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経済編:③為替の歴史・変遷

こんにちは。現在連載している為替の話は少しイメージがしづらく、ぼんやりとしてしまう方もいらっしゃると思いますが、知ることで本当の価値観が見えてくると思いますので是非この機会に理解を深めて頂ければと思います。今回は昔から今に至るまでの為替の動きについて出来事を踏まえながら解説いたします。

外国為替取引がドル中心な理由

世界のほとんどの国では自国通貨とドルの交換をメインに取引がなされています。

なぜなら、アメリカドルは多くある通貨の中で1番信頼されていて世界中で利用されているからです。アメリカドルのことを基軸通貨(キーカレンシー)と呼びます。

外貨準備率(経済危機や災害など有事の際に備えて自国通貨以外の複数通貨を保有すること)を見てみても、世界単位で訳1200兆円以上ある中で、ドルが半分以上の600兆円を占めています。

それに、基軸通貨と言われる要因の中に、アメリカが経済大国であること(世界GDPの2割を占める)や、世界最大の軍事大国であることがあげられます。

経済大国の通貨であれば、急激に通貨の価値が下がることはあまりありませんし、リスクを抑えることができます。

逆に発展途上国などの通貨は経済基盤が未熟のため通貨価値が安定しません。

そして世界最大の軍事大国であるアメリカですから戦争やテロが起こってもダメージを最小に抑えることができてしまうのです。

ですから、世界では米ドルがメインに利用されています。

巷ではなにかあるとよく''有事のドル買い''と言われるように、ドルが買われる傾向が強いです。

しかし、最近になりアメリカの経済が落ち込んできたことにより基軸通貨としての体制を保てなくなってきた感じもします。

固定相場制と変動相場制について

皆さん、今の為替レートに至るまでにどのようなことがあって変化してきたのか知っていますか?歴史を辿っていくことで、理解が深めることができますので是非ご覧ください。

固定相場制
固定相場制は為替レートを固定、あるいは小さい変動幅で抑えることができます。

変動がある場合は上下1%以内といった決まりがあり、それ以上動きそうな場合は中央銀行が外国為替市場で通貨を売り買いして介入することで上下1%以内に収めようとします。

固定相場制を扱っている国はほとんど発展途上国です。

なぜ、発展途上国がこの相場を利用しているかというと、経済の基盤が整っておらず通貨価値の変動が大きく起こってしまうからです。基盤が弱いまま変動相場制に移行してしまうと、極端な受給により相場が急落して国家破綻のリスクもあり、相場として成り立たなくなるからなのです。

基本として貿易取引を安定させるために、ドルなどの信頼されている強い通貨に対しての価値を定め、為替の変動に一喜一憂することなく安定した貿易取引をすることが可能なのです。

固定相場制の役割は、発展途上国の経済発展のためにあるものだと思っておきましょう。

変動相場制
変動相場で動く国は需給の関係で通貨の価値が変化します。

極端な需給の差が生まれてしまった場合は市場介入によって相場を適切な水準にさせることもあります。

戦後のドルと円のレートの変遷

日本も固定相場制だった

日本は戦後から1949年から22年8ヶ月の間、固定相場制をとっていました。

1949年4月に正式に1ドル360円の固定相場制をとりました。

1952年になるとIMF(通貨と為替相場の安定化を図る国際機関)に加盟することで正式に国際レートとなりました。

1ドル360円ともなると到底アメリカに海外旅行に行こうなんて思えませんよね。(笑)

現在のレートが110円だとして
3000ドル換金しようとすれば
3000ドル×110=33万円
3000ドル×360=108万円

ビックリしませんか?75万円も差があるなんて…。

それほどアメリカと日本には経済格差があったと分かりますね。

ニクソンショックから徐々に円高に


無敵艦隊並みのアメリカ経済も1960年後半からベトナム戦争に失敗したり、1970年代に2回起こった石油の高騰(オイルショック)財政・貿易赤字の拡大によって少しずつ弱まりました。

反対に日本はその頃高度経済成長によって1969年から貿易黒字国になりました。

1ドル360円の今では考えられない円安だったので輸出すればするほど沢山の円が日本に入ってきました。

ここで1971年8月、ニクソン大統領が貿易赤字を減らすためのニクソンショックを起こしました。これはドルと金の交換を停止する内容でした。

当時は世界で1番経済力を持っていたアメリカでしたから、いつでもドルを金と交換できるようにしていました。その為固定相場制が成り立っていたのです。

ですから、1944年に導入された金1オンス35ドルという決まりのブレトンウッズ体制が崩壊しました。

ドルと金の交換が停止されることは、ドルの価値を下げ、新しい為替相場の仕組みを構築しなければいけないことを意味しています。

そこで1971年12月にアメリカのワシントンにあるスミソニアン博物館でブレトンウッズ体制に代わる新たな国際通貨体制を考える国際会議を行いました。(スミソニアン合意)

それにより主要通貨に対するドル価値の切り下げが行われ、1ドル308円になりました。

先進国が変動為替相場へ移行

1ドル308円になろうとも、アメリカの貿易赤字は一向に治まらず、日本とアメリカの経済格差は縮まっていきました。

ジャマイカのキングストンにて、変動相場制は承認されました。これをキングストン体制と呼びます。

固定相場制から変動相場制へ移行した理由は貿易の不公平を是正するためにあります。

仮に発展途上国が経済的に発展してくることで固定相場制のままでは不公平が生じてくる為です。

プラザ合意から急激に円高へ向かう

1985年9月にニューヨークのプラザホテルにおいて日米英独仏の5カ国の財務省と中銀総裁による国際会議が行われました。

それにより1ドル260円から300円で推移していたのですが、アメリカが財政と貿易赤字から債務国になりつつあり、それを解消するためにドルの価値を下げることを取り決め、5カ国で合意をすることになりました。

そこで合意が得られたことによる急激なドル売り円買いが進み、1年で1ドル140円まで円高が進みました。

1990年代には最高値の1ドル75円32銭まで円高が進みました。

現代:アベノミクス・トランプ相場

円安ドル高に
ドルと円の相場は安倍晋三氏が自民総裁選に勝った2012年9月から政策期待の高まりから円安ドル高に転じました。

それから首相になるとアベノミクス3本の矢と呼ばれる経済政策が始まりました。
・大胆な金融政策
・機動的な財政政策
・民間投資を喚起する成長戦略

2013年に日銀総裁に就任した黒田東彦氏が異次元緩和を行いました。
こうして市場に円を溢れさせることで円の価値が下がり、円安が加速しました。

2013年12月には1ドル105円になり、急激に加速し2015年6月には125円まで円安になりました。

このような活発的な円安への動きはアベノミクス相場と呼ばれています。

それからは新興国の経済が停滞したり、原油安、世界経済の不安からドル以外の安全な資産と言われる円が買われていくことで円の価値が上がり円高になりました。

円高に向かうも、2016年11月にアメリカ大統領選挙においてトランプ氏が勝利し、大統領に就任すると掲げた経済政策である拡張的財政政策の高まりへの期待米国長期金利の上昇により再び円安ドル高相場へと向かっていったわけです。

この局面をトランプ相場と呼んでいます。

今後は現在世間を騒がしているコロナによりアメリカ経済、世界経済に大きな打撃を被った先にどのような未来が見えてくるのか予想がまだつきません。

今後の動きについて政治・経済の両面で考えて事前準備をしていく必要があります。





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