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甲斐庄楠音 歪んだ美意識

私は怖いものが苦手だ。
絵や映像などで、直接的にホラー要素やグロテスクな表現があるものは好みではない。

だが一方で、恐ろしさが漂う形の作品には強く惹かれてしまう。
直接描かれない恐怖やグロテスク。
その表現のバランスは好みにもよるが、全てが描写されなくとも、本能に届く不協和音が流れている作品にはまた違った美を感じる。

私にとって甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと)の絵は絶妙なバランスの怖さを持つ。
楠音の描く女性は醜く、美しい。
幽霊のような肌、狂気の表情、鬼のような情念。
私はその女性たちに人間の悲しさと退廃的な美を覚える。


甲斐庄楠音は京都の裕福な家に生まれた。
病弱で絵が好きだった少年はやがて村上 華岳(むらかみ かがく)に認められ、画壇で知られるようになる。
はじめは伝統的な絵を描いていたが、徐々に暗く妖艶な作風へと変化していった。
これは当時の婚約者に裏切られたことが原因ともされている。
その独自の表現は「穢(きたな)い絵」とも批判され、毀誉褒貶の激しい作家として画壇での地位は不安定なものであった。

やがて映画監督の溝口健二に出会うと、映画界でもその才能を発揮する。
溝口作品で楠音は衣装・時代風俗考証家として活躍。
女性美への欲望や豊富な知識は、映画に格調高き妖美を与え、名作『雨月物語』では自身もアカデミー衣裳デザイン賞にノミネートされた。
溝口監督以外の映画でも楠音は衣装デザインなどで関わり、映画界での地位を築いていった。一方で彼自身は画家としての矜持は捨てず、晩年も絵画作品の発表を続けた。


楠音は小さい頃から絵と同時に歌舞伎も好きだった。
特に女形に惹かれ、画家となってからは自らも女形に扮し、その自分をモデルに絵も描いた。

写真を見ると彼は端正で美しい顔立ちをしている。
だが女形の化粧をした彼は綺麗とは言えず、ある意味グロテスクにも見えるほどである。

20代前後の甲斐庄 楠音
女形に扮した楠音


楠音の描く女性は、自身で手に入れることのできない美の象徴。
同時に彼は女性に扮した自分の醜さに対し、悲しみと共に官能も覚えているようにも見える。
他の美人画家のように受け入れやすい美しさだけでなく、歪んだ美意識としての恐ろしさやグロテスクも楠音の芸術なのだ。


私は昔、日本画の小さな展覧会で甲斐庄楠音の作品を数点観た。
画集で見ていて好きだった彼独特の妖艶な作風を期待したが、そこには着物の少女を描いた小品が飾られていた。
その作品は私の知っていた楠音の作風ではなく、端正で優しい絵であった。
絵の詳細すら忘れてしまったが、私はその涼やかさになぜか感動した。

グロテスクなまでの妖艶さと同時に乙女のような純潔を描く楠音。
そのどちらも彼の心からの芸術であり、私はその危なげに揺れる心に美しさを見出す。

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