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なくなれ、受験

受験はクソだ。受験で人の何が分かるのか。まだ十五年しか生きていない子どもたちを、名前のない子どもたちにして、数値化して、上から順番に並べて選別してゆく。非情だ。

そもそも高校が学力や偏差値ごとに階層のようになっていることに、多くの大人たちはなぜ何の疑問も持たないのだろう。ヨーロッパの一部では非人間的な受験制度は廃され、抽選制になっている。学力による差別を前提としなければ高等教育とは実現できないのだろうか。なぜ小中学校のように学力にかかわらず、みんなで共に学び合う空間を保証しないのか。それは、いわゆる勉強ができる子にとっても、できない子にとっても、それは不幸だと言わざるをえない。

入学よりも卒業が難しい仕組みにして、本当の意味での学力をみんなで伸ばす。それを早急に日本においてもやるべきだ。学力こそ結果ではなく過程であるべきだからだ。一発勝負のためだけの学力は、本当の学力なのかということを、もっと考えなければならない。

大人が構築した欠陥だらけの仕組みで、悩み苦しむのは子どもたちである。そんな中でも受験指導をしなければならない。私は正直にこの仕組みの愚かさや醜さを語った上で、指導する。それは子どもたちにそれを「当たり前」と思ってほしくないからだ。将来大人になったときに、その制度を変えることができる人になってほしい。そして「お前たち大人の思い通りにさせない」という思いを持って、受験というものに左右されすぎずに、でもしっかり目の前のできることをやれよとエールを送る。

聞こえてほしい。あなたにも。がんばれ!

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