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「花屋日記」42. 世界にまだ絶望しなくていい。

 七夕の時期になると、私たちは笹のラッピング作業に明け暮れる。すぐに乾燥してしまうので、セロファンで1本ずつ包装する必要があるのだ。そして大きな笹のディスプレイに短冊を書いてもらうのも、大切な仕事の一つ。店の前を通りかかる子どもたちに
「願い事を書いていきませんか?」
と声をかけると、「ほいくえんのせんせい」や「けーきやさん」や「ちありーだー」への夢が次から次へと語られ、それはとても微笑ましい光景だった。
「来月の福山雅治のライブを晴れにしてください」なんていう親御さんの願いが混ざっていることもあったが、みんなの願い事がどんどん増えていくさまは純粋に楽しい。幼い頃の私が「おはなやさん」になりたいと願ったことはあったっけ?なんて思ったりしながら、私は店頭に飾る星のガーランドを作っていた。

 でも当日の19時を過ぎて気づいた。七夕は、けっして子供のための行事ではないのだと。
「あの…今日は七夕、なんですよね?」
と、スーツ姿の男性がそわそわしながらやってきて
「はい、さようでございます。笹をご入用ですか?」
とお尋ねすると
「いえ七夕だから…プロポーズをしようかと思うんですけど」
とおっしゃった。その方の作戦は、七夕の夜空にちなんだブルー系のブーケに短冊を添えるというものだった。彼が震える字で書いた短冊には一言、
「ぼくと結婚してください」
と書かれていた。そのストレートさにぐっときた。

 ほかにも立て続けにオーダーが入り、私はあっちのお兄さんの恋の手助けから、こっちのお兄さんの恋の相談を次々とこなしていくハメになった。七夕がクリスマス並みに恋の季節だなんて、私はまったく知らなかった。もちろん「今から成就」の人たちとはパラレルに「すでに成就」の男性陣が「結婚記念日なので…」「妻にプレゼントしたいので…」などとおっしゃるケースも多数あり、7月7日の威力を私はあらためて知ったのだった。今宵の天の川は、愛で溢れんばかりだ。

 誰かを幸せにしたいという意思をもった人間は、それ以外の人間をも幸せにする。その人たちの純粋な愛情は「世界にまだ絶望しなくていいよ」と私に教えてくれているかのようだった。

  私はずっと、こういうことを知りたかったんだ。
けっしてそれを願っていたわけではない。でも私の願いごとはきっともう、叶っている。店を閉めるとき、色とりどりの短冊が揺れる笹を見ながら、私はそう思った。

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