「オンライン対話」を開催する理由(10~13) 一神教と汎神論、人間性、他者性、言論空間など

こんにちは。小林佑太朗です。

オンライン対話を開催する理由の10個目から13個目を紹介します。

現在、オンライン対話の中に2つのグループを用意しています。

「これからの新しいコミュニティの形」について対話するグループと、

「読んでいる本から学んだことや、その他学んだことについてシェア」をするグループです。

このページの一番下に登録方法が書いてあるので、興味がある方はぜひ登録してください。

また、オンライン対話とはどのようなものかは以下の記事に書いたので、読んでみてください。



オンライン対話をChatworkでやろうと考えているのですが、いきなり飛び込むのはハードルが高いのかなと思っています。

noteとChatworkの間にメルマガを作って、少しずつコミュニティに入っていけるようにデザインした方がいいかなと最近考えています。


それでは、オンライン対話を開催する理由の10個目から13個目を紹介します。

10.対話の価値
松岡正剛さんは、著書『謎床』の中で以下のように話しています。
「「手続きがコンテンツ」であり、「手続きが意味をもつ」、「方法が意味である」ということです。これらが、ぼくが日本という方法をずっと考えてきたいくつかの窓ですね。」
私は、手続きというところを対話に読み替えて、「対話がコンテンツ」と解釈したいです。

現在のSNSを代表とするインターネット空間は、一神教的なスタイルのコミュニティになっていると思います。つまり、インフルエンサーが一次情報を流し、それをフォロワーが受け取っていくという形式です。また、オンラインサロンも内実は一神教的なコミュニティなのではないかと考えています。何か技能やスキル、そしてモチベーションがないと、なかなかサロン内で立ち上がるプロジェクトに参加していけず、傍観者になってしまう人多いのではないかと思います。そのようなことが起こらないコミュニティが「オンライン対話」で実現できればと思います。

多くのネット上のコミュニティやコミュニケーションは一方的であり、それをフォロワーたちが受け取る。行動するとしても、感想やコメントを添える程度です。一神教的なコミュニケーションでは、発信側にも受信側にも無理が生じると思います。ネットが生まれる以前はリアルな対話が非常に大きな力を持っていましたが、これからはネット上でも対話の場を確保する必要があります。誰もがコミュニティ内で発信力がある。そのような場が、汎神論的なコミュニティだと考えます。それを目指します。


11.ただ存在することが価値を持つ
私は、人はただ存在するだけで価値が生まれていってもいい時代になっていると思います。例えば、「レンタルなんもしない人」という人がいます。彼は、希望者にレンタルされると、食べたり受け答えはしますが、ただ近くいるだけで、何もしません。なのに、彼は求められているのです。つまり、価値を生み出しているのです。
私は、オンライン上でも、受け答えをするだけで価値が生まれる場を作りたいと思います。しかし、TwitterやFacebookのようなSNSとは違った形で。受け答えだけをするだけで参加できるようなコミュニティを作ることで、本当の意味で誰もが参加可能なコミュニティになるのではないでしょうか。

ここで少し、Amazonのリコメンド機能について書きます。リコメンド機能の仕組みは、誰かが購買行動をして、その情報をAmazon側が獲得し、それを用いて他のユーザーにお薦めするというものです。ユーザーはリコメンドに影響を受けて購買行動が促され、実際に購買します。つまり、誰かの購買行動が、売り上げを上げることに貢献していることになります。このことを考える上で、少し「贈与」というものについて考えたいと思います。贈与には、意図的な贈与がまず思い浮かびます。プレゼントをしたり、相談に乗ってあげたり、家族のために家事をしたり。どれも意図的なことが多いと思います。一方、意図的な贈与以外に、意図しない贈与を人々は数多くして生きています。例えば、おしゃれをしていれば周囲の人を楽しくさせるかもしれないし、単なる世間話をしていることが、誰かの悩みを解決することに繋がるかもしれません。また、そこに存在しているだけで、他の誰かが「私は一人ではないんだ」という安心感を感じてくれているかもしれません。このような意図しない贈与には、見返りとしてお金が払われることはありません。おしゃれをして周囲の人に元気を与えているからといって、お金が払われたりというようなことはないでしょう。しかし、価値を提供していることには変わりありません。価値を提供してるなら、見返りがあってもよいと思います。

ここでAmazonの話に戻ります。私は、Amazonにおける購買というものは、贈与の文脈でいう「意図しない贈与」なのだろうと思います。例えば本に関して言うと、ただ本を買ったという行動が、売り上げに貢献したり、他の読者が選書することに対して貢献したりしています。しかし、現在のAmazonの仕様では、一般的な「意図しない贈与」と同様に、本を買った人は見返りを得ることはありません。

