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残されたいのちの時間と後悔と、これからの選択肢 (1)

わたしの人生、終わったな
なんてことを1年と少し前に考えていたのだ。
そうとしか考えられない状態になっていた。下手したら、今わたしはここにいなかったかもしれない。それほど心の中はひどい状態だった。

それでも思いとどまれたのは「やり残したこと」があるからだった。

去年の4月の終わり、母が倒れて入院した。
くも膜下出血で、手術前後の医師の話からは回復が見込めないことがわかった。それは、意思表示もできず体も動かせない状態で命が続く限り変わらないということ。
その時は介護保険がどんなものかよくわかっていなくて、これまで自宅で介護をしてきた人たちを見聞きしていたから、当然自分がすることになると思った。
父は家事は一切できず、兄夫婦は遠方にいる。
コロナ禍で両親の家に戻ってきていたわたしは、仕事をしているとはいえ個人事業主で自宅にいる。周りの誰もがわたしにその役目を与えようとしてきたように聞こえた。
この状況が余計にわたしの思考を狭めた。

「娘さんがいてよかったね」と父に声をかける人。「あなたがしっかりしてね、お父さんも気落ちしているんだから」の声や「あなたがいてくれて、ご両親も安心よ」という声に、何度叫びたくなったか。引かれるかもしれないけれど、実際、思ったままの言葉を口から出したこともある。「わたしは召使いではない」「わたしのことを何だと思ってるんだ」と。

地方のせいか、
・女性が家事・介護して当然
・男性は仕事をするから家事・介護をする時間がない
・家族の誰かを助けるために、他の家族が犠牲になって当然
という考えがベースにあることをこの時になって改めて嫌なほど思い知らされた。

この言葉が嫌だったのは、「わたしがどんな気持ちでここにいるか」を全く考えてもくれなかったから。
本当は、夏にヨーロッパへ行く予定だった。将来的に移住する先を下見に行こうと計画していた。自分の人生を変えるタイミングを見計らっていた。
その矢先だった。


病院にいる父から電話がかかってきて、母が救急車で運ばれたから病院に来てくれとのことだった。この時は詳しい症状もわからなかったから、以前患った病気の再発かも、としか考えていなかった。
ところが、病院について説明を受けると思っていた以上に深刻で命に関わることだと聞かされた。その時は叔母夫婦、父とわたし4人がいたが、病院や医師からの連絡窓口となる人を一人決めて欲しいと言われ、わたしがやることになった。同じ日のうちに、ICUの待合室で、さらに詳しい説明を聞く。この時は、コロナの影響でこの待合に入れるのは一人だけと言われ、わたしが行った。看護師がやってきて入院に必要なもの、これからの治療などを細かく教えてくれる。一言も聞きもらさまいと、もらった用紙の裏に全部書き込む。話を終えて、ふと質問があるか聞かれた時に、急に涙が込み上げてきた。我慢していたものが急にあふれて止まらなくなった。看護師さんは、「心配ですよね」と優しく声をかけてティッシュを差し出してくれたが、わたしは自分勝手なことしか考えられなかった。

「母が死ぬまで、わたしはもう好きなことは全部出来なくなったんだ」

と今までやらなかったことの全てを後悔した。悔しくて、自分が情けなくて泣けたのだ。看護師さんが労わってくれるような「心配」をしていない自分勝手なやつなのだ。そのことに気づいて、なおさら自分の酷さが見えてきて涙になって止まらなくなった。

ICUの待合室から駐車場に向かう途中、同じ建物の中にある一般の待合室に叔母たちの姿を見つけた。帰っていいと伝えたはずだったのに、わたしが説明を聞き終えるのを待っていたのだ。
夕方頃に着いてから何時間も経っていて、外は真っ暗になって待合室と近くの自販機の明かりが不自然に明るかった。椅子に座っていた彼らの姿は小さく見え、表情から不安と疲れが見えた。ICUでの説明を簡単に伝え、帰ることにした。誰もがどうしていいかわからないような表情をしていた。わたしの頭の中はこれからのことと、後悔とでいっぱいだった。皆それぞれの車で来ていたので、わたしは自分の車に戻り一人で家に向かった。病院からの帰り道は、よく通る道だったし動揺はしていたものの夜の運転に不安は感じなかった。
でも、街灯の少ない道を進んでいくほどに、暗さが心細さを増したのか気づいたらまた涙が止まらなくなっていた。そうして、これから先は母の介護が始まるのかと思うと、途端にまた後悔があふれてきた。

なんであの時、やりたかったことをやめたんだろう。
なんであの時、行きたい国に行くのをやめたんだろう。

いつかまたチャンスは来ると呑気に構えていたのかもしれない。自分がやりたいことなんて大したことないのかも、とくだらない遠慮をしたのかもしれない。頑張らないと出来ないことなんて大変なだけだ、と格好つけたのかもしれない。「そんなこと」より、大人だからもっと大事なことがあるはずだから忘れた方がいいと思ったのかもしれない。でも、消えてはいなかった。全部、全部、フラッシュバックみたいに鮮明に蘇ってきたのだ。あと少し、手を伸ばせば掴めたはずのことも、わたしは理屈をこねて諦めた。別のことを選んだとも言えるけど、本当はやりたかったこともある。あれも、これも本当はやりたかったのに、今からでは無理なんだ、と悔しくなって顔がぐしゃぐしゃになるくらい泣いていた。悔しくて悔しくて、行き場のない気持ちは、叫び声になっていた。誰にも聞かれない場所で、やっと感情が外に出たのだけど、その大きさは自分で扱いきれなくなっていた。


続きは (2) で。


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