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『短歌ください 双子でも片方は泣く夜もある篇』 穂村弘

そうか、短歌は読んでいる人の状況にこんなにも影響されるんだ。この本を読んでいる途中で、まだ始まってもいないけれど、終わったことがあって、わたしは関係者に報告し、そして慰めてもらって日曜の朝を泣きながら布団にくるまって過ごした。午後になって本の続きを読んだら、金曜まで通勤電車でくすくす読んでいた短歌たちが全く頭に入ってこなかった。小説だったら多少頭がぼんやりしていてもあらすじを拾えるかもしれないけれど、短歌は自分が適した状態じゃないと入ってこないんだ、深いコミュニケーションなんだと実感した。

雑誌『ダ・ヴィンチ』の中の投稿短歌ページ。穂村さんが選ぶ短歌とコメントが集められた1冊。10年も連載されているらしい。日経新聞の短歌投稿の穂村さんコーナーは、職場で毎週読んでいたけれど、ダ・ヴィンチでは1回しか読んでいなくて連載とは知らなかった。今後チェックしよう。

「『このテーマは投稿するしかないと思いましたというテンションに充ちていました』という穂村さんのコメントではじまる最初のお題は「童貞」または「処女」。

ー童貞じゃなくなった日に玄関をとおると母のおかえりの声 (柳本々々)

味わい深い。

ー悪いけどあなたの書いた「ね」の端に溜まるインクが気持ち悪いの(きみえ)

ー満員の電車に乗ってる全員の弁当を並べパーティしたい(戸田響子)

といったぞくっとするような、感情や発想の隙間を捉えたような短歌が詰まっている。わたしはここに投句するような人と友達になりたいな、と思った。でもきっとフナムシのように動きが素早くて、なかなか見つけられないんだろうな、とも思った。

やれやれ、と思いながら、この気持ちを創作活動に結びつけよう、とむくっと起きて下手な句を読んだ。そしてダ・ヴィンチのサイトで投稿した。コーヒーを淹れようとして、もう一句できた。これも投稿した。私の始めての短歌投稿はこんな感じだった。短歌ってこういう風に生まれるのか。

100 短歌ください 双子でも片方は泣く夜もある篇


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