誰も見返りを得ない仕組みなら納得できるかもしれませんが、実際はプラットフォーマーであるAmazonがその情報を手にし、他の顧客の購買行動を促すという価値に変換する、というように個人情報の活用によって利益を上げています。購買者も売り上げに貢献しているのだから、購買者もその見返りとして何かが分配されてもいいのではないかと考えています。見返りとしてお金を得られるような仕組みを作ることもやってみたいところではありますし、現在のテクノロジーを使えば実現できることだと思います。
様々に述べてきましたが、つまり、ITを使えば、「意図しない贈与」への見返りを受けることができるような仕組みができるようになり、ただ人間らしく、自分らしく生きることが、大きな価値を生んでいく。

これからの時代、多くの仕事がAIに取って代わられると言われます。だから人間は人間しかできない仕事をするべきだと言われます。また、人間性が価値になるという話も聞いたことがあります。サービスを消費するのは人間です。その人間と同じ種である一人の人間の行動は、他の人間がどのように行動するのかというのを推測するための大切なモデルとなっていきます。

そのような仕組みを足掛かりとなるようなコミュニティを作っていきたいです。


12.Q&Aが必要
再び、松岡正剛さんの『謎床』から引用します。
「私がコンピュータに期待したいこと、ほしいコンピュータというのは、そこに他者が入っているようなものなんです。たとえば私が芭蕉や漱石について、いまさら言えることはそれほど多くないわけです。話したいことならあらかた話してきていますからね。だから他者が私に向かって何かを出してくれればありがたいし、私のエージェントとして何人も何人も登場するようなものが準備されてほしいんです。」
自分の考えを共有し、そこにいかに意味のあるフィードバックをもらうかということが重要だと思います。松岡さんは、コンピュータに他者性が欲しいと言うが、コンピュータ自体が他者性を持つのはまだ難しく、シンギュラリティ以降だと思う。シンギュラリティがいつ来るのか、そして本当に来るのかはわからないが。だから、インターネットを通じて、実際の人間からのフィードバックが得られるようになったらいいということだと思います。SNSなどでは、他者はいるが、他者性は無いと思うので、他者性を得られるインターネットを私は作ろうとしています。


13.これまでの世界の本や論文の言論空間
(1)インターネット:例えばブログやWebに何か書いたところで、フィードバックが無かったり、あったとしてもコメント程度です。またSNSでは前述の通りフィードバックが速すぎて対話が深まらないのは、前述の通りです。

(2)対面での対話:深く対話ができると思います。しかし、圧倒的に頻度が低くならざるを得ないですし、多くの人と行えません。話した内容を文字として保存しておくことができず、保存性や拡散性が低いです。また、論理の曖昧さも増えます。自分のテンポで思考を深められず、何か他の資料を参照しながら話したり伝えたりすることが難しいです。何かの専門家であれば資料の参照などは必要ないとは思いますが、話す人が育っていくことを狙った対話においては、その都度、参照しながら文章を組み上げていくということが大切だと考えています。また、論理的な文章を作り上げることも、リテラシーを育てることに貢献すると思います。ですので、専門家は対面で議論することが効率的でよいかもしれなせんが、考えながら対話をしていく人たちは、向いていないかなと思います。対面で行う哲学対話や読書会に私があまり可能性を感じないのは、このあたりが関係していると思います。

(3)本や論文によるコミュニケーション
コミュニケーションの頻度が非常に遅くなります。また、本や論文を書けるような専門家しか行うことができません。往復書簡もこのタイプのコミュニケーションだと思います。ただ、往復書簡は頻度が比較的高かったと思うから、私がこれからやっていきたいメーリングリストの対書のあり方に近いものがあると思います。
往復書簡のようなものを実践されている本として私が面白いと思った本を1冊紹介します。

それは、池田善昭と福岡さんが対話している『福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』です。
池田さんの説明する西田の議論に対して、福岡さんが腑に落ちるまで質問をし続けていく様子が、非常に面白いです。実際に対面で対話したあと、メールでお互いにやり取りを続けていくスタイルの対話です。相手の意見を受けて、対面では説明しきれなった部分を文章にしてメールで対話をし、分かり合えるまで続けるという姿勢に感動しましたし、このような生々しい対話を本を通じて見ることができて、非常に興奮しました。出来上がった議論を見ることよりも、思考が組みあがっていくその現場に立ち合うこと。それが、往復書簡(メールのやり取り)を見ることの非常に大きな価値だと感じています。


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