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本の出だし、魅力的と言わずして何と言う

昨日のこと。祖父母と叔母のお買い物の送迎係を務めるという形で、普段は足を運ばないエリアに。私はそのお買い物について特に興味があったわけでもないので、近くの古本屋さんへ。

いろんな本を手にとっては棚に戻す、或いは手に据えるという動作を繰り返し、結局見出しの画像に映っている八冊を購入。帰ってから一通り出だし、冒頭だけ読んで行く。

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

草枕/新潮文庫

夏目漱石の『草枕』である。読んだことが無かったので、という点からの購入だったが。出だしを読んで思わず口元が緩む。これがかの有名な一文か。成程、リズムに乗せられてスルスルと視線がページを流れる。二ページ目、いきなりの漢検一級ラッシュ(璆鏘の音、霊台方寸、澆季溷濁、尺縑なき、覊絆を掃蕩など)には面食らったが、この本を一番に読もうと決めた。

 ある省のある局に……しかし何局とはっきり言わないほうがいいだろう。おしなべて官房とか連隊とか事務局とか、一口にいえば、あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである。今日では総じて自分一個が侮辱されても、なんぞやその社会全体が侮辱されでもしたように思いこむ癖がある。

外套・鼻/岩波文庫

続いてはロシア文学における重要人物、ゴーゴリの名作『外套』だ。短編で読みやすそうだったので。移動時間やバイトの休憩時間にちょうどいいかなと思いまして。出だしからチクチクするような諷刺が散りばめられる。

読みやすそうだし話も気になるしで優先順位は高めに設定。しかしながら私が一番興味を持っているのは他でもないゴーゴリ自身について。いろいろ調べてみたいな。先ずは作品を読んでからだが。

侯爵:音楽が恋の滋養になるのなら、続けてくれ、堪能するまで食べてみれば、飽きがきて、食欲も衰えやがては消えてしまうように。あの曲をもう一度!消え入るような調べだった。

十二夜/岩波文庫

躍動感溢れる、或いは生気に満ち溢れるとも言えようか。シェイクスピア最高の喜劇、『十二夜』の上演台本の翻訳である。それにしてもこのような形式の本を読むのは初めて。出来るだけ一気に読み終えたいな、と。他の本を挟むと脈絡が途切れてしまいそう。

 それ、申樂延年の事態尋ぬるに、あるひは佛在所より起り、あるひは神代より傳はるといへども、時移り、代隔りぬれば、その風を學ぶ力、及び難し。

風姿花伝/岩波文庫

世阿弥の能芸論書であり、能楽の聖典として読み継がれてきた『風姿花伝』。旧字、注釈、原注までが小さい文字で入り乱れるカオス。それらに意識を持っていかれなけれさえすれば、文章は割と読みやすいのかな、という印象。一方で読むことによる疲労感が発生しそう、というのもまた事実。こちらは合間合間で区切りつつ時間をかけて読んでみよう。

 時は夏でございますし、処は山の絶頂でございます。それでここで私が手を振り足を飛ばしまして私の血に熱度を加えて、諸君の熱血をここに注ぎ出すことはあるいは私にできないことではないかも知れません、しかしこれは私の好まぬところ、また諸君もあまり要求しないところだろうと私は考えます。それでキリスト教の演説会で演説者が腰を掛けて話をするのはたぶんこの講師が嚆矢であるかも知れない(満場大笑)、しかしながらもしこうすることが私の目的に適うことでございますれば、私は先例を破ってここであなたがたとゆっくり腰を掛けてお話をしてもかまわないと思います。これもまた破壊党の所業だと思し召されてもよろしゅうございます(拍手喝采)。

後世への最大遺物・デンマルク国の話/岩波文庫

こちらは明治27年夏期学校における内村鑑三の講演『後世への最大遺物』である。またまた一味違った文章。熱気が伝わってくる。高尚なる生涯とは如何に。早く読みたいな。個人的に内村鑑三と新渡戸稲造はごっちゃになりがち。ここらで一冊読み切ることによって、そのへんの是正もできるだろう。

 われわれは、学校というものを、個人的見地から、教師と生徒または教師と両親とのあいだの或るものとしてながめがちである。

学校と社会/岩波文庫

ここまで三作続けてひと癖ある書が並んだが、ここにきて個人的には読み慣れた文体が。この実家のような安心感よ。本書は、当時世界中の進歩主義教育の支持者によって読まれたデューイの著作『学校と社会』だ。私のゼミの教授が教育分野の研究をされている方だったこともあり、書かれていること自体も馴染み深かったりする。ただ優先順位は低いかな。

 暗闇の中にエンドロールが流れている。
 ごく静かな、吐息のようなピアノの調べ。真っ黒な画面に、遠くで瞬く星さながらに白い文字が現れては消えていく。
 観るたびに思う。映画は旅なのだと。

キネマの神様/文春文庫

 福笑いが、この世で一番面白い遊びだと思っていた。
 小さな頃、母が買ってきた雑誌についてきた付録が、鳴木戸定が触れた、最初の福笑いだった。

ふくわらい/朝日文庫

バイト先で同世代の方にお薦めされた二冊。原田マハさんの『キネマの神様』と西加奈子さんの『ふくわらい』である。普段は人にお薦めされた映画だったり本だったりはあまり触れてこなかったタイプではあるが、お薦めしてくれた彼、ナイスプレゼンテーションでした。

キネマの神様の出だし、いいなあ。ふくわらいの出だしも個人的には好き。やはり物事、出だしが肝心。ここでその小説に向き合うモチベーションのいくらかは決まってしまうといっても過言ではない。いや、そんなこともないな…

危うく詭弁論者になりかけたので改めて。本の出だしを読むとき。新しいものに触れたことによる高揚、文体への陶酔、これから読むこの本の展開に関するワクワクなど。これらが一気に襲ってくる「あの」感覚が大好きだ。

読書は食事だ。出だしを読むことは並べられた料理を目にすること。時には垂涎することも。

読書は旅だ。出だしを読むことは旅先に降り立ったあの瞬間。ここでどんな経験をすることになるのだろうかと、胸の高まりが収まらないことも。

”本の書き出しは、筆者が全力で考えた 命の断片です”

kakidashiさんより

今回挙げた7つの書き出しに触れて、このうちのどれかに興味を持っていただけたのであれば、その出会いを幸いと言わずにはいられません。是非、是非その本を手に取って頂きたく存じます。

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