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残されたいのちの時間と後悔と、これからの選択肢 (2)

この記事は、このリンクの続きです。

大泣きしながら夜道を帰った翌日、母の入院に必要なものを買うためにドラッグストアに行った。大人用のおむつの売り場に立って、子供のいないわたしは「人生で初めて買うおむつ」が母親のものだということに少し動揺していた。子供用のオムツだったら未来に投資する感覚が持てるのかなという思いがよぎって、うっすらとでも「命の終わりに近づいていく人にこれから買い物を続ける空しさ」を感じた自分の残酷さにゾッとした。「介護」や「介護用品」だって、よく目や耳にする言葉だったけど、自分の身に降りかかって初めてその言葉の意味が現実になる。これからのことをどうやって考えればいいかすら分からないまま、気持ちとちぐはぐな真っ青な空の下を車で病院に向かった。

それからしばらくは、普段は本や自分の生活用品を買うネット通販の購入履歴も、介護用品で埋まっていた。欲しい本を探そうとしても、おすすめに大人用紙おむつが出てくる。生活が変わってしまったのだとその度に思い知らされた。

病院では、母の容態を定期的に教えてくれる看護師さんたちは優しかった。家族の動揺もよくわかってくれているのだろう。言葉を選んでいる様子もわかった。でも、やっぱり何度聞いても回復の見込みがかなり少ないことは伝わってきていた。期待を持てば苦しくなるから、できるだけ現実を知りたい。だけどその現実こそがまた別の不安を呼ぶ。

病院側からは、連絡する際に窓口となってくれる人を家族から一人決めておくように言われていて、わたしがその役目をやっていた。病院からの説明を聞くのも書類の記入も持参も、一人でしていたけれど、その時辛かった気持ちを誰にも話せなかった。他の家族には任せっきりにさせられていたし、もともと、気持ちや感情をうまい具合に共有する家庭ではなかった。そして、近い親戚の人たちに言ったところで「頑張れ」「長女なんだから」と返される。
わたしのやりたかったことも、行き場のない気持ちも、誰も見ようともしない。この家族の中の、ただのヘルプ要員の扱いだった。憤っていたのに、自分自身もそれが当然でわたしがわがままを言っているだけなのかとさえ思い始めてきた。

自宅にいると、母の様子を聞きにくる人たちのことも煩わしくなっていった。わたしだって知りたいんだよ。毎回同じ質問をされて同じことを答えることがどれだけ疲れるかわかってよ。なんでみんな頑張れってしか言わないんだよ。もうできることは全部やってるのに、これ以上何をしろっていうんだよ。

全部がバカバカしくなった。わたしがどれだけ自分の時間を注ぎ込もうとも、やっているとそれが当たり前だと思われる。ヨーロッパ行きをやめたことも、やっと軌道に乗ってきた個人事業主としての仕事もいくつか断ることになっても、その時に身を引きちぎられるような思いをしたなんてことは誰も気にも留めていない。
そうして家族を優先して自分のやりたいことを削っていったら、自分の中がだんだん空っぽになっていくのを感じた。その空いたところに、怒りや憤りを湧いてくる。絶望のような無力感と、どうしようもない激しい感情に揺れ動き、それでも毎日やることはある。生きているだけでやることなんて無限に出てくるのだ。

その頃、車で運転していると、「このまま速度を上げて、電柱に突っ込んだら全部終わりにできるかな」なんて思いが浮かんで、一瞬間が空いて背筋に冷たいものを感じてブレーキに足をかけて減速したことが何度かあった。もしかしたら、医療機関にかかった方がいい状態だったのかもしれない。それでも、家のことをどうにかしないといけないと思って、ずっと自分に鞭を打ち続けた。

母の容態が落ち着いてきた(というか命の危機は脱した)頃、弾丸で東京へ行く事にした。行こうと思ってた展示を見たかったし、友人たちに会いたくなった。そして、ただ何の役割も背負わない自分に戻りたくて、この場所から離れたくなったのだ。そうしないと、これ以上自分を保てないと思った。
ずっと家で仕事をしていたし、もともと引っ越すつもりでいたから服も結構処分していて着ていくものもなかったから、足りないものも含めて買い物に行く事にした。往復含めて3時間、母が入院したから1ヶ月半経ってやっと自分のためだけに使えた時間だった。この時、本当にうれしかった。

東京での時間は、別世界に来たようだった。自分だけの意思で行きたい場所へ自分を連れていける。時間通りに来る電車に乗って、目的地近くの駅で降りる。スマホを見てもわからなくなったら、近くにいる人に聞いて道を教えてもらう。たったそれだけのことで、わたしが意思を持った一個人だという思いが満たされていった。
親の近くにいて、あの家の長女として家族のことで悩んでる自分を、もう一人の自分が遠くから冷静に見ている気にもなった。こういう自分を選ぶことも本当はできるのかな、という思いが一瞬湧いたのだけど、すぐに無かったことにした。わたしはまた戻って、あの暮らしを続けねばならないのだ、せめて今の時間だけでも楽しもうと考え直したのだった。


東京から帰って、気持ちはいくらかすっきりしたものの、やっぱり時間が経つにつれて澱が溜まっていくようだった。今思えば、少し先の未来に希望を持ち続けていられるようにと思ったのかも知れない。6月の終わり、クリスマス前に出発するオーストラリア行きのチケットを予約した。航空会社のマイルが貯まっていて期限も近づいていたから、それで足りるのがオーストラリアだったのだ。半年後、向こうが夏になる頃は今の状況はもう少しマシになっているだろう。こっちが冬になったら暑いところに行って海を見て、ぼーっとしよう。何もしない旅をすることに決めた。


3に続きます。



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