが見たい。」を楽しんでくれた、田中喜作さん。あまりパンフレットでは触れられていませんが、実は、今回の軸は私と田中さんの二人です。
皆様、本当にありがとうございました。

書きたいことがいっぱいある。
どうしようか。

(ひとまずお礼から書き始めたのですが、実はここには書ききれないお礼ポイントがたくさん。ダンサー紹介してくれたAmyさんやMakiさんそむちゃさんもだし、バレエ組を見てくれたChikakoさんもだし、須藤さんのロジカルで丁寧な仕事とやばいアイディアとか、吉田さんのスーパーTo do管理と斜め上視点にこっそり感動したり、田中さんの軸感にとても助けられたり、音照さんアドリブ力凄いし(本番半分は即興)、舞台監督今回めっちゃ楽しんでたよね?と思ったし、受付スタッフなんて俺ほぼ一言も話してないのに回ってるし。優しさ担当村上さんとか、俺がぶれそうになった時一緒にいてくれたし。)

良い現場でした。初めてお会いする方も現場にいて、ちょっと感動しました。助けてくれる人がこんなにいるのかと。見えていない人達、もっとたくさんいるんだろうなぁ。

常々思っているのですが、私が作りたい明確な作品像なんてものは存在しなくて、見たいものだけあります。新しければいいです。今は、そこに価値があると考えています。しかしそれは未だ存在しないものなので、私は行き先を決めて、責任だけ負って、後は信頼できるメンバーが動きやすい環境を作ることが、私の役目だなと感じます。あとはみんなが動いてくれる。私の仕事がたまに無くなって手持ち無沙汰になってる時もある。

さて、公演について、年末から何度も書こうと思ったけれど、全然消化できず、タイミングが掴めず、今になりました。
公演から2ヶ月くらい過ぎれば、もっとああすれば良かった、などの熱苦しい後悔も、意外とそうでもないなと自分を見れるのです。
The Place of Usとはよく言ったもので、私たちがあの時いた地点を、冷静に言い表しています。

この公演の目的はAIによるダンサーの拡張です。

私は人が変化していく様が好きです。
新しいものを受け入れようとする自身と、今までを壊すことに抵抗しようとする自身との狭間に身を置きながら、自身を革新しようとするその瞬間はとても美しく、エネルギッシュだと感じます。
そのエネルギーや姿に出会うためには、まず、変化を求める基盤があること。何かを得ようとする気持ちが発露していること。
私にできることは、私が持っているものを開示すること、そしてそれらを渡す行為、自分から見えている相手はその人の全てではないと知ること。
開示も渡すタイミングも、全て相手に合わせることが理想です。相手が欲しいと思った時に相手にとって必要なものを正しい形で渡す。
最も大事なことは、こちらから求めないこと。圧力が生むのは短期的なエネルギーであって、それは持続するものではありません。必要なのは理解してもらうように努力すること、理解してもらえなくても良いと知ること。私の在り方が相手にとって必要なところを探し続けること。
そんなことを思いつつも、今回も何度も失敗して、渡すものや渡すタイミングを間違えたけれど、待って、耐えてくれて、共に考え、力を貸してくれました。全て、ダンサー達が何かを得ようとし、何かを与えようとしている人達だからこそ、成り立った。

AIによってダンサーが変化しようともがく姿。
その姿を、見にきてくれる皆さんと共有したかったのだと、公演から2ヶ月経ってしっかり実感しました。

リハーサルを通して変化した人、最後まで更に変化しようと力を注いだ人、公演中に変化した人、変化が前提にあった為システムを通しての変化ができなかった人。どの立ち位置にいても、一定以上のエネルギーが必要です。
最期まで作品や自身のやるべきことに真摯に目を向けてくれたダンサーのみんなに、心より感謝を。


余談ですが、この変化のグラデーションは、互いが互いを支え合っていて、ある種の統一性のなさが、社会の構造に似ているなと感じます。
全員が変化しても、面白くないものです。そして全員が変化するということは、それは変化しないことと同義です。
現代は個々に目を向けることができるようになってきました。気づいていなかっただけで、実は多様であると言う認識が広まっています。国籍やジェンダー、年齢や関係性、そういったものが可視化されてきました。しかし、私はどんな人で、あなたはどんな人なのか、ということを言語化しないことができたら。属性はただの属性で、言葉は全ての本質を言い表すものではないので。言葉で表せること以外のことも存在していることを忘れないようにしたい。

ダンスという、瞬間の生き様を、もう少し見てみたい。
そう思わせてくれた時間でした。
また大島匡史朗が何かする時は、どうか皆様の力を貸してください。


追記:こんなにAIにフォーカスした公演なのに、終わってみれば、こんなにも人に目を向けているんだなと、自分の文章を読み返して思いました。AIAIと言っているうちは、人間から離れられないのでしょうね。






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