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妄想日本代表選出によるワールドカップ出場の後

 Jリーグが新型コロナウイルスの影響で中止となっている。無聊を慰めるためか、TwitterでエアJリーグというものが流行っているらしい。有象無象の自己啓発書だかに「イメージトレーニングは大事」と書いてありそうなので、私も早速実践することとする。

 二○一八年七月三日。ロシア南東部にあるロストフ・ナ・ドヌ。ドン川沿いにそびえる真新しいロストフアリーナに世界中の視線が集まっていた。
 サッカーワールドカップ2018ロシア大会。優勝候補の強豪ベルギーに対し、原口選手と乾選手の連続ゴールで日本代表よもやの二点リード。後半二十分、勝利を確信した西野監督は一人の大ベテラン選手の投入を決意した。それは本田選手ではなく、全国民によるくじ引き抽選によって二十三人目の代表選手として選出されつつも未だ試合出場を果たしていない負谷選手、その人である。
 満を持してピッチへ躍り出れば、セネガルのシセ監督に憧れて編み込んだというドレッドロックの長髪をなびかせて、さらに編んで以降何日も洗髪できないが故の豊潤な皮脂の臭いを漂わせては、アザール選手、ルカク選手、フェライニ選手といった世界のスーパースターを脇役に追いやるほどベルギーの十二人目の選手として獅子奮迅の活躍を見せるのだ。オウンゴールを含む全失点に絡み、日本は2対8で惨敗した。日本中、涙も何もなくただただ呆然。じきに打ち寄せる憤怒の大波。
 記者会見で「これで代表を引退する。自分で引退する時を決めることのできる稀有な選手はそうそういるものではない」と言い放ち、遁走。ドレッドロックは目立つので、慌てて現地の床屋で五分刈りにし、ほとぼりが冷めぬうちに帰国するわけにはいかぬからと、今立っているのは日本代表合宿地であるタタールスタン共和国のカザンにあるカザン・パッサジルスキー駅である。
 ここからニジニ・ノヴゴロドかペルミに出てシベリア鉄道に乗り換えて、東を目指すのも良いが、シベリア鉄道はおそろしく退屈だという。ヴォルガ川沿いをそのままカスピ海の河口の町アストラハンまで下り、カザフスタン、ウズベキスタンと中央アジアを抜けるルートの方が趣深い。
 12:21カザン発の列車に乗り、翌日の21:30にアストラハンに着く。一泊し、17:02の列車で国境を越える。翌朝7:08にカザフスタンのアティラウに着く。パスポート写真ではドレッドロックの男は目の前では五分刈りとなっており、パスポートチェックで一悶着あるだろうが、ここは賄賂で切り抜けたい。
 アティラウからはウズベキスタンの首都タシュケントを目指す。途中駅のヌクスにてアラル海の干し上がった光景を見て環境破壊に問題意識を抱くもよし、ヒヴァやサマルカンドにてシルクロードの歴史のロマンに浸るもよし。ただ、この辺りの列車は冷房がなく、夏の車内は四十度にもなっており乗客は皆ぐったりしているといくつかの紀行文で読んだ。私のような繊細なシティーボーイには絶対無理と、我に帰るのである。

 イメージトレーニングはただの妄想であり、サッカーではなく、単なる乗り鉄の算段ということに気づく。新型コロナウイルスの影響で図書館が休館となる前に借りた内田百閒の『第一阿房列車』と、随分前に購入して五回は読み直している下川裕治『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』の影響であろう。


